再考をする 10 2021/8/5~2021/8/24 | 藤原航太針灸院

藤原航太針灸院

痛み・痺れ・麻痺・自律神経症状の難治例の検証と臨床

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日本は何人死んでも変わらない国です。ここ最近はむしろ殺しに掛かっていますし、立ち上がろうにも足払いを喰らわせてきます。そして日本の医療裁判は患者側は常に不利で、致死量超えの薬物を投与されて死んでも、「皆もやっているから」を理由に遺族に負けを伝える事例があるほどですから、一度具合いが悪くなった場合、自分の身体の問題だけではなく、社会的にも不利な立場に置かれ続ける可能性が高くなります。

 

このような状況ですから、元気に生きるにはどうすれば良いのかの回答を求めても、そもそもそこには答えが存在せずに余計悪くなる可能性もありますし、変わることはないと思って生きたほうが健全かもしれません。

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私は2002年、24週と4日、814グラムで生まれた早産時の母親です。私は子供を出産した国立○○の○○科で治療を受けました。当時は育児相談に訪れた○○科が精神科医だという事は知りませんでした。次々に向精神薬を投与され、日常生活にも支障を来すようになりました。主治医に「貴女は精神障害者だから」と言い渡されたショックは今でも忘れる事が出来ません。

 

小さく生まれた子供を育てるには、様々な試練があります。当時の私は育児に悩んでいましたので、うつ状態、或いは軽度のうつと診断されてもおかしくない状態だったと思います。しかし、私は精神科医の治療を望んではいませんでした。何故なら、精神科は薬物治療が中心だと思っていましたし、自分でもそこまでの治療は考えていなかったからです。○○科という名前は育児の悩みを聞いてくれる所だとばかり思っていました。

 

不安の原因は未熟児の育児に関して正しい情報が少ない事や、福祉や教育の不備面です。これらが、薬によって治るものではありません。全てを心の問題にすり変えてはいけないと思います。私は受診してから一ヶ月で3剤に増量され、最終的には4剤を処方されました。勿論、量も増えていきました。薬の副作用でフラフラし、階段から落ちたり、色が変わって見えたり、決して状態が良くなった訳ではありません。

 

息子が生まれたのは8月6日でした。奇しくも広島に原爆が投下された日です。テレビ画面に映し出された原爆投下の悲惨な光景と、その中で力強く生き抜いていく人々の姿は、私に生きる意味を深く問いかけました。幼い我が子を守る母親の姿は、極小未熟児で生まれた息子と、出血多量で状態が悪い自分と、どこか重なって見えました。「どんな過酷な運命にも負けず、貴女は自分の人生を精一杯生きなさい」と言われているようでした。

 

私達親子は、最新の医療によって命を助けて頂きました。取り上げて頂いた産科の先生や、その後を引き継いで救命して頂いた新生児科の先生の姿は今でも忘れられません。息子には呼吸障害や未熟児網膜症があり、ミルクの誤嚥による呼吸停止や胆石等、2回の救急搬送含め、何度も命の危機がありましたが、その度に助けて頂きました。幸い、現在は小学4年生となり、毎日元気に学校に通っています。それらを思い返すと、感謝の気持ちと共に、日本の医療の素晴らしさを実感しました。

 

しかし、同じ医療でも精神医療は全く違うものでした。患者の人権が蔑ろにされている世界でした。精神医療では、診断そのものが正しいものか分かりません。診断名も都合の良いように変えられ、薬の副作用で起きた体調悪化まで私のせいにされました。死に至る重大な副作用があっても亡くなった方は訴える事が出来ません。

 

また、自死遺族が訴えても「ウツは元々死に至る病だから」と言われ議論になりません。多剤大量処方で中毒死した被害者のご遺族には「薬を欲しがる中毒患者だから」という聞くに堪えない言葉が投げかけられます。例え被害者本人が訴えたとしても、精神科の通院歴の為に、差別や偏見、言葉では言い尽くせぬ数々の困難が待ち受けています。日本は人が死んでも変わらない国です。後何人死んだら変わるのでしょうか。

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「発信内容から学ぶ相手の困り度合いと、反面教師としたい点」

 

 

