なぜ思春期にイライラするのか | 塾講士が語る子どもへの接し方~子育てを考えるヒント~

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現役の塾講士Tsuyo-C@ブシドーが、子どもへの接し方についてのあれこれを、音声と文章で語るブログです。10年以上子どもたちや保護者の方々と接してきた体験や、素晴らしい人・本との出会いの中から得た知識を語っています。子育てに悩む方々のヒントになれば幸いです。


本日は、前に音声で語った「できない」事について、新たに文章で語ろうと思います。



いきなり僕の昔話で恐縮ですが、僕は昔から不器用で、何かを上手くやるという事がほとんどできない子供でした。書道、工作、絵、鉄棒、縄跳び、跳び箱、リコーダーなどなど、苦手なものが山ほどありました。泣きながらやったものもたくさんあります。(なにげに小学生の時は泣き虫だったような……)時にはカンシャクを起こして周りに当たり散らす、なんて事もしょっちゅうやってました。今から思うと、親や先生は大変だったと思います(笑)。



これはそういう子供だった僕の話なので、参考までに聞いていただきたいのですが、「できない」事がイヤになるのは、何も周りからできない事を否定されるからではありません。僕の昔を振り返っても、周りからできない事をバカにされる様な事はあまりなく(と言うか、バカになんかしたらどんなカンシャクを起こすかわからないので、みんな気を遣ってたんじゃないかなぁ……)、むしろ色々フォローしたり、励ましてくれる事が多かったように思います。つまり、他者がどうであろうとあまり関係がないのです。



では、なぜ「できない」事がイヤになるのか。そこには理想の自分といものがあり、それと現実の状態とがかけ離れる時、自己嫌悪が起こります。そうした自分への憤りが、できない事へのイライラ感につながるのではないかと思います。つまり、できない自分の状態はダメだという思い込みがそこにあるのです。



思春期には、特にそういう思い込みが強くなってくる時期です。思春期には、自己の再認識をし、アイデンティティを確立していく課程で、どうしても自己の存在というものが内的に脅かされるからです。「自分に何ができるのか」、「自分は何のために生まれてきたのか」といった哲学的な問いが生まれるのも、この時期ですね。そんな時に気になるのが、他人と比較して自分はどうであるか、そしてまた、他人の評価はどうであるか、という事です。特に他人からの承認は自己承認につながるので、「自分はここにいてもいいんだ」という安心感を得る事ができます。



反対に、周りから評価されてないと感じると、途端に不快になります。自分の価値がなくなり、引いては自分がなくなるような気がするからです。厄介なのは、評価してくれるなら誰でも良いワケではなく、誰に評価してほしいかもその子によって決まっていたりする事です。「この人に褒められても嬉しくない」というのがあるんですね。僕はよく子どもを褒めますが、中には「先生に褒められてもなぁ……」って顔をする子がいたりします(苦笑)。褒めてほしい相手は子どもによって様々でしょうが、子どもが「この人に褒められたい」と思う中に必ず入っている人がいます。それが「親」です。



親から褒められるというのは、子どもにとって最も自己の承認を得たと思える出来事です。子どもが受け入れてほしいと思う、一番の相手は親であるからです。思春期の頃のイライラは、思うようにならない自分へのイライラが少なからず含まれています。つまり、自分が価値のある人間だと思えない事への不安感がその根っこにあるのです。だから、親が褒める事によって、その安心感を得られれば、そのイライラはずっと緩和されるのではないかと、僕は考えています。



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