受験生は、そろそろ焦る頃合いでしょうか。
人事を尽くせば、あとは天命を待つのみ。
合格祈願の神頼みで、天神様こと大宰府の菅原道真公に参られる方も多いのではないでしょうか。
今日の記事は、そんな菅原道真に関わるお話。
かの人物と「和魂洋才」という言葉の成り立ちについてのものです。
「和魂洋才」という熟語がありますね。
wikiによれば、
「和魂洋才(わこんようさい)とは、日本古来の精神を大切にしつつ西洋の技術を受け入れ、両者を調和させ発展させていくという意味の言葉である。これに対して、西洋の技術を受け入れるにはやはり西洋の考え方を基盤とする必要がある、という意味の洋魂洋才(ようこんようさい)という言葉もある。古くから使われていた和魂漢才(わこんかんさい)をもとに作られた用語。」
……だそうです。
日本の近代史を語る上で、この「和魂洋才」という表現は欠かせないものです。
けれど、上記のwikiにも書いてありますが、この熟語は元々は「和魂漢才」というものがベースになっているのです。
「和魂漢才」とは、日本の魂の上に中国の英知を乗せるというような考え方を表現したものです。
これを言ったのが、菅原道真なのですね。
平安初期のことです。
菅原道真は、日本主義者です。
ですので、遣唐使に任命された時に建議して、奈良時代から続いた遣唐使を廃止してしまいました。
つまり、任命されたものを断ったわけで、それが原因になって大宰府に流されて、その地で死ぬことにもなりました。
この建議をするときに言った言葉が、「和魂漢才」なのです。
道真は、それは見事な漢文を書きましたし(当時の公文書は漢文です。「真名」といいます)、中国の当時の詩人や文士よりも字が上手でした。
彼自身にしてみれば、中国の文化よりも日本の文化の方が既に高いと考えたのでしょうか。
無理をして危険を冒してまで遣唐使を送る必要はないと考えたのです。
これ以上、中国から学ぶものはないと確信したからこその建議であり、遣唐使の廃止という決断でした。
それを臆病者という藤原時平の中傷によって左遷されてしまったのです。
しかし、道真には、きちんとした見識があったのです。
技術や科学というものを外国から学んで模倣するのはいいけれども、日本には日本の心があるから、それまで真似る必要はない、というものです。
それを端的に、「和魂漢才」という言葉で表現したのです。
近代の日本にも、このような見識は当てはまるのではないでしょうか。
今日、私たちは西欧の心まで真似しかかっていて、それはある種の危険をはらんでいるように思えます。
日本には、日本人が自らの風土の中で育ててきた、日本人がこれからの時代を生きていくために必要な心があります。
それを失ってしまっては、日本は国際社会から脱落するばかりではなく、日本自体が崩壊してしまうかもしれません。
本当の意味での、「和魂洋才」という言葉を、もう一度考えてみることが必要だと私は思うのです。
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