こちらの貼り紙を書いたヒトは、このヒト自身が困ったなぁ、どうすれば良いのかぁ、と思った末の文面と推測出来ます。仮にその個人が匿名ではなく名前を名乗り、その個人だけが困った書き方をすると、書いた個人が反撃を受ける可能性がある為、「知事」「皆」「小さい子」「高齢者」を盾に用い、反撃を回避しようとしています。少し分かり易く書くと、知事というヒトが言っており、自分が言っている訳ではない。皆が困る、小さい子や高齢者がいるからも同様、自分が困っているのではなく、身体的にも弱者傾向のあるヒトらも巻き込んで皆が困っているとしています。

 

また、一部分だけ「知事がテレビで言ってるでしょうが!!」「知ってるのかよ!!」と、語気を荒げて圧を掛けようとしています。このように「です」「ます」調の表現を部分的に変えることで、当該部分を際立たせることが出来ます。ほか、不安を抱えているヒトの発信内容は、不安を不安のまま発信するだけではなく、不安を攻撃性に変換して表現してくる場合も多いと思います。ここまでをまとめますと、

 

1)匿名であること

2)自分が言っているのではなく、自分ではない別なヒトが言っていると言う(またはヒトではなく組織名を挙げる)

3)皆が困っていると言う

 

この3点を言葉や文章に混ぜて発信している場合、このヒト自身が困って迷ってどうしよう的な不安、または攻撃状態に陥っている可能性が高いと思いますが、実際のとこ上記3点を交え、ネットでも現実でも言葉や文章や動きで発信しているヒトは予想以上に多いと思います。反面教師としたい点は、この3点を交えると、誰かが言っていることに追従するだけの相当弱っている状態の裏返しというか、責任回避能力を磨き上げる為に時間を費やすだけのヒトになりそうで、この時間なに?と後悔しそうです。

 

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飲んでも止めても死にたくなる薬物を承認している厚労省が、例年通り9月10日から16日に掛け、自殺予防週間を始めると思います。死にたくなる薬を承認しておきながら、「死なないで」と同じ窓口で言われるのは、その姿勢に強い精神的ストレスが掛かりますが、案外どこにでも似た事例は転がっていると思います。

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必ずしも全ての自殺者が向精神薬を原因としているとは思っていませんが、自殺者の約70%が精神科の受診歴があること、向精神薬の処方率は精神科/心療内科が35%程度で、残り65%は他科である為、知らず知らずのうちに服薬している可能性があること、自殺と定められた死に方以外にも不審死とされた死に方も十分の数があること、服薬による突発的な呼吸抑制や心肺停止による死に方で、異なる死因名となる場合もあること、

 

毎月2000人前後が精神科病棟から死亡退院していること、合法薬物での死は薬物が原因とはされ難く、服薬契機となる疾患名や障害名が死を呼んだとされること、また、薬物による攻撃性の助長で殺されているヒトもいること、これらの状況を考えると、相当な割合いで向精神作用の薬物が入り込んでいると推測されます。

 

中枢神経での異常は上記状態を惹起する精神症状に限った話ではなく、身体症状も同様ですが、そのヒトそのものとなる中枢神経で異常が発生した場合、多くは自律が利かない状況になりがちで、結果論としての症状群は自己コントロールが困難で、いつ終わるか分からない波が常に押し寄せ続けている、相当厳しい時間を送り続けることになると思います。

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ただ、自分の健康問題を考えていては生活が成り立たないと思います。それが趣味だったとしても、健康問題を考えては出来ないことも多くあるでしょう。その為、健康を犠牲にするのは自然なことだと思いますが、自殺理由の1位が健康問題です。具合いが悪くなってから初めて、自分の身体がちゃんとしていなければ何も出来ないことに気が付いたり、元気であることの尊さを実感するとは思うのですが、「死なないで」「元気になってね」と言われて出された薬物で、多くのヒトが死んだり、または命を取られなくても社会的に死んだりしている事実に目を向けるのも大切なことだと思います。

 

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「解剖的死腔と筋細胞の高度な弾力、脊柱の構造異常による筋細胞の走行変異や高密度化による針刺し行為のリスクを考える 2」

 

前項では構造異常による走行変異で惹起された刺針抵抗の異常に触れましたが、この度は術者が知らず知らずのうちに刺針抵抗を高めていないか、また、それに関連するリスクを考えます。ヒトとは恐ろしいもので、右も左も分からないピヨピヨ期に覚えたことほど、それが正しいと思い込んでしまう悪いクセがあるので、常に見直しを掛けていく必要があります。

