■#089 明智光秀 妻への感謝■ | みの吉の学校で教わらない戦国時代

みの吉の学校で教わらない戦国時代

群雄割拠の戦国時代。
戦国武将たちは自らの信念を持って必死に生きています。
そんな戦国武将から学ぶことはたくさんあるのではないでしょうか。

日本の戦国時代を中心に学校の授業では教わらない、
エピソードや戦国武将の名言・家訓などのご紹介をしていきます。

お詫び:
前回までに使用していました、武田信玄の写真が別人物のものだと御指摘を頂きました。
今後写真は変更して参ります。
ご迷惑をおかけ致しました。




明智光秀
明智光秀















当時破竹の勢いであった主織田信長を討ち取った、

本能寺の変の首謀者である光秀。



光秀が信長を討った理由は諸説あり、

今も本当の理由はわかっていません。


日本の裏切り者代表格のような光秀ですが、

本来は裏切りを行うような無慈悲な武将ではなく、

心優しい武将なのです。



その優しさは妻に向けての深い愛情からも伺えます。



光秀は美濃出身であったため、はじめ斎藤家に仕えていました。

しかし斎藤道三が死去した後は、

浪人生活をすることとなったのですが、

そこで光秀を支えたのが妻照子でした。



照子は機織りで生活を支え、さらには、

光秀が歌会に参加したり、開いたりするのに必要な費用を、

「私にお任せ下さい」と言って、

自慢の黒髪を売って工面したのです。



この照子の献身的な支えに対して光秀は、


「いざ、お前を五十日のうちに

輿に乗せる身分にして見せる」



と言ったのです。

(当時輿に乗れるのは身分の高い人だけでしたので、そこまで出世して、
恩返しするということです)




光秀はヒモのような生活を、

照子が髪を切り売ってくれたおかげで出来たわけですが、

この後光秀は信長のもとでめきめきと出世を果たし、

近江坂本城の主とまでのし上がった訳ですから、

照子の見る目は間違いなかったのでしょうし、

それに応えた光秀も、

妻への感謝の気持ちが感じられる台詞ではないでしょうか。





●今日の戦国出来事●

織田信長が明智光秀に中国出陣を命じた日





●気まぐれつぶや記●

明智光秀は裏切り者で有名ですが、

実は本能寺の変は光秀一人のものではなかったのかもしれません。

先日こんな記事が出ていました。

信長、家康、光秀の「歴史」は、すべて秀吉の捏造だった!嘘だらけの「本能寺の変」

これが真実なら今後の歴史ドラマ大きく変わるんでしょうが、

今までのイメージが強いのでなかなか難しいのですかね。



いや、しかし歴史は調べれば調べるほど、

いろんなことがわかってきて面白いですね~(^∇^)



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