精妙な幸せ。 | 富山このはな酵素風呂 麻蓬(まほう)

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身辺雑記。

体はよくなっているのか、全身衰弱して悪化しているのか。

まだよく分からない中でごめんなさい。

もう、ダメなのかなぁ、とふっと思ったり、もう人との最後になるかも、別れの言葉を伝えなくては、言いたいことは伝えなくては、と思いつつ言葉を紡いでいます。


花火大会も行けなくて。テレビ中継で。


人の顔、ポセイドンのように見える松ぼっくりのかけら。

疲れやストレスがたまりすぎていて、眠る体力すらなくなったのか、睡眠薬も効かなくなってきました。少しだけ増やしてみても深い長い眠りは得られない。そんな状態になってから2週間たちます。パニック発作も1日2回起こったりする。お風呂に入れなくなったり。


昨日は越中おわら道場の後期講習1回目でした。富山市民芸術創造センター。

無事、参加できるのか不安な中。何回か仰向けになったりしながら、予期発作も飴をなめてなだめながら、なんとか。

終了後、近くの公園の駐車場に車を停めてもらい、熱く焼けたアスファルトに仰向けになって、人心地を取り戻しました。  


暑さが落ち着いてきたのですが、一昨日から息するのが苦しくなってきた。

体内と外界との境界、輪郭の形成を保つのが難しい。


自宅に帰ってきて、畳に仰向けになる。今は本当に、畳となかよくさせてもらってます。

苦しさがここまで極限に追い詰められると思考の変換を強いられる。それがありがたい。

どうにもならない苦しみによって、考え方を改めなくては生きていけない境地になるのがありがたい。

思った様々なことを、むろやんをそばに呼ん話しました。アスペルガーなので、あらかじめ返事の台本は与えておいた。

とつとつと私は話し、むろやんは「そうだよ」「そんなことは、ないよ」と、ぎりぎりなんとか台本から外れつつも返してくれる。

心のしこりが、とけた。左胸の奥が、ずっと緊張したままだったのが、溶けて、全身の手足の先まで血が回り始めた。

今まではカイロや電気マット、足湯、酵素風呂、温泉、焼けたアスファルトに横になる、などで体をなんとか外的に血流をよくしようとしていたのが、内面から温かくなった。

あまりの心地よさに、しばらくずっと横たわっていた。

半年ぶりか。

10ヵ月ぶりか。

両腕が自分のものになった。

この体、砂金をすくう網のようだな、とも思う。

なくなることはとても大事なことで、初めて次の、素晴らしいものに出逢えるのだな、と。

解脱した、魂の皮が1枚はがれた喜び。

顔もまた、浄化された感じで変わったと感じる。鏡見なくても分かる。

今、私は舞踏家だ。

命を日々繋ぐのが精一杯だけど、立派に「舞踏」になっている、と思う。



ブドウの、中の種子が光に透けて見える。

田舎のまた田舎なので、何もない家から車で30分行くと、やっとスーパーがある。都会のそれとは比べ物にならないけど。

車の窓から眺めつつ「ここになら、何でもあるから」、とふと思ったけど、いや、私の欲しいものは売っていない。

私の一番欲しいもの、例えば健康や命、絆、安心感。

そういったものはお金では買えない。だから、お金を稼ぐことにも関心が持てないでいたのだ、と分かる。

権力も、名誉も、どんなお金持ちで地位があっても人を幸せにしないのを小さい時から知っていた。

今私の感じる苦しみの中での、つかの間の気持ちよさは5億円持っていたとしてもどこにも売ってないです。




この世の「幸せ」を「商業的」にはなにも享受できない身ではあるけれど、

3次元的にはほぼ「向こう側」のヒトの状態だけど、別の幸せが今、感じられる。

精妙な、この幸せの方が、いい。




滝社の、滝。岩が、どれくらいの歳月をかけたのだろう、穿たれて洞に。滑らかになっている。