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注射針と針灸針では根本的な目的が異なる為、後者は針尖に丸みをつけ、神経や血管の穿刺を構造上から前以て予防しています。また念の為ですが、前者は血管や神経を穿刺して薬液を放ったり抜いたりする行為の目的もある為、鋭利に作られています ※写真)。もちろん後者とて手荒に操作すれば、神経穿刺や血管穿刺の可能性はあるものの、この点は術者の取り扱いかた次第ですし、術者によっては敢えて神経を穿刺してグリグリする方もいる為、術者依存の条件は除外したうえで話を進めていきます。前項では ※1)

 

>>椎体や椎間板の摩耗や圧壊、突出や滑り等の存在は、筋細胞の走行変異や、重力や体重問わず、垂直や斜めの構造異常を理由に押し潰されている状態が継続

 

と、上述部分では脊椎の構造異常で、筋細胞(厳密に言えば靭帯や血管、神経その他も全て、走行が変異する可能性はあります)の走行変異で弾力性の高度化が見られた結果、刺針抵抗性にも異常を示す点に触れました。起始停止の距離が常時縮まっている為(拮抗側は常時伸張を示す)、筋細胞の密度に変化が発生しているとイメージすれば早いかもしれません。

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ここまでは相手側の構造上の理由で刺針抵抗が増している例です。では術者側の理由も考えます。針を刺すにあたっての取り扱い方で刺針抵抗が増す理由もないかと考えると、押手の圧(押圧)による走行変異で発生する刺針抵抗増大の可能性です。この点は、以前の私が思い込みに近い感覚で始めた押手だけニトリルグローブを着ける理由まで振り返る必要があります。5年ほど前から私は押手だけグローブを着け始めたのですが、その理由は衛生面の観点ではなく、刺針部位の皮膚を伸張する為のグリップ力稼ぎを理由としています。

 

素手の場合は汗等で滑りが気になり集中力が削がれる為で、グローブを着けることでほぼほぼその点は解決した他、副産物的に術者側の手荒れや爪で皮膚を引っ掻く等もなくなりました。それまでは事前に爪やその周辺も全てヤスリ掛けしていましたので、その手間がなくなったこともメリットでした。また、1年ほど前より両手にグローブを着けるようになりましたが、刺し手にグローブを着けることで片手挿管が出来なくなったものの、針(ステンレス)とニトリルのグリップ力の相性の良さに、素手と比較すればより細長い針も用いやすく、使い勝手があがったことで、体力の消耗が随分減ったことを記憶しています。

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このような流れで、当初は皮膚を伸張する為のグリップ力稼ぎにグローブを着けるようになったのですが、皮膚を伸張させようと思うと、皮膚にグローブを接触させた後、1指と2指で押し広げる力を加えることになります。文字通り「押して」「広げる」力が入ります。そうなると部位にもよりますが、多少の沈み込みが発生します。臀部等であれば数センチは余裕で沈みます。沈み込みの発生はイコールとして走行変異と高密度化の助長の可能性で、術者自らが刺針時の抵抗を増大させている可能性に気が付きます。

 

また、なぜ「広げる」行為を取っていたかと言えば、「刺針部位の皮膚を伸張すれば切皮痛が軽減される」という思い込みの問題です。厳密には皺が寄って弛んだ部位の場合は、皺の厚み=皮膚の厚みですから、皮の距離を短縮させる為には多少の「広げる」行為が例外的に必要な部分はあるものの、「皮膚を伸張したから切皮痛が軽減される訳ではない」ことに気が付きます。

 

ほか、「押して」の部分は「押したまま」刺針部位まで針尖を運んだ後、「押したまま」の手を離せば「押した」ぶんだけ戻ります。針は身体にとって異物の侵入の為、筋細胞が生理的/自律的に収縮して排除しようと機能します。結果、押したぶんの距離だけ戻ってきます。そうなるとそれは刺したい部位に刺さっていないを意味する為、その可能性をゼロにするには「押さない」で針を刺すのが自然な結論になります※図)。

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ここまでをまとめますと、当初は「皮膚を伸張すれば切皮痛が軽減される」と思い込んだ末に始めた、押手のみのグローブ装着でしたが、アレコレ試しているうちに「切皮痛は皮膚の伸張度合いに依存しない」事に気が付いたものの、ニトリルとステンレスの相性は非常に良く(樹脂の針管とは相性が悪くてツルツルしますが…)、素手とは異なりグリップ力が各段に上がる為、細長い針も使い易くなって体力の消耗も減ることに気が付きます。

