2.【 岡崎石工の起源 】


実は岡崎の石工業は、

秀吉による家康対策から生まれたんです。

岡崎城は家康生誕の地ですが、

皮肉なものですね。

今川義元が桶狭間で討死したあと、

家康(元康)は岡崎城に入りますが、

秀吉が天下人となると、

家康は関東に移封されてしまいます。

1590年、

家康が城を出た後、

岡崎城に入ったのは秀吉配下の田中吉政。

吉政は、

岡崎城の改築に着手し、

城域を拡張し、

さらに石垣や城壁を整備することになります。

この整備のために、

現在の大阪、

主には河内の国、

また和泉の国から、

多くの石工を招いて従事させたことが

岡崎石工業の起源とされています。

豊臣政権下で

家康はナンバー2の地位。
その力は豊臣家にとっては脅威で、

関東に遠ざけられていたんですね。

家康が裏切って西進してきた時のために

防波堤になる堅固な城が必要。

それゆえ、

今の大阪から

石工達を招いたことが始まりなんです。

もともと岡崎石工は

家康対策のために招かれた集団ということですね。

さて、

話は変わり、

我が家のお話。

高祖父の祖父、

石田安太郎の長男(高祖父の父)は

猫吉(1813年ー1889年)という名前。

武士の名前とは思えないし、

長男につける名前かとも思いますが、

それが事実。

おそらく猫に

特別な思いがあったと思うんです。

今の僕の工房は《 猫沢 》という地名です。
動物では猫の彫刻が一番多いんです。

何か訳があるのでしょうかね。

 

 

画像は【 龍燈鬼 】

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

☆ ホームページ は こちら ☆

 

https://peraichi.com/landing_pages/view/kansen