私はこの世に何を為せたのだろう。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

生きるのがやっと。食べるのが一大仕事。

そんな日を過ごしています。


テレビの男性ニュースキャスターが、最後に「命を守るために、(各自エアコンつけてください、のようなこと?)」を言っていた。


先日、私は自分にあるまじき醜態をさらしてしまいました。

夕方、頭皮も体も熱い。シャワーを頭に浴びせたりしつつ食事の準備をしていたら、もう、頭がどこかおかしくなってしまった。ものを手に取る、置く、を繰り返す。「もう、私だめ。救急車呼んで」とむろやんに再三お願いしたが聞き入れてもらえず、ノーブラ、はだしでお向かいの家によろよろ駆け込んだ。

道路で仰向けになって首の後ろにアイスノンあててもらったり、冷たく冷やした小豆粥に塩かけて道路に腹這いで食べたり。むろやんは周りにへらへら笑うばかり。

一時は落ち着いたのだけど、またパニックがぶり返して、夜、救急病院に行くことにした。もしかしたら入院かも。私これで死ぬのかも。入院に必要なものをかろうじてかばんに入れていく。車の中でももう限界に苦しい。やっと病院に着くと今度は歯がガチガチと鳴る。それでも手当てはされないのだ。

こちらから保冷剤を頼み、左胸に当てる。ソファーの冷たいところに仰向けになる。ベッドは満床だと。
 
首の後ろにも冷たいボトルを当てて仰向けになっていると幾分か落ち着いてきて、診察受けて終わり。看護師さんにも届かない恐怖。周りの誰も、頼れない。

翌日、心療内科に行こうとして電話をかけたが通話中でなかなか通じなく、車で近くまで行き、待ち時間、のつもりでショッピングモール内のマッサージ屋さんでマッサージ受けた。

がちがちになっていた背中はほぐれて、後にいただいた飲み物も温かくてよかった、と思ったのだけど、その後体がもうとても「やれない」感じで、誰もいない床にスタッフに断って仰向けになった。がんばって靴下とカーディガンを買ってきて、マッサージ屋さんで足湯をお願いして、受付嬢に仰向けになれる場所がないか相談したり。

最終的にはスタッフルームの畳のある部屋でカイロを体に貼って一時間休ませていただいた。自宅で営業している酵素風呂が恋しくなった。

駐車場へ向かう階段が、もう悪夢の中のよう。脳がぐだぐだだった。

周りの人たちが、遠かった。自分は、生きて世の中を謳歌している人たちと隔てられたところにきてしまった、と。死者の側。帰りの車の運転は、怖さを消すために一生懸命、歌を歌って自分を励ましながら。

車で自分で動けるようになった、暑ければエアコンのあるところでゆっくりしていればいい、と思っていたのが、まるで出来ない体になっていた。

体の深奥が冷えきっているようだと分かった。靴下二枚重ねばき、毛糸のパンツと膝にはレッグウォーマー。お腹にカイロ。

ストレスで自律神経狂ってしまってて、暑さ寒さを調整できなくて、血行も悪くなってて、エネルギー不足の状態。寒さや疲れを知覚できないほどに脳も疲れきってて、体も消耗しきっている。

心療内科にこちらからお願いして薬を増量してもらい、やっと普通に近くなる。

用事は4つ程キャンセル。申し訳ない。

目と耳は幸い使えるようになって、体も多動の状態からじっと寝ておれるようになったので、買っておいたキットに着手した。シュタイナーの糸かけ曼陀羅を2日かけて。 




去年、静岡のお世話になった方に存在を教えていただいた。その後岐阜でワークショップやっているのを知った。富山には情報届かない。キットは去年なんとかAmazonで入手していたもの。もうブームも過ぎたのかな。やっと、着手した。

追記: 日本糸曼陀羅協会に問い合わせすると、夏休みを迎えてキットの制作で大変らしいです。静かに広がっているのでしょうね。

エアコンなしの部屋で自然の風を感じながら聖歌を聞きつつ、計算して糸をかけていくのが、なにより涼しくて、平穏、ピースフルで心地よい。右脳左脳のバランスが取れる、そう。


綿棒多面体と同じく、私に近しいツールです。画像を調べるとずいぶん、複雑なものがある。もう少し複雑なパターンをやってみたいです。


この暑さはハワイにいるようなものかも、と思って調べてみたら、まさかのハワイ26度。ハワイより暑い。沖縄もそんなに暑くはないようですね。岐阜が暑い。バンコクの年中40度でも、こんなに苦しくはなかったと思う。



昼間にコウモリがメチャクチャに飛び回る。

草野心平の詩に出てくる言葉が沁みる。自分が昔にこれを書いたのかと思うくらい。言葉を拾うと、こんな感じ。

劫初からの時間の中で。

オ母サン。サヨナラ。

その頃自分等はこの世に生まれてなかつた。

暈(かさ)のかぶった両眼にいまぼんやり見えるのは涯(はて)しらぬ土と天である。

それは二十世紀も半ばを過ぎた或る年の春

羅紀(じゅらき)以来。

いまはもう早く無機物になることを希いながら。
最後の地上の毎日を。

宇宙創成の億億年。


夏川りみの「童神」も、昔二胡のライブの時「赤ちゃんも泣き止むという……」と説明したけど、今本当に、心臓に届く音、声。

朝日歌壇より。

唸り声上げれば呼吸楽になるライオンになるオオカミになる
(長崎市)横山 隆

促され今際(いまは)の妻の足洗へばあらはれわたる柔肌たふとし
(仙台市)二瓶 真


死は、常にそばにあります。

私は、この世に何を為せたのだろう。もうやり尽くしてしまったようでもあり、まだ1つものこせてないようでもあり。


聞く歌は、結局恋愛ものから世界平和を祈る歌のものになる。

どうか、苦しい思いをする人や動物、植物が少なくありますことを。