 

前も多少触れましたが、素手の場合は滑りやすいので刺したつもりが刺さっていない(針体を刺手が移動していただけ)なども減り、術者の爪や皮膚で患者の皮膚を引っ掻いてしまうこともなく、術者の手の冷えも伝わりにくい等もあります。より細々書けば、常に手は熱がこもっている為、発汗が著しく代謝が良くなったのか手がキレイになります。手指消毒も正確にはグローブを消毒している事になる為、手荒れが各段に減るなど、素手による刺針行為はデメリットばかりが目立つことにも気が付きます。

 

※1)https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4381202225304343

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4449527011805197

 

「解剖的死腔と筋細胞の高度な弾力、脊柱の構造異常による筋細胞の走行変異や高密度化による針刺し行為のリスクを考える 3」

 

アプローチ部位が筋細胞でなくとも、当該部位に辿り着くまでには皮膚や脂肪、膠原繊維、筋膜や筋細胞を何枚も貫く過程が必要です。この度は後述するシリコーンで封入体が形成された場合の全身状態のリスクと類似病態の完成型及び、炎症は伝播する性質を持つ為、封入体の形成部位が主要神経付近で惹起された場合のリスクを考えています。

 

異物が侵入した生体の筋細胞は、生理的に排除しようと収縮する機能により、刺入時より抜針時の抵抗が高いこと、異物の侵入による筋細胞の収縮機能は生理的な反応の為、切皮から刺入で惹起される疼痛自覚とは関係なく全者共通となること、全者共通であるものの、補足的に何らかの理由で筋細胞の抵抗が高い状態であれば、より可能性は高いと考えられるものの、この2点の要素で針体にコーティングされたシリコーンは体内に残留する可能性が考えられます。

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シリコーン自体は生体にとってほぼほぼ無害です。ただ、問題は「無害だから良い」という表面的な話ではなく、受け手側は生体となる以上、上記2点の理由で体内にシリコーンを残し、異物として認識した生体が体外に排除出来ずに包み込んでしまい(封入体の形成)、その境目で炎症反応が惹起され続ける懸念です。

 

理解を深める為に書き方を変えますと、その素材自体は生体にとって無害なものの、その素材が体内に留まった場合、生体が異物と認識して炎症反応を起こし続けます。継続的な炎症反応が生体にとって良いかと問われれば、決して良くないと思います。よりイメージが沸き易い書き方をすれば、残留部位によるものの、自己免疫疾患に近しい病態に近くなると思います。

 

また、炎症反応は伝播性がある為、組織間を越えて炎症を拡げ、主要な神経付近で継続的に炎症反応が惹起され続けた場合は、当該神経へのダメージと結果論の異常も懸念する必要があります。その為、上記リスクを回避する為には、コーティングされた針を使わないか、手持ちのアルコールで脱脂してから使うかの選択が望ましくなります。

 

シリコン針に慣れた術者視点に立った場合、いきなりノンシリコンの針を使うと、切れと滑りの悪さに戸惑う可能性と、滑りの悪さ故に素材理由の抵抗の増大による治療由来疼痛が高くなる可能性もありますが、その点は今とその後の安全面を考慮すると、理解してもらう必要があるのかもしれません。

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元々は刺入の際の針特有の痛みを抑える為に塗布されたシリコーンですが、当該物質は代謝されない(吸収されない)性質を持つ為、口から飲むのであれば出口はある為に殆ど問題はないものの、筋細胞等に残留して封入体が形成された場合、当該部位を中心とした慢性炎症とその伝播のリスクもある為、その不安を回避する為にはシリコン針を使わないのが望ましいと考えています。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4461738980584000

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4428349837256248 の続きです。 

 

自殺行為に至る過程が衝動性や焦燥感によるものだとしても、この手の薬物の標的レセプタは幅広い為、その反動となるネガティブな現象は自殺念慮や自殺企図に限らず、終始様々な症状で追い詰め続けられます。以下は参考までに当該人物が抱えていた症状と共に幾つかのエピソードを交えて見ていきます。 ※念の為ですが、こちらの方は下記エピソードを当時抱えていたものの、今は元気に過ごしています。あくまで当時の状況を振り返って頂いたものを、部分的に抜粋して掲載しています。

 

