けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「報道ステーション古賀暴走事件」から学ぶ

2015-03-31 23:58:50 | 政治
ここ最近、忙しくてブログを書いている暇がなかったが、最近の報道の中で色々不満に感じていることが、ここ数日の様々なブログや報道を読みながら、何となく整理できたのコメントをしてみる。

最初に結論を言えば、「話せば分かる」と言いながら実際には分かり合えないことが多いのは、一方が「私こそ絶対の正義」と宗教的に思い込み、その思い込みが(宗教的なだけに)論理的な正当性を説明する責任を放棄するからである。この様なケースでは多くの場合、感情論にのみに訴えて、あくまでもその思い込みに対して感情的な共感をしてくれる人を募ることになる。極めて幼稚なやり方だが、第2次世界大戦に突入した当時の煽情的な新聞報道はその様なやり方で多くの読者の共感を生んだ。国全体が好戦的になり、国内では2.26事件などのクーデター騒ぎがあり、当時の政治家の中に仮に戦争回避を求める者がいたとしても、とてもその流れを止められる様な状況ではなかった。その様な政治家の気概のなさは問題かも知れないが、今現在に話を戻せば、根拠もなく「私こそ絶対の正義」と叫ぶ輩は客観的に見れば極めて危うい存在である。勿論、戦時中の反戦論者も危険分子と見なされていたから、それが危険であっても言論の自由は認められるべきである。しかし、その様な人のあからさまに偏った発言に対しては、多くの一般市民の報道に対するリテラシーを高めないと対抗することができない。だから、根拠のない「正義」に対しては、根拠などないのだから盲目的に信じてはいけないという啓蒙が必要なのである。

さて、では順番に説明をしてみる。

まず事の発端は、先週金曜日の報道ステーションでの古賀茂明氏の行動である。殆どの方は熟知しているので今更ながらだが、書き起こしがあるようなので引用してみる。

Livedoor News 2015年3月28日「古舘伊知郎氏と古賀茂明氏の『報道ステーション』バトル全文書き起こし

早い話が、この日で報道ステーションの定期的ゲストコメンテータを終了することとなった古賀茂明氏が、古館キャスターから中東情勢に対するコメントを求められながら、それに全く関係ない自身の降板に対する不満を固有名詞を多数あげつらいながら、一方的に相手を非難して古館氏と言葉上での喧嘩を繰り広げたという放送事故(確信犯なので事件?)の話である。終いには、社交辞令的に楽屋話として古館氏が古賀氏に「自分は何もできなかった。本当に申し訳ない」と発言していた話を切り出し、「私は全部録音させていただきましたので、もし、そういうふうに言われるんだったら、全部出させていただきますけれども」と恫喝までしている。更には、「一方で、菅官房長官をはじめですね、官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきましたけれども。」と菅官房長官が古賀氏やテレ朝にに対して圧力をかけたことを繰り返していた。また、最後の方では古賀氏お墨付きの放送プロデューサがこの春で更迭になるとの主張もしていた。ちなみにこれらを古館キャスターは否定している。
この辺の古賀氏の意図は、番組終了後に待ち構えていた古賀氏の支援者が、別途、記事にしているので、こちらの方と比べるとより意図が明確になる。

IWJ Independent Web Journal 2015年3月27日「2015/03/27 【速報】『報道ステーション』終了直後の古賀茂明氏に岩上安身が緊急直撃インタビュー!降板の内幕を衝撃暴露
田中龍作ジャーナル2015年3月30日「古賀茂明氏、単独インタビュー ~官邸編~

この中で古賀氏は「何もなくプラカードを出せばただの馬鹿ですが、官邸が個人攻撃をしてきているんです。菅官房長官が、名前を出さず、私を批判してきています。『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っていると聞いています。それは大変なこと。免許取消もあるという脅しですから。」として、菅官房長官が古賀氏に対する悪質な個人攻撃をしていると主張している。その根拠が後者の記事に記載されている。例えば、菅官房長官が側近と報道ステーションの話題に触れたとか、選挙前にテレ朝の篠塚報道局長が「選挙があるのに古賀なんか出していいのかな?」と言ったとか、官房長官の秘書官がテレ朝の報道局幹部に「ひどい話だね」とメールをしたとか、菅官房長官がぶら下がりのオフレコ会見で「俺は本当に頭に来た。俺だったら放送法違反って言ってやったのにな」とか、その様な話らしい。

