瞬間(とき)の栞 

瞬間(とき)の栞 

幸せ、癒し、心の栄養になる「本と言葉」をご紹介してゆきます。
個人的な読書感想文、読書随想です。本の内容、あらすじができるだけ解るように努めています。
ただしネタバレがありますので充分ご注意ください!


当ブログは読書感想文を書いておりますが、本のあらすじなど

がわかってしまうことがあります。叫び どうぞご注意ください星


ブログ記事中に、本の言葉を引用させて頂いて

おります。引用箇所は、太字で記載 しております。


 

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橋田壽賀子さんといえば、僕にとって「おんな太閤記」なんです。
 

はじめて大河ドラマを真剣に見ました。父の影響であります。
 

父は山岡荘八さんの「徳川家康」26巻を読破し、家康が好きでした。
 

僕はその当時歴史をよく知らなかったのですが、父に戦国時代の話を聞いて、豊臣秀吉に関心を持ちました。
 

父といっしょに見始めた「おんな太閤記」は、秀吉の正妻のねねが主人公であり、女性の視点からの戦国絵巻。
 

なので、合戦シーンはほぼほぼなかったのですが、引き込まれる脚本と展開、それに佐久間良子さんや西田敏行さんはじめとする俳優さんの演技力に、迫力と臨場感と上手さと奥深さを感じ、素晴らしいクオリティーに夢中になって再放送(次週の土曜日にある)まで見ていました。(当時はまだ録画なんて夢のようなものでした。)
 

普段、父とはそんなに会話はしなかったのですが、おんな太閤記を見た後は感想やら、私見やら、これからの展開やらをお互いに興奮して語り合いました。
 

「おんな太閤記」の合戦シーンについて、実はこんな裏話があったんですね。YAHOOニュースにあったのでメモしていました。

 

女性を主人公に戦国時代を見つめた81年のNHK大河ドラマ「おんな太閤記」の撮影中、主人公・ねね(佐久間良子)の義妹・あさひ役で出演していた泉は橋田さんが男性ディレクターと衝突した時のことを鮮明に覚えているとした。

「今までの大河ドラマって合戦の場があるのに、戦を1シーンも作らないでディレクターとケンカしてましたね。(ディレクターが)男だから合戦の場が欲しいからって1シーン入れちゃったんですよ。そしたら『合戦なんかして!』ってメチャ怒って」と説明。

「『なぜ戦をしなきゃいけないんだ、残されるのは女だろ』って亡くなっていく悲しみとかを書いたのは橋田寿賀子じゃないですか。『戦なんか書かなくたって、ドラマ書けるだろ』って言うのがあの人の信条じゃないんですかね」とおもんぱかった。  

また「『戦争はダメだ』、『戦争ほど怖いものはない』って言ってました。だから『平和でなければいけない』ということを言ってましたね」とし、「貧しい中の強さ、逆境をばねにして生きてくるっていう、こうでありたいっていう人間を書いているんじゃないかな」と話した。


2021.4.9.YAHOOニュースより


現在、毎週日曜日の朝、BSプレミアムでアンコール放送されている「おんな太閤記」

 

先週は本能寺の変でした。(夢の録画、しました。藤岡弘さんの信長が好きだったので…)

 

豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころから、この物語は描いています。

 

これから秀吉(今は羽柴秀吉)は天下人になってゆきます。

 

それだけを見るとサクセスストーリーだと思うのですが、秀吉の周辺にいる者たちは、はたしてそうであったのか?  戦う男たちは、守るべき女たちに、どれほどの苦しい思いをさせるのか、辛い思いをさせるのか。ふるえる哀に渡る戦国は鬼ばかりです。そういう場面も含めて、女性から見た戦国、平和への希求を魅力的に伝えています。

 

 

       

 




今、戦争の影が忍び寄ってきているように感じます。

 

戦争はどんなことがあってもしてはいけない。

 

『戦争はダメだ』

 

『戦争ほど怖いものはない』

 

 だから

『平和でなければいけない』

 

私たちは平和のために闘わなければなりません。思考と想像と祈りという武器を使って!

 

そう橋田壽賀子さんは、訴えているのではないでしょうか?

 

 


「貧者を救うのは、官でも御仏でもない。人だ。」

 

 

 

 

 

  「泣くな道真 大宰府の詩」 澤田瞳子

 

 

 

 

 

 

クワバラ クワバラ

 

 

 
大きな雷の音が鳴ったとき
 
あるいは
 
雷除けのおまじないを唱えるとき
 
 
 
「クワバラ クワバラ」と思わず口から
こぼれ出たことはないでしょうか?
 
