3.【 酒井孫兵衛 】
岡崎石工業の歴史ということになれば、
この人を書かないわけにはいきません。
寛永13年(1636年)、
三代将軍徳川家光が
岡崎伊賀八幡宮の大造営を行った際に、
摂津の国から請われてきた石工、
初代酒井孫兵衛です。
本名は酒井庄三郎。
彼は伊賀八幡宮にある写真の
《 神橋 》修復のために呼ばれました。
ここで一つ疑問が生じます。
昨日書きましたように、
孫兵衛が請われた僅か46年前から
岡崎城の石垣修復と城下町の整備のため、
多くの石工が岡崎に住みついていました。
その石工達で何故修復できなかったのか。
また、修復ということなら
作った石工がいたはずです。
八代目酒井孫兵衛の娘さんのお話ですと、
おそらく大阪の陣の頃のいくさの時、
戦利品の形で運ばれてきたものではないかと。
石も岡崎の石ではないと言っておられたそうです。
もしかしたら、
この神橋を作ったのは摂津の石工で、
そうとしたら修復も摂津の石工にさせることが
最適と考えたのかもしれません。
材料も摂津の方から取り寄せたかもしれませんしね。
当時はこれだけの技量をもった石工は
他にいなかったようで、
終生周囲から大切に扱われ、
定住することになったそうです。
※ 初代酒井孫兵衛が修復した神橋は
今も伊賀八幡宮で見られます。
さて、岡崎石工業の歴史を書き始めると、
石田家の歴史なんかどうでもよくなりますね。
石田家は酒井孫兵衛ともご縁があるのですが、
それはまた後ほど。
高祖父の父、猫吉は、
妻ふで(1813年ー1891年)をもらい、
文化10年に生まれ、
文政、天保、弘化、嘉永、安政、
万延、文久、元治、慶応、明治と生き抜いた、
時代の変容を直に見た人生でした。
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