ただ、これらの根拠はどれも希薄なものばかりである。古賀氏に情報をリークする者は全て古賀信者なので、そこに大分バイアスがかかったものになるのは言うまでもない。もし真っ当なジャーナリストを自負したいなら、そのバイアスをキャンセルする作業を自分の頭の中で構築できなければならない。バイアスをキャンセルした上で、異なる立場の方々を均等に取材し、それぞれの言い分をかみ砕いて裏取りをするのはジャーナリズムの最低限の掟である。たかだかその程度のことができない人には、公平・公正で論理的議論に耐えうる発言は期待できない。非常に政治的に偏った者の発言を一方的に垂れ流すのはテレビ放送が縛られる放送法という立派な法律で禁止されており、特に選挙期間中などにその様な者を出演させれば、放送局からすれば免許取り消しの危険すら避けられない。必然的に、選挙期間という危険な時期に危険な人物を出演させることは放送事業者にとっては死活問題なので、放送局の自己判断としてその様なコメンテータの出演を避ける権利は認められている。当然、ペーペーの社員なんかではなく、経営責任が問われる報道局長であれば、政府からの圧力などあろうとなかろうと、自らの会社が法律違反を起こして放送免許を取り上げられる危険を冒さない責任が問われる。逆に、明らかに放送法違反となるような事態に「とんでもない放送法違反だ」と発言する権限が閣僚には存在しないというのも変な話で、表現の自由、思想信条の自由の視点からすれば、明らかに筋違いで悪質な恫喝行為でない限り、思ったことを発言する権利は時の官房長官や総理大臣にもあるはずである。しかし、その様な権利を認めず、放送法も完全に無視をして、それで自分の権利を一方的に押し通すところが凄い。この辺を、宇佐美典也氏がブログで綴っていた。

宇佐美典也のブログ2015年3月29日「I am not KOGA
宇佐美典也のブログ2015年3月5日「古賀茂明氏がテレビから追放されたのは当たり前の話

ここでは放送法も引用しながら解説を行い、特に古賀氏が自分の専門外のことに関して、個人的な意見やデマをさも真実であるかのように断定的に語る罪深さを糾弾している。一般に、報道ステーションでは同時に複数のコメンテータを呼ぶことはない。古賀氏の場合にも、一人で番組に出演していることが殆どであろう。であれば、彼が個人的な意見やデマを一方的に発言しても、それに異を唱えるバランスを取るコメンテータはいない。古館氏は時折、フォローをするのだが、そのフォローにも限界があり、仮に最後に一言「その様な見方をする方と、また別の味方をする方と、様々な方がいます」と言ったとしても、それが報道番組である以上、多くの人は古賀氏のデマが「嘘」である可能性を読み取れる人は圧倒的に少ない。あれだけ古館氏が烈火の如く怒らなければ、そこに「何かある?」と感じることはまずないだろう。

さて、この宇佐美氏の指摘する放送法だが、多分、この放送法の意図するところが分からない人もいるだろう。少し噛み砕いてみたい。この宇佐美氏のご指摘の様に、放送法では政治的な偏りのない公正な報道が求められている。一方で、例えばアメリカなどではメジャーな新聞紙が政治的な偏りを持って報道を行っていることは有名である。社説などでは堂々と、支持政党の側を評価し、対立陣営に厳しい指摘をしてもそれが事実に基づくものであれば何ら問題はない。しかし、放送法は明らかにこれとは異なり、異なる対立する意見があれば両論を併記することを求められる。これは何故か?イマイチピンとこない人がいるかもしれないが、放送の電波というものは「資源」なのである。例えば携帯の電波などは携帯事業者は喉から手が出るほど欲しい訳で、先行したドコモやauなどが比較的遠くまで届く低い周波数帯を独占的に利用していた中で、ソフトバンクはようやく低い周波数帯を手に入れ、これを「プラチナバンド」と言って大々的にCMを打っていた(今では誰も言わなくなったが・・・)。この様に、無線の周波数には限りがあるので、それをどの様に皆で使い分けるかが課題となる。日本では総務省が電波行政を握っていて、ある周波数帯を開放する場合には公募にかけて希望者を募り、免許の付与に適当であるかを審査し、その周波数の使用許可を与えている。しかし、例えばアメリカなどでは電波の使用権をオークションにかけたりする。高いお金を払う事業者にその周波数帯の使用権を認めるのである。一時期流行ったこのオークション制度も、最近は金額が過剰に高騰して問題になりつつあるほどだが、では何故、そこまで高いお金を払ってまでその周波数帯を勝ち取りたいかといえば、そこで「商売ができるから」である。つまり、商売をするのに利用できる資源としてその周波数があり、オークション制度か公募制度かは別にして、公平・公正に電波の使用権を管理するのが総務省なりの仕事になっているのである。