 
 
漢字では、桑原と書きます。
 
 
 
なぜこのようなおまじないをするのか?
と言うと、諸説あるようですが、有名な
ものでは菅原道真の祟り説があります。
 
 
 
930年、平安京の清涼殿 に雷が直撃して、
朝廷の多くの人が亡くなりました。
 
 
 
人々は言いました。
 
 
 
これは太宰府に左遷されて2年後に亡くなった
菅原道真の祟りであると。
 
 
 
それからも、いろんなところで落雷が
ありました。しかし、道真の領地であった
桑原には雷が落ちませんでした。
 
 
 
そうしたことから「クワバラ、クワバラ」が
雷除けのおまじないとして、今でも
残っているんですね。
 
 
 
また、良くない悪いことを避けたいときにも
この「クワバラ クワバラ」を呟くように
なったということです。
 
 
 
そんな学問の神様であり、怨霊伝説のある
菅原道真。
 
 

 

史実では宇多天皇に重用され、醍醐朝で
右大臣になった菅原道真。
 
 
 
しかし
 
 
 
そのときの左大臣・藤原時平の讒言で
大宰府へと左遷。2年後に道真は
亡くなりました。
 
 
 
 
この物語は、道真が大宰府に
流されてきたところからはじまります。
 
 
 
「おぬしら、甘言を弄して、わしをどこぞで
謀殺するつもりじゃな。ええい、その手は
食わぬ。放せ、放せ」
 
 
 
あれっ、この人が学問の神様なの?
 
 
 
僕が想像していた菅原道真像は
あっという間に崩れ去り、とても
人間味のある道真が目の前に
あらわれました。
 
 
 
陥れられ、嘆き、恨みをもち、悲嘆に
くれる道真。
 
 
 
この状況をどうにかできないものかと、
道真の世話役に白羽の矢を立てられた
のが、「うたたね殿」と渾名をつけられた
龍野保積。
 
 
 
やる気がなく、その日暮らしの冷え切った
務めを行っていた保積。しかし、道真の傍で
仕えるようになってからしだいに体温を取り
戻していくのでした。
 
 
 
もう一人、道真と大きく関わったのが京都から
大宰府に流れてきた小野恬子 (しずこ)
 
 
 
京の暮らしに厭世感を覚えた恬子 も道真と
同じ境遇だと感じていました。
(物語の最後に恬子の正体がわかります。)
 
 
 
道真の屋敷を訪ねる恬子 。
 
 
 
(これがあの菅原道真公・・・・・・)
 
 
 
 
恬子は道真の屋敷に行く道中、顔なじみの
唐物商に墨を強引に手渡されました。
 
 
 
屋敷でその墨を見るなり、非常に希少で高価
なものだと見抜いた道真。
 
 
 
大宰府に来てから、何もやる気が失せていた道真が
希少品にとても興味を示したので、 恬子は博多津の
唐物商のもとへと連れ出しました。
 
 
 
恬子の予想通り、唐の書物や骨董品に
興味津々の道真。
 
 
 
やがて、唐物商の書物や骨董の目利き
役になり、活気を取り戻していきます。
 
 
 
と、ここまではよかったのですが、道真の
唐物への執着が酷いものになっていました。
 
 
 
橘花斎(唐物商)で働き始めて二ヵ月弱、
道真はその間に得た給金をすべて唐物や
書籍につぎ込んでいる。
 
 
 
そして保積に
 
 
 
「大至急、銭が要るのじゃ。長年大宝で十貫
(約百万円)何とか都合してくれぬか」
 
 
 
と、道真は言いました。
 
 
 
「それで今度は、如何なる珍品でございます」
 
 
 
保積は道真に聞き返しました。
 
 
 
それは、入荷したばかりの「阿弥陀如来画像」だと
道真は言いました。その画を明瓊寺(めいけいじ)の
住持が見つけて買っていったのだという。
 
 
 
その稀覯品を買い戻すために、二人は明瓊寺に
押しかけました。そして明瓊寺で見たその光景に、
二人は驚きました。
 
 
 
なんと、明瓊寺の僧・泰成は、死を前に臥している
老人の枕上に「阿弥陀如来像」を掲げていたのでした。
 
 
 
家族に捨てられ、叢(くさむら)で死ぬ人は
この時代にはたくさんいました。野犬に襲われ
鳥獣の餌となる者も多いのだといいます。
 
 
 
泰成はそのような老人を見捨てることが
できずに、老人の最期を看取っていたのです。
 
 
 
「だからこそおぬしは、この者に仏画を
拝ませようと考えたのか」
 
 
 
と道真は言いました。
 
 
 
「ふん、こんな奴らに、御仏のありがたさは
わからんさ。だいたい極楽浄土なんてものが、
本当にあるかどうかも知れん。
 
 
だけどこいつは汚辱と苦しみに塗(まみ)れた
この世で這い廻り、いい事なんか何一つないまま
くたばってゆく。拙僧はそんな奴に一つだけ、
本当に美しいものを見せてやっただけだ」
 
 
 
そして
 
 
 
「貧者を救うのは、官でも御仏でもない。人だ。」
 
 
 
と泰成は言いました。
 
 
 
道真は思います。
 
 
 
「・・・・・・わしはいったい何を見、
何のために学識を積んできたのであろう」
 
 
 
邸宅に戻った道真に、悲劇が起こりました。
 
 
 
最愛の息子が不慮の事故にあって亡くなったのです。
 
 
 