  【症状】約8~10年間、四六時中続く眉間痛・極端な嗅覚過敏。タバコの吸殻の中で生活しているような感覚・極端なイライラ感と思いきや極端な落ち込み感・体中の不規則な鋭い痛み・右首と肩のえぐられるような鋭い痛み・光過敏までは行きませんが太陽を見てその後ヒリヒリ痛むような感覚・極端な頻尿と極端な閉尿・極端な顔面蒼白と思いきや極端な顔面紅葉の繰り返し・針金のように曲がりくねる髪と地肌が見えるほどの逆立つ髪・精力全く無し・温度変化で突然の嘔吐・30分〜1時間おきの中途覚醒・何ヶ月も止まらない咳 

 

>>まるで二日酔いを起こさない強い酒を一日中飲んでる感覚です。

 

 >>何を考えるのも面倒くさくボーとしている。痛みは強いがどうでもいい考え。常にうとうとしてどこでも居眠りできる。どこでもハワイアンという気分で快楽という言葉がぴったり合います。 

 

>>そのころ出張が多くよく電車・新幹線に乗りました。〇〇から〇〇で乗り換え中に必ず不自然な衝動が出ます。意味も無く電車に突っ込みたい。気持ちよさそうだからとにかく突っ込みたい。

 

 >>どういう感覚?これは非常に難しい表現です。喜怒哀楽では「喜」の感じ。向かってくる電車は鋼鉄の塊には見えません。大きなスポンジの電車で飛び込めばフワフワで気持ちよさそう。こんな奇妙な感覚です。

 

 >>職場は5階にあり。トイレの窓を見ると飛び降りたくなります。その時の感覚は、5階から下を見ている感覚は有りません。1階の窓から下をのぞいている感覚です。ちょっと窓をまたいで外に出たい。

 

 >>その後も奇行は続きます。ちなみにランニングしても全く疲れません。20、30kmは普通に走れます。これは薬によるドーピング効果でしょうか? 

 

>>職場を出て行き近くの林をフラフラと歩いていました。首を吊る木を探していました。何故そのような行動を?とにかく消えたい。何故?解らない?とにかく首をくくりたい。それだけです。

 

 >>ある時怒りが収まらず机を叩き続けた結果、右手が青く腫れ上がりました。本当にささいなことですが数秒で怒りが勝手に数十倍に跳ね上がってしまいます。数週間しても腫れは治まらず整形外科を受診しました。医者:「これはボクサーでよくある骨折です。ボクサー骨折です。痛かったでしょう!!」私:「全然痛くないです」医者:「そんはずない!!痛いでしょ!!痛いはずだ!!」本当に全く痛みを感じなかったのです。 

 

>>とにかくブチ切れる。ちょっとしたことでブチ切れて所かまわず大音量で怒鳴りまくる。ネットの通販でも気に入らなければ脅しの文句を言いまくる。完全なクレーマーです。とにかく思考が一方通行で止まりません。怒り出したら永遠に止まりません。 

 

>>夜飲んで眠りました。出勤までは何となく覚えていますが、気づけば夜。家にいました。「???何で???」頭の中は???だらけです。全く記憶は有りません。翌日、周囲に聴くと調子悪そうだったのでタクシーで帰ったとのことでした。全く覚えていません。怖い体験をしました。 

 

 懸命な方であれば「向精神薬 自殺」で検索をしたと思います。概ね個々のオーバードーズの話題で占めていた事に気が付き、「あ、いわゆる睡眠薬自殺ね」で話を終えているかもしれませんが、実際は巷のベンゾではなかなか死ねないと思います。後味が悪くなるばかりか、その後の対応で無駄に増悪する可能性もあります。参考)https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4372488662842366 

 

酩酊状態で飛び降りたとか飛び込んだとか、車で暴走して崖から落ちたとか、そのような2次的なエネルギーが加算した死でない限り難しいと思います。薬のみで死ぬのであれば、先日ALS患者の嘱託殺人でも一時メディアに載った、際限なく抑制を掛けるバルビツール酸がいわゆる「睡眠薬自殺」の名を押し上げたものになると思いますし、実行力は高いと思います。 また、「ベンゾは安全、副作用なし、依存性なし」と表現する方もいますが、これは先代となるバルビツール酸と比較した話であって、ベンゾが安全で副作用なく依存性なしを意味するものではないと思います。ベンゾも十分危険です。

 

