是非にあらず

小手前の安心は無い

42歳の春

2021年04月17日 10時31分04秒 | はがゆい日常
新型コロナの影響は、いまだ衰えず。
感染者数も少なくなればまた多くなるという繰り返し。

感染者数は再び増加傾向となり、またも危機的状況となるのか。
変異株というのが新たに出回つており、急スピードのようです。


そんな中での今年のオリパラというのも誰のためのものなのか。

依然として不思議な世の中となっております。

42歳。

生きていて迎えられた誕生日に感謝。

わたくしの寿命というのもまだあるということです。
決められた命の中で、あと何年なのか。
わたくしが死ぬのなら、今の生活の品々というものは
一挙にガラクタとなり、廃棄処分となるのでしょうか。
思い入れのある時計やぬいぐるみ、神社のお守り、御朱印etc
そう、旅で撮った写真なんていうのもまた、削除ボタンでなくなるのです。

旅もまた、行けずじまいの日々。
まだ、数年は行けないのではないのか。
そう思ってなりません。

2年ぶりの春の甲子園。
非常に楽しかった。
これも見れたことに感謝。

春の桜もまた、見に行きたかった都内数か所へと行けたのもよかった。
暖かさに恵まれ、例年より早い開花となりました。
良いものをみれた気がいたします。
しかしながら一か所は、残念なことに既に散っており、
満開の日にまたお会いすることにいたしましょう。
桜も長くは続かず、散ってゆくのです。


このコロナの影響で職を失う人も多いのもまた事実。
その中で、なんら変わらず仕事もできていて、給料も頂けるのは
本当にありがたいことに思います。
しかしながら、一歩間違えばわたくしも職を失い途方に暮れることになるのです。
宿命というのも不思議なものです。
仕事を失った場合、緊急予備費として1年間はもつ試算ができましたがそれ以降はどうなることかとても怖い。
ましてや年齢もあることからなおさらであります。


思いを馳せていた気持ちというのもどうやら
時が解決をしてくるものだと感じております。
記憶がもうなくなってきているのかもうどうにもならないとわかったのか何をも思わなくなるのです。
恋というのももうしなくなったのです。


一度きりの人生。
「たら」、「れば」もないひとつのみ。

どこかではうまくいっている人生もあり、
どこかではとてもうまくいかない人生もあり、
この人生はこれ限りの人生である。


この新型コロナの状況下、何も悪いことばかりではありません。
桜の季節は、近くのお寺や見たかった場所へ行くことができました。
近所に新たな藤があるお寺も見つけることができました。
電車を使わず、歩いていくことで新たな徒歩コースも発見いたしました。
だいぶ近場やその周辺についての情報更新ができ、
よいものとなっております。

そう、東京へ来て23年目となるでしょうか。
初めての試みをしようと思い行って来ました。

こんな日もあったのでしょう。
彼が死にわたくしが生まれた。
そんな日でございます。



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