ジョエル・オースティン師を楽しむ!

ジョエル・オースティン師を楽しむ!

 本国アメリカだけでなく、世界中でも有名なジョエル・オースティン牧師のメッセージを和訳して紹介していきます。まずは『It's your time』のデイリー・デボーション版を日本語訳にて、一日分ずつ紹介していきます。次は、『Every Day a Friday』に取りかかる予定です。

We Love Joel Osteen!



ジョエル・オースティン師を楽しむ!-It's your time!



●クリスチャンの方へ


 日々のデボーションに使ってください。構成として、


  ①本日の聖書箇所

  ②メッセージの内容理解に役立つ前文

  ③本日の暗唱聖句

  ④ジョエル・オースティン師のメッセージ

  ⑤祈り

  ⑥今日のポイント


  となっております。


●信仰を特にお持ちでない方へ


 ここで紹介する文章は、基本的に信仰を前提としており、神様という単語もバンバン 

 出てきます。でも、現実生活にかなり密着した内容ともなっており、信仰をお持ちでな 

 い方が読んでもかなり得るところはあると思います。是非、味わってみてください。

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■聖書箇所:ヨシュア記1:1~9

 大きなチャンスが舞い込む。それはいかにも良いことのように聞こえますが、実際あなたの身にとてつもないチャンスが舞い込んできたと考えたら、どうですか?それが、自分が想定し、受け止められる範囲をはるかに超えた大きな話だったら? もしかしたら、私にはムリ、とか私にはそんなものを受ける資格がない、とかいう気持のせいで、そのチャンスを自ら辞退したり、パスしたりということがあるかもしれません。折角のチャンスなのに、なぜそんな悲劇が起こるのでしょう? 
 原因は、自己イメージの低さにあります。度が過ぎた遠慮や謙遜(自己卑下といえる場合もあります)が、その人がチャンスをつかんで幸せになるのを阻むのです。これは、本当にもったいないことです。
 あなたは、神様の子どもです。親なる神様の一番の望みは、子どもが幸せに暮らすことです。ゆえに、あなたが物心両面で豊かに暮らすことは、自己中心でも何でもなく、言わば「当然の権利」なのです。
 是非、何らかのチャンスが舞い込んだ時、素直に受け取れるあなたであってください。そこからどんな素晴らしいことが展開するか、分からないからです。偉大なことを成し遂げる人は、チャンスを逃さない人だ、とも言えるでしょう。

■暗唱聖句:ヨシュア記1:9

 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 メアリー・リー・ベンドルフは、綿花栽培という労働を強いられながら育ちました。彼女は、国でも1、2位を争う貧しい町に住んでおりました。生き延びるために、隣人といさかいやケンカになることも日常茶飯事、という生活環境でした。-そんな中でしたが、メアリーやその友人たちが熱中していたことがありました。それは、キルト(防寒用衣類・寝具)作りです。パンツやシャツ、シーツやタオルなど、古着や使わなくなった布地なら何でもかき集めてきては、キルトに仕立て上げました。自分の子どもであるかのような、うまくできた作品を、愛する家族や友人が使って喜んでくれる時こそ、メアリーたちが最高に幸せを感じる瞬間だったのです。
 メアリーたちはキルトを作る作業中に、ゴスペルソングを口ずさむのが習慣となっていました。そして時には作業の手を止めて聖書を皆で読んだり、共に祈りを捧げる時間をもったり、ということもしておりました。アラバマ、という貧しいい街に住むそんな彼女たちにとって、キルト作りはそれこそ彼女たちの最高の生き甲斐だ、といっても過言ではなかったのです。そんなある日のこと。メアリーたちが「これは夢なんじゃないの?」と疑っても無理のないことが起きました。何かの機会に、メアリーたちの作品がある美術商の目にとまりまして、その美術商がわざわざ彼女たちを訪ねてきたのです。彼はこれはなかなかのものだと褒めちぎり、どうか売ってほしいと申し出てきたのです。
 メアリーたちの友人たちの多数は、あまりにもうますぎる話に身構えてしまい、数百ドルもの額を提示されたにも関わらず断りました。無理もありません。今まで散々人から騙され傷つけられてきたのですから。うまい話ほど「怖い」のです。でも、メアリー・リーと数人はその美術商を信じる道を選びました。彼女は目新しい体験やチャンスに対しても、かなり柔軟な受け止め方をすることができたからです。彼女は後に、このように語っています。
「私はずっと神様に祈ってきたの。いつでも新しいチャンスをください、って。そして、必ずそうしてくださると信じてもいたんです!」
 さて。メアリーたちのキルトを買った美術商は、展示即売会を世界中で行い、どんどん売りました。驚いたことに、メアリーたちの手による仕事は「たぐいまれなる天才」だと絶賛され、世界中で支持されたのです!あるニューヨークの美術評論家などは、「現代のアメリカ美術界が生み出した、たぐい稀なる傑作」とまで絶賛したのです。
 今日では、メアリー・リーたちの作るキルトは何千ドルもの値段で取引され、彼女たちはキルト職人としてよりも『アーティスト』として世に認識されるようになっていきました。彼女らの体験が物語っているのは、「成功する人というのは、時代に合った対応をし、時代と共に利口に変化するものなのだ」という事実です。成功するような人は、決して同じことばかり繰り返してマンネリ化したりはしません。常に、世間での自分の立ち位置を把握し、そこで何をすべきかを考えます。そこでもし自分が変化する必要を感じれば、ためらわず実行するのです。