この手の表現はアドヒアランスの悪化を防止する為の表現か、本気でそう思い込んでいるか、何かの情報を鵜呑みしてかは知りませんが、死には直結し難いものの、死に難い代償として尾の引き方も凄まじいケースもあります。 実際は過感受性というか、キンドリングというか、どのような表現が適切かは分かりませんが、当該患者の服薬歴や服薬背景等によっては、数値の多少では推し量れない理由でこの手の問題が起きる可能性も十分にある為、数値上のオーバードーズで片付けられない側面もあります。その為、用量内だから安全というスタンスでスイッチングを繰り返すこともリスクになります。 

 

また、医療側にとっては前項の通り致死量超えの薬物投与でも裁判で患者は負けている前例が、今日に影響を与えていることが挙げられます。この前例は遺族にとって「致死量超えの死」を武器として闘えなくなったことも意味します。 患者自らが額面上で致死量超えの薬物を飲んで死んだとしたら、「睡眠薬自殺だね」と軽蔑的な発言で終わらせる割に、医療側が致死量超えの薬物を投与して死んだとしても「皆もやっているから」「治療で必要だったから」「前例があるから」で許される状況に危機感を持つ必要があると思います。 

 

先ずは個人や組織の発言だとしても、その発信内容は現場ベースから溢れ出た内容ではなく、多くは何らかの論文等々を引っ張って発信している為、現場感覚との剥離感の大きさに「違うよね」となるのはどの業界でも同じかもしれませんが、こちらも例外ではありません。 ただ今にして思う事は、このような現場ベースではなく論文ベースの内容で、教科書やマニュアル、ガイドライン、保険収載されていると思うと恐ろしくなります。この手の類は免責の材料にもなるので、これで幾らヒトが死のうが扱った側は許される可能性がある、という点です。 

 

他、ヒトが関わる学問はとにかく進むのが遅いです。間違いがあればそのヒトが死んだり後遺症を残したりと影響を与えるからです。その状況でトライアルアンドエラーの歴史があるのは重々承知の上ですが、エラーを無きものとする姿勢と態度があまりにも強硬な為、一層学問も進まずいつまでも不要な死が続いているのも現実です。

 

https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4467458840012014

 

日本は差別に溢れる国なので、各々の地域で感染者を汚れもの扱いしてイジメの対象としたり、自殺に追い込んだり、引っ越しを余儀なくさせたり、何処の誰が感染したとか守秘義務がありそうな情報をどこからか持ってきたりと、隣近所や家族にそのような差別思想が強いヒトが生息していた場合は気の毒でなりません。 

 

この手の問題はウイルスによって発生した訳ではなく、事あるごとに発生するヒト由来の現象なので、ウイルスが原因ではなくそのヒト個人の本能が原因と捉えられます。そして個々の本能は治せるでしょうか。 私は7~8年前までは何とかなるかなと思って模索していましたが、何ともならずに困ってしまって、ずっと年上の脳神経外科医に直接聞いたら「無理だよ」と言われて諦めました。

 

それで私の気持ちは楽になりましたが、別に問題が解決している訳ではないですし、今も世の中は差別に溢れています。 ただ、その本能的思想は治せない治らない可能性は高いものの、一応は社会的にも表面上であれば、誰しもキレイに「差別のないよう」と取り繕うことは出来ます。 しかしながら表面上で是正した我慢が継続する息苦しさを、時限爆弾のように抱えこませるだけか、陰湿化の悪循環に嵌るだけには変わりません。

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今日たまたまテレビでパラリンピックの話題を見ていたら、当該関係者が「共生」という単語を発していました。そういえばと記憶を辿ると、先日のやまゆり園でパラ聖火が中止となった際の発言に※1) ※2)

 

>> 「ご遺族などに寄り添う姿勢が足りていなかったと反省している。共生社会の在り方を見つめ直す機会にしたい」 

 

と、ここにも「共生」という単語がありました。恐らくこのような単語は「安心安全」みたいな持ち回り的な使われ方の可能性もある為、使った本人もあまり意識してない可能性もありますが、「共生」という単語に非常に違和感を覚えます。 ヒトそれぞれ違いがあって当然を自然に受け入れていたら、いちいちこのような単語を持ち出さないはずで、根底には差別思想が入り込んでいることを示唆し、ヒトの本能はどこまでも治らない表れと感じました。

 

※1)https://www3.nhk.or.jp/.../20210507/k10013017821000.html...

※2)https://www.facebook.com/kouta.fujiwara1/posts/4381078375316728

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