ここでテレビの放送電波というのは携帯のプラチナバンドよりも更に周波数が低く、それ故に非常に遠くまで行き届く。プラチナよりも価値があるから「ダイヤモンドバンド」とでも呼ぶべきであろうか・・・(誰も呼びはしないが)。テレビ放送を流せばそこにスポンサーが付き、CMやら何やらで大きなビジネスができる。主要放送局の社員の給料が非常に高額であることは周知の事実であり、それだけの給料が払えるということは、そのテレビ放送用の電波の使用権がどれほどそのテレビ局に恩恵を与えているかが分かる。しかし、有限の周波数資源だから誰もがテレビ放送に参入できる訳ではなく、その特別待遇故に、放送法ではその利益の一般国民への還元として、国民にとって有益な情報提供として、公平・公正で政治的な偏りのない情報伝達を義務化しているのである。インターネットの様に誰もが自由に情報発信できるサイバー空間では別に特別扱いなどされていないから、別に政治的な公平性は求められない。出版会社についても、そんな免許制度がある訳ではないので、余程の社会への損失を与えるような出版社でない限り、出版の自由も補償される。しかし、濡れ手に粟で放送電波の使用権を認められた放送事業者は全く別なのである。その辺の事情を元官僚のくせに分からないというのは、何とも古賀氏はアマチュアな電波芸人なのだろうと頭をかしげてしまう。

また若干補足すれば、古賀氏が絶賛していた前述のテレビ朝日の放送プロデューサーとは松原文枝氏という方らしいのだが、このプロデューサは先日もBPOから明らかに視聴者に誤った印象を与える不適切な編集が行われたと指摘された報道の責任者である。私のブログでも「驚くべきテレビ朝日『報道ステーション』のホットな捏造報道」と題して紹介させて頂いた。私の感覚では、相当、サヨク側の人々であっても、あの内容を見れば「責任を問われて更迭されてもおかしくはない」と感じるだろうと思うのだが、古賀氏はそのプロデューサを絶賛している。ついでに言えば、後藤健二氏の誘拐・殺害で中東での日本人への危害が予想される中で、現地に駐在する日本人やその家族は、そこに日本人がいるという事実をなるべく敵に知られないように気を使っている。しかし、報道ステーションでは中東の国ごとに邦人数をご丁寧にリスト化して紹介している。それどころか身の安全を考えて取材拒否をする日本人学校に対し、名前を出さない代わりにそれが何処であるかが分かる様な映像を垂れ流し、邦人の身に危険が及ぶお膳立てをしながら「日本人は怯えながら生活している」的な報道をしていた。これも同じプロデューサーのもとでの報道である。常識的に考えれば、明確な更迭でなくても、人事異動が発令されてもおかしくない状況であろう。古賀氏は「更迭はおかしい」と言うが、自分が経営責任を有しない会社の人事に横から口を挟み、しかもそれを公共の電波で一方的に垂れ流す権利が何処にあるのかが不明である。真っ当な判断力を持ち合わせているとは思えない。

その後の続編として、月曜日の報道ステーションでは番組途中で古館キャスターが謝罪を行った。

BLOGOS 2015年03月30日「『ニュースと全く関係のないコメント』古舘氏、古賀茂明氏の発言について報道ステーション視聴者にお詫び

これは妥当な行動だろう。私も番組の最初からこの様な謝罪があることは予想していたので、どの場面でどの様に謝罪するのかと見入ってしまった。あれを見ると、大多数の視聴者は古賀氏の発言に疑問を感じる様になってくれるかも知れない。というか、そう期待したい。

さて、ここまで書いてきて、ここからが本題である。まず、何故、彼はこの様な掟破りをしたのか、そして彼の様なサヨクの論陣に共通する特徴についてまとめておきたい。

まず、下記の2件が彼の行動の解説をしているようなので、それを引用してみたい。

ニュースの深層 高橋洋一2015年3月30日「脱藩官僚いろいろ。古賀茂明さんの「『報ステ』内幕暴露」で考えたこと
長谷川豊公式ブログ本気論本音論2015年3月29日「まぁ…古賀さんの勝ちかなぁ…。

最初の高橋洋一氏の記事は、非常に抑えた記事となっている。古賀氏を断定的に否定するのではなく、「私のやり方とは違う」と解説している。この中で高橋氏はまずコメンテータの役割というものを解説している。古賀氏はガンジー氏の言葉を引用して「言いたいことを黙ってちゃいけないんだよー!!」と自らを正当化しているが、それはインターネットや活字メディアで好きなだけ実現できるので、公共の放送電波を使って一方的な自己主張をぶちまけるのは(放送法違反に加えて)契約違反と言える。そして、高橋氏が論理的な証拠に基づく議論を尊重するのに対し、古賀氏は倫理観を視聴者に訴えて、その(宗教的といっても良い)倫理観に賛同する者を増やす布教活動を尊重している。おのずとアプローチが異なるので、実際の行動も異なるのである。後者の長谷川氏の記事のタイトルにもある「古賀さんの勝ち」というのは、ある種の逆説的なタイトルである。古賀氏の発言を全否定し、「コメント」する仕事のはずなのに「コメント」せずに暴論をぶちまけて、150人位の番組制作チームの作品(番組)を台無しにして、それでも「日本人はリテラシーの能力が絶望的に足りないのであんな古賀さんの言うことを真に受けて信じ込む人が少なくないんです」という悲しい現実を振り返れば、一般市民のリテラシーの向上は急務である。なお、この辺の古賀氏の(ビジネス)戦略を解説している記事もあった。