 5年前に通用したことが、今日でも変わりなく通用するとは限りません。ですから、私たちは「変わること」に対してオープンな姿勢でいることは大切です。私たちは自分の慣れたやり方に固執するあまり、なかなか新しいことに挑戦できないでいるものです。そこなんです。そここそが、多くの人が人生を熱く生きられない原因となっているのです!そこには刺激も新鮮さもありません。せっかく変化のチャンスや発展のチャンスが訪れても、それを素直に受け入れることに慣れていないので、結果としてしりごみしたり、ひるんだりしてチャンスをみすみす見送ってしまいます。まさにそのチャンスこそが、自分を次の新しいレベルへと引き上げてくれる絶好のチャンスだとも知らないで。
 時が来れば、神様があなたの人生に新たな素晴らしい機会を与えてくれる経験をするでしょうが、別に驚くには当たりません。もしかしたらあなたは、自分が本当にやりたかった仕事上の新しいポストを与えられるかもしれません。それとも、まったく未経験の新しい分野で、キャリアを積む経験に導かれるかもしれません。また、あなたが独身の場合、神様が不思議な縁を取りもってくださって、運命の人との出会いがあるかもしれません。
 誰だって最初は、事を無難に運べる楽な道を選んだり、自分が変われない理由をあれこれ考えたりしたくなる誘惑に駆られるものです。もしかしたら、過去にあなたが何かのことで失敗し、深く傷付いたことが背景にあるかもしれませんね。そんな傷を抱えたままでは、新しいチャレンジに挑んだり新しい人間関係に身を投じていくのは至難の業です。あなたは、失敗を恐れることでしょう。でも、もしあなたが本気で「神様の良きおはからい」を経験したいなら、多少のリスクを背負うことくらいは覚悟してください。これはきっとこうにしかならないさ、という一方向的なものの考え方に囚われないでください。神様は何せ、新しい驚くようなことをなさるのが好きなのですから。
 神様は、あなたの人生に、新たなチャンスを、そして勝利を備えてくださる方です。あなたは過去に、失望や落胆を経験してこられたかもしれません。でも、今こそが、あなたにとっての復活の時です。あなたが信仰を奮い立たせ、輝く時です。夢や希望が甦ってくる時です。だからこそ今、あなたは神様によって備えられた「リスクのともなうように見えるチャンスの扉」を開く勇気をもつべきです。神様はチャンスを与えられるだけではなく、それをものにするための力・知恵・そして意志の力をもお与えくださるのです。どんよりした心で、過去の経験に縛られ「もうこれ以上どうしようもないさ」なんてくすぶっている場合ではありません。
 旧約聖書において、預言者モーセがついに亡くなった時、次の指導者となったヨシュアは、民を率いてヨルダン川を渡りました。彼の心の中には、かつてモーセが杖を上げ、紅海を真っ二つに割って、その中を進んだその記憶が、しっかりと根付いておりました。しかし、ヨシュアはヨシュアです。ヨルダン川を渡ったヨシュアのやり方は、モーセとまったく同じ様ではありませんでした。神様は、モーセはモーセの、ヨシュアはヨシュアの、それぞれにふさわしいプランをお持ちだったのです。ヨシュアは、新しい可能性の扉を開かねばなりませんでした。確かに、彼もかつてはモーセに従い、モーセのすることをすべて見てきました。かつては、それが一番「正しいこと」「通用すること」だったのかもしれません。しかし神様は、ヨシュアがモーセとはまったく違ったタイプの「リーダーシップ」を発揮することを意図されていました。そして、モーセとは別の新しい可能性を探る器であるヨシュア、そして彼を筆頭とする第二世代のイスラエルの信仰こそが、ヨルダン川を二つに分けさせる力となったのです。そしてイスラエルたちは意気揚々と、ヨルダン川の乾いた地を渡ることができたのです。
 私たちは、次のような姿勢を選び取っていきたいものです。「例えひとつの道でうまくいかなくても、あきらめない。なぜなら、神様は別の道を備えてくださっているからだ!」


■祈り

 天のお父様。あなたが私を愛してくださっていると知っています。だからこそ力を尽くしてあなたを愛し、あなたが備えてくださる新たな可能性の扉を、恐れずに開けていきたいと思います。導きを信じ、主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 もし、私が前向きな姿勢を崩さず、新たなチャンスに対して心を開いて受け取るなら、神様は絶えず私の人生を導き、祝福された私のための場所をご用意くださり、そこに私を置いてくださる。




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■聖書箇所:サムエル上30:1~26

 人間とは、失敗に弱いことが多いものです。特に、一度大きな失敗を経験してしまうと、次頑張ってもどうせ同じ失敗をしてしまうのではないか?と恐れて、本来の実力を発揮できず、そのまま二度とチャレンジしない、というケースも世間には多いのではないでしょうか。
 今日の聖書箇所で、ダビデは一見取り返しのつかない大失態を演じております。でも、ダビデのすごいところは、そのままでは終わらなかったところです。損失を取り戻し、さらに発展する!その確信が、奇跡を生み出しました。ダビデの信仰に、神様も手を貸さずにはいられなかったことでしょう。
 私たちも、何かの失敗があった時、心の中の火がまるで消えてしまったかのような気持になることがあるでしょう。でも、その時こそ、神様の願いは私たちがダメダメ状態に甘んじて居座り続けることではなく、心の炎を再燃させて、前進することだと思い返す時ではないでしょうか。

■暗唱聖句:サムエル上30:6

兵士は皆、息子、娘のことで悩み、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 