META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX,NOFOLLOW,NOARCHIVE" 脱「テレビ」宣言・大衆演劇への誘い 付録・浪曲特選・《「瞼の母」の競演模様》・《下》(天津羽衣・京山幸枝若・鹿島順一)
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2023-03-24

付録・浪曲特選・《「瞼の母」の競演模様》・《下》(天津羽衣・京山幸枝若・鹿島順一)

続いて④天津羽衣も、③と比べて「同工異曲」の作物である。土地の親分藤造が水熊の女将・お浜に「匿っている男を出せ」と迫るのだが、男はいない。その男とは、実は番場の忠太郎で、先刻(昨日)、藤造の子分たちがお浜の娘・お登勢にしつこく絡んでいたところを、「黙って助けてくれた」という設定である。しかし、忠太郎とお登勢は初対面の「知らぬ同士」、お登勢が「お礼を言う暇も無い内に行って終った」由。お浜いわく「名前くらい聞きゃ良かったのに、世の中は広いねえ。悪い奴も多い代わりに、そんな良い人もいるんだ」。その後は定番通り、大詰めで、忠太郎が「抱いて温めた百両ッ、何とぞ見てやっておくんなせえッ」と迫っても、「・・・いいや、その手にゃ乗らない、乗るもんかッ・・・世間の裏から表まで、散々見てきた私だよ。水熊の身上が入るならと、百両位は誰が貸さないものでも無い。さ、良いかえ忠太郎さん、それを言われて口惜しかったら、何故そんなやくざ姿で尋ねて来たんだぃ、やくざは浮世の屑じゃァないかッ・・・」と、冷たく拒絶する。通常なら、「お内儀さん・・・親に放たれた迷い鳥、ぐれたをあなたは責めなさるかッ」、《こんなヤクザに誰がしたんでィ》と居直るところだが、天津羽衣の忠太郎は違っていた。「いいや、もう何も言いますめえ。お登勢さんとやらにも一度逢いてえが、いいやそれも愚痴だろう・・・あーあ、考えて見りゃあ俺も馬鹿よ・・・・」と自分を責めるのである。その後、忠太郎が立ち去ろうとしたところにお登勢が遭遇、「あッおッ母さん、あの人ですッ。今ッ出ていたあの人が、昨日私を助けて呉れた人なんですッ」。お浜は驚愕、仰天して忠太郎を追いかける、という幕切れ、ここらあたりがこの作物の特長であろうか。天津羽衣の語り・節回しは一貫して「母性的」、止めにいわく「さすがお浜も生みの母 嵐の如く胸は鳴り 呼び醒された愛情に 血相変えた二人が 声を限りに名を呼んで 表へ出れば早や既に とっぷり暮れた江戸の空 憎や やくざの藤造が それと気づいて後を追う 番場生まれの忠太郎 又その後へ追い縋る 母とお登勢の三ツ巴 荒川べりの血飛沫も 瞼の母の物語」。その物語は、もしかして、お浜が語った物語・・・。お浜が見た、愛しいわが子の物語ではなかったか。さてどんじりは、⑤京山幸枝若。この作物は「歌謡浪曲」で5分程度、私はYoutubeの画像を見聞したに過ぎない。「軒下三寸借り受けまして、申し上げます おっ母さん・・・」という詞で始まる歌謡曲に、「こんなヤクザに誰がしたんでぃ」という科白が入った代物である。今、「瞼の母」といえば最も多く「人口に膾炙している作物」かもしれない。同一曲を、杉良太郎、島津亜弥、中村美律子らも歌っているが、やはり何といっても浪曲師・初代京山幸枝若の作物が群を抜いている、と私は思う。その理由は簡単、彼の背景には「瞼の母」の他に、「会津の小鉄」「花の幡随院」「雷電と八角」「河内十人斬り」「浪花しぐれ・桂春団治」「左甚五郎・竹の水仙」といった名作が綺羅星の如く居並んでいるからである。声音、節回し、セリフ回しのいずれをとっても、「役者が違う」のである。彼の「瞼の母」には、これまでの芸歴(の長さ)、芸域(の広さ)がおのずと「結実化」している。まして、彼は今は「鬼籍」の人、現役に比べて「一日の長」があることは当然であろう。もし、現役で彼に迫る者があるとすれば、知る人ぞ知る、大衆演劇界の名優・甲斐文太(「鹿島順一劇団責任者・二代目鹿島順一)を措いて他にはあるまい。ただし、彼の作物はDVD、CD、Youtubeといったステージには存在しない。公演先に赴いて、「運が良ければ鑑賞できる」、幻の名品に他ならないからである。以上「瞼の母」競演模様のお粗末は、まずこれまで。だが蛇足を一つ。長谷川伸の原作を見ると、「大詰め・荒川堤」の場には「異本」が加えられている。その〈二〉では、〈幕切れに忠太郎の絶叫、「おッかさあン」で駆け戻り、「おッかさあン」と絶叫、一つ二つ続ける。そのあと・・・おはま・お登世(呼ぶ声を聞きつけ、引き返し来る)忠太郎(母・妹の顔をじッと見る)おはま(全くの低い声)忠太郎や。お登世(低い声で)兄さん。忠太郎(母と妹の方へ、虚無の心になって寄ってゆく)おはま・お登世(忠太郎に寄ってゆく)双方、手を執りあうその以前に。〉と記されてある。なんと、忠太郎とおはま・お登世が「手を執りあう」ハッピーエンドでもよいのだ。忠太郎が意地を通すか、和解に応じるかは大問題、そのことで物語の眼目は豹変してしまう、とはいえ原作者・長谷川伸にとっては、そんなことはどうでもいいこと、どうぞ勝手にしておくんなさい、といったアバウト(優柔不断)さが垣間見られて、実に面白い。さればこそ、原作の「換骨奪胎」おかまいなし、ということで、件の「浪曲競演」はおろか、全国各地の芝居小屋では「百花繚乱」然とした「瞼の母」が今日もまた、演じ続けられているという次第である。〈おわり〉(2011.6.19)



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