道真は塞ぎこみます。
 
 
 
「わしが学んできたことも、努めてきた政も、
世の苦しみの前には、何の役にも立たぬ
ではないか」
 
 
 
保積は大声を張り上げました。
 
 
 
「お言葉、確かにごもっともでございます。
ですが━ですが、道真さまのお力をお借り
せねばならぬことも、この大宰府にはある
のでございます」
 
 
 
そして
 
 
 
「道真さまのそのお目を、府庫の欠損を
埋めるのにお貸しいただけませぬか。
それが叶わねば大弐さまは無能の汚名も着、
我らも朝堂より厳しいお叱りを受ける
のでございます」
 
 
と保積は言いました。
 
 
 
「府庫の欠損だと」
 
 
 
道真は保積に問いただしました。
 
 
 
それはある日のこと。龍野保積が大宰府庁に
立ち寄った時
 
 
 
山のような巻子を抱えた保積の息子・三緒とすれ
違いました。なぜか三緒の顔には狼狽の色が
滲んでいました。
 
 
 
忙しいからと急いで立ち去った三緒の
手にしていた巻子には「昌泰二年大宰府
正税帳」と書かれていました。
 
 
 
保積は提出期限がひと月を切った今頃、
正税帳を何巻も持ち運んでいることに
疑問を持ちました。「何かあったのでは
ないか」と推察します。
 
 
 
そこに両手を縛られた男が駆け出して
きました。
 
 
 
恬子の兄の葛根が追いかけてきて、
男を蹴り上げました。
 
 
 
その男は大帳司の豊原清友でした。
 
 
 
理由を聞くと
 
 
 
三年余りも正税帳を改竄して、その差額を
自身の懐に入れていたというのです。
 
 
 
道真は保積に言いました。
 
 
 
「要はわしに、清友なる算師が使い込んだ銭を
補填せよというのじゃな」
 
 
「はい」
 
 
「しかも大弐どのには内密で」
 
 
「さようでございます」
 
 
 
道真には、ある秘策がありました。
 
 
 
それは、政敵への復讐だったのです。
 
 
 
その秘策とは!?
 
 
 
道真は怨霊ではなく、祟りでもなく
〝人〟として政敵へリベンジします。
 
 
 
やられたらやり返す!
 
 
 
雷神のごとく、学問の神のごとく、
置かれた場所で咲いた人間・
菅原道真の意趣返しとはいかに!
 
 
 
 
 

 

 

 

【出典】

 

  「泣くな道真 大宰府の詩」 澤田瞳子

 

 

 

 

 

 

 

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何年前になるでしょうか?ラジオで作家の

川上未映子さんの対話を聴きました。

 

 

 

そのときに、「私はカウントダウン症候群

なんです。」と語っておられたんです。



カウントダウン症候群?



 

よくよく話を聴いておりますと、どうも未来

よりも過去へと視点が動くというもので

ありました。

 

 

 

現在から過去へとカウントダウン。

 

 


そう言われると、常に僕も視点が

過去へと向かっています。

 



未来のことは、どうしても不安ばかりに

なってしまうので、過去を見てしまいます。

 

 

 

過去をよく振り返ります。過去が色褪せた

写真のように良い思い出に変換されます。

 

 

 

辛い過去が低反発のクッションのように

吸収され、軽減されます。

 

 


昭和のCMや動画をよく見ます。歌謡曲を

よく聴きます。トイカメラやLOMOのような

風合いの写真が好きです。

 

 

 

8ミリの映像が好きです。レコードの音が

好きです。60年代のエレキの音が好きです。

紙の本が好きです。建物や鉄道や街並み、

どれもレトロなものに惹かれてしまいます。

 

 


神戸新聞の正平調(2021/3/29)に、

レコードのことが書かれていました。

 

 

 

プレーヤーにレコードをセットしてトーンアームを静かに下ろす。バチッと針と盤が触れる瞬間を経て、音が流れだす。盤に刻まれた細い溝を小さな針が静かに走る◆

(中略)

CDとは異なるまろやかな音質が何とも心地よい。昔は煩わしかった盤を裏返す作業も、なぜか楽しく感じる。これこそデジタルで割り切れないアナログの味わいだろう。

 

 

 

針が細い溝を走り、心地よいプチ、プチ、と

鳴る音に、ほんの少しだけ欠けた完璧で

ないもののような魅力とやわらかい優しさ

を感じます。

 

 



洗練されたものではなく、便利ではなく、

手間も暇もかかるけど、アナログに

より一層惹きつけられます。
 

 


もちろん、過去がすべて良かったとは

思いません。今の方が良いところも

たくさんあります。

 

 

 

その中で、便利ではなかったけど、

かけた時間の愛おしい過去の

思い出が甦ってきて、より懐かしさ

に浸れることがうれしく思います。

 

 


桜がひらひらと降る光景に、心が素敵な

ため息をつき、このぬくもりが未来へ残る

ことを望みながら、過去へ向けて・・・

3.2.1

 

 

 

 

 

【出典】

 

神戸新聞 正平調  2021.3.29