アゴラ2015年3月29日「古賀茂明さんはABEではなくAPE!(渡辺 龍太)

報道ステーションの視聴率の高さを考えると、例えば1千万人以上の人があの番組を見ていて、その中の仮に1%の人が古賀氏の行動に共感したとすれば、それだけで10万人ということになる。これらの人が彼の執筆した書籍や講演会に参加すれば、それだけでも彼は食っていけるので、その意味では電波芸人が文筆(ないし講演会)芸人に成り下がっても、十分に彼は自らの商品価値を高められるのである。決して過半数の視聴者の共感などいらないのである。この共感を得るのにうってつけなのが「殉教者」イメージの演出であり、今回の報道ステーションからの追放?演出で、それに半ば成功したことになる。この辺が長谷川氏が「古賀さんの勝ち」という結論とした所以である。ノイジー・マイノリティの声の大きさが一般人の100倍であるならば、全体の1%を抑えればそれで社会的には拮抗した印象を与えることができるのである。これが彼のやり方である。

そして最後に、彼の様なサヨクの論陣に共通する特徴について、同じく長谷川氏が下記の記事で指摘している。

長谷川豊公式ブログ本気論本音論2015年3月30日「『言論の弾圧』? 笑わせる

長谷川氏曰く、彼らの様に「言論の弾圧」や「圧力」を声高に叫ぶ人々は、「決まって、先に暴言を吐いている(もしくは間違った解釈による事実と違う話を拡散している)んですよね。」ということである。つまり、最初に「反論」や「抗議」を受けて然るべき暴言を吐きながら、正当な言論活動の中で反撃を受けると、それが「弾圧」や「圧力」に化けてしまうのである。これは先の高橋氏のご指摘の様に、「倫理観」とは一種の価値観であり、言論が多様な価値観を尊重するのと同様に、(本来は「倫理観」とは「共通認識」や「常識」的なニュアンスが伴うはずであるが)彼らの主張する特殊な「倫理観」は単なるひとつの価値観でしかなく、1%の共感者が現れれば、声を100倍に増幅して発言し続ける限りにおいて負けはしないので十分なのである。論理的に「反論」や「抗議」に反駁するよりも、それが「弾圧」や「圧力」であった方が好都合なので、何処まで行っても論理的な議論を避ける傾向がある。上述の宇佐美氏のブログにも書かれていたが、古賀氏は完全に自らの規定する「”正義”」に酔っており、その根拠の提示や公平公正な議論と言った民主主義の根幹をすっとばかし、民主主義を軽視する行動を取っていると言わざるを得ない。

そして、この様な「正義」に酔った行動は、思い出してみると何処かで聞いた様な記憶がある。それは何か?

ニュースの深層 長谷川幸洋2015年3月30日「集団的自衛権巡る左派勢力の主張とかつての軍国主義の思考様式がそっくりである

これは古賀氏と直接関係ある話ではないが、長谷川幸弘氏が自分の所属する東京新聞の社説に噛みついた記事である。ここでは長谷川氏は、日本の軍国主義の時代には、当時の軍部がその時の情勢分析を何度も間違えて、結果的に戦争にまっしぐらになったと指摘している。少し論点がずれているかも知れないが、「自分だけは絶対的に正しい」と思いこんだ人の暴走が、結果的に日本を戦争に導いたということである。実際、朝日新聞も毎日新聞も、別に当時の軍部から戦争を称賛する記事を書けなどと圧力を受けた訳でもなく、それでも「勇ましいことを書くと新聞が売れる」という価値観で、国民を戦争に駆り立てるような戦争賛美の記事を書きまくった。彼らは当時、それが「絶対正義」だと信じて疑わなかった。それが戦争に負けると、自らの行ってきたことの総括をせず(というか、総括をするということは会社をたたむことに繋がる)、当時の右翼の真逆の左翼を志向することで、免罪符を得ようとしてきた。その流れが現在まで脈々と受け継がれてきている。彼らの、自分たちの思想が「絶対正義」だと信じて疑わないその様が、論理的な議論を阻害し、一般国民に対して印象操作をすることに徹する「戦争当時の軍国主義」に限りなく近いのである。価値観を戦わせるならまだ良いが、一般国民を洗脳することに全エネルギーを注がれてはたまらない。

色々書いてきたが、今回の報道ステーション古賀暴走事件に関する一連の流れの中で、現在の社会の典型例を見たような気がする。やはり、報道に対する一般の方のリテラシーの向上が急がれる。

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