なぜ反抗期は喜ばしいのか | 塾講士が語る子どもへの接し方~子育てを考えるヒント~

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現役の塾講士Tsuyo-C@ブシドーが、子どもへの接し方についてのあれこれを、音声と文章で語るブログです。10年以上子どもたちや保護者の方々と接してきた体験や、素晴らしい人・本との出会いの中から得た知識を語っています。子育てに悩む方々のヒントになれば幸いです。


本日は音声で語った内容を文章でお届けします。(と言っても、大体いつも、書いているうちにちょっと違った感じになってしまいますが……)

元ネタの記事はこちら



反抗期に入ると、子どもの態度を見て、心配になったりイラッとしたりする事が多くなってくると思います。そもそも、なぜそうなるかというと、単純に人は機嫌の悪い人間に対して良い感情を抱かないからです。「何か気に障る事をしたかな」と心配になったり、「何様のつもり?」と腹を立てたり、人によって反応は様々だと思いますが、ともかく不快になります。



大人になると、悪い態度や乱暴な言動が他人を不快にさせる事を知っていますので、自分がイヤな気分でいても、それをそのまま表現する様な事はしません。そして、仲良くなりたい相手、良い関係を保っていたい相手には、なるべく機嫌の好さそうな顔で接するようにします。この機嫌の好さそうな、ちょっとした笑顔の事を昔から「愛想」といいます。



「愛想をふりまく」と言うと、あまり良い意味に使われない事が多いように思いますが、どうでしょうか。むやみやたらにニコニコするものじゃない、という考え方が一般にあるのかもしれません。何となくバカっぽく見えるからかもしれませんね。意味もなくニコニコしてると「ヘラヘラするな!」と怒られる事すらあったりします。



しかし、誰彼かまわず愛想を振りまいて許されている存在があります。赤ちゃんや幼い子どもです。そして、彼らに愛想をふりまかれた大人のほとんどが、良い気分になります。他人の子どもでもそうですから、自分の子どもだとなおさらではないでしょうか。どんなに怒っていても、子どもが笑顔で「ママ、大好き」とくっついてきたら、何だか許せてしまう。子どもは得ですね(笑)。



そんな無邪気で子どもらしい笑顔をふりまいていた子が、ある年齢を境にだんだん愛想がなくなっていきます。それは、「むやみやたらに愛想をふりまくものじゃない」という大人の考え方が身についてくるからです。つまり、大人っぽくなってくるのですね。そして、それと同時に、愛想を見せないといけない相手には愛想を見せる、という様になっていきます。クラブの先輩や、友達、学校の先生、気になる異性……。それぞれに相手に合わせた適切な愛想の見せ方があり、それを考え、時に悩みながら、思春期の子どもたちは毎日を過ごしているのです。



特に近年、友人関係にとても気を遣う子どもが増えてきています。実際に子どもたちと接してきた中で、数年前から、僕の子どもの頃とはちょっと様子が違うなぁと実感しています。もちろん人によりますが、中にはちょっと心配になるくらい気を遣っている子もいます。それも一人や二人ではないのです。



そんな風に気を遣いながら、愛想を見せるのにはエネルギーが要ります。そうするとたまには気を遣わずに、言いたい事を思いっきり言いたいという気分になります。このイライラを誰かにぶつけないと気が済まないぞ。どこかにいないか、嫌われたり、後で仕返しされたりする心配がなくて、言いたい事が言える相手……そうだ!いた!



それが親です。つまり、親に反抗的な態度をとったり、乱暴な言葉を言ったりするのは、選んでやっているのです。親を軽率に扱っている様に感じるかも知れませんが、そんな事はありません。むしろ親を頼り、甘えているのです。だから、外では良い子なのに家の中では暴君になるという様な子どもは、まず心配ありません。むしろ喜んでください。家がリラックスできる所で、親の愛を信頼していなければ、そんな事にはならないのです。



反抗期が現れたという事は、子どもが大人になったという事。そして親の愛を信頼しているのだという事。だから、反抗期は喜ばしい事なのです。




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