第6回 あだしくに | 広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

 

 

今回は、いつもきてくださる方、また新しくこのチャンネルにアクセスしてきてくださる方々へのアナウンスを兼ねています。

 

中国に対する批判は日本のネット空間でも許されず、じわじわと日本の言論を狭めていることに、日々危機感を感じています。この動画もいつ消されるかわかりません。私は、これまで大陸のお隣の国を「中国」と呼ぶこと、また聞くことに非常な嫌悪感を感じてきました。この言論空間は非常に窮屈です。

 

支那(しな)という漢字表記は、googleではNGワードに指定されており、チャットやコメント欄に漢字で書くと数秒で削除されます。これはすでに自動化されています。カタカナならば大丈夫ですが、流石に「東シナ海」などという語までいちいち検閲の対象にしていたら、何も伝えられなくなってしまうからでしょう。

 

近年、こうした見方を補強するニュースを朝日新聞が報じていることを呉智英(くれ ともふさ または ご ちえい)さんが指摘しています。SAPIO2017年11・12月号によると、同年九月五日の朝日新聞北京支局発のニュースとして、共産党政府が企業名に使うべきではない「NGワードを決めた」、「支那」もその内の一つだと伝えています。

 

「支那」は英語のChinaと同じで、Chinaならば国際的にも、なんの問題もなく使われています。もちろん支那もChinaも差別語ではありません。

 

一方、「中国」という語を強要することは、中華、すなわち華夷秩序にしたがって「俺たちこそ世界の中心。文化程度の低い夷狄 の日本人は、我々のことを中国と呼んで敬え」という意味を含んでいます。差別語を強要されているは日本人の方なのですが、多くの日本人は無自覚です。

 

加害者が被害者のように振る舞い、自らの主張をゴリ押しすることは一般の社会でもありますが、Chinaはまさにその通りのことを平気で主張します。日本の政府、そして外務省は、被害者のフリをした加害者の言い分を1世紀以上にわたり、唯々諾々と受け入れることしかしてきませんでした。

 

「中国」という表現をやめた方が良い理由として、もう一つ、本来の日本語の意味が溶解し始めている、ということを挙げます。

 

「中国」は日本では、長い間、現在の岡山、広島、山口、鳥取、島根各県で構成される日本の地域を表す語として使われてきました。wikipediaによると、文献上は少なくとも、14世紀成立の太平記に、この地域を指して使われています。

 

今日、日本の本来の言葉の用法の比重は小さくなり、「中国」と言えば、当たり前のように、誰もが中華人民共和国のことだと思うようになっています。しかし、日本の外の地域を指して使われるようになったのは、19世紀以降のことであって、これは新しい用法です。

 

「日本の」中国地方、「日本の」中国銀行、「日本の」中国新聞、と、頭に「日本の」という言葉を付けないと本来の意味では話が通じなくなってしまいました。

 

これは日本語が溶解し始めている、国語が乗っ取られつつあるということを示しています。日本人自身が毅然とした態度を取らないために、曖昧になりつつある現在の日本の国境の状況とよく似ているのではないでしょうか?

 

保守の Youtuberの中には、彼の国をどう呼び習わすかに頭を悩ませ、C国と表現する人もいます。

 

このチャンネルではどうしたら良いでしょうか?

 

私は、彼の国の性質を18世紀から鋭く見抜き、日本とは異なっている国という意味で「あだし国」と呼んだ本居宣長の言葉を採用するのが良いと考えました。

 

今後、私のYoutubeちゃんねるでは、可能な限り、日本と日本人に対する侮蔑的な語を使うことをやめ、代わりに、彼の国を、本居宣長の古事記伝から「あだしくに(異国)」と呼ぶことにします。

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参考資料

外務省HPより https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/qa/sonota_02.html 

Question 

 戦前に、中国の呼称を「支那」から「中華民国」に変更した経緯を示す記録はありますか。

 Answer  外務省記録「各国国名及地名称呼関係雑件」のなかに、1930年(昭和5年)10月に、浜口雄幸内閣が中国の呼称を常則として「中華民国」とするとの閣議決定を行った際の記録が残されています。

  この閣議決定が行われるまで、日本政府は、条約や国書を除いて中国を「支那」と呼称するとの閣議決定(1913年6月)に基づき、中国の呼称として通例「支那」を使用していました。しかし、中国は侮蔑的なニュアンスの強い「支那」という呼称を好まず、「中華民国」を用いるよう求めていました。たとえば、中国国民政府文書局長であった楊煕績は、1930年5月に日本と中国との間で結ばれた関税協定において、日本が条文中に「支那」という字句を使用した事を批判し、「今後日本側カ重ネテ斯ノ如キ無礼ノ字句ヲ使用スルトキハ我方ハ之ヲ返附スルト共ニ厳シク詰責シ以テ国家ヲ辱シメサルコトヲ期スヘシ」と論じていました。  こうした中国官民の感情に配慮して、外務省は1930年10月27日に中国の呼称変更を閣議に請議し、同月30日に閣議決定となりました。

 

 第二次幣原外交期における中国の国号呼称問題 KJ00004471018.pdf

 

 ※呉智英さんというのは、外国人っぽい名前ですが、本名は新崎 智(しんざき さとし)さんと言う、愛知県生まれの日本人です。呉智英というのはペンネームです。 

https://www.news-postseven.com/archives/20171219_629336.html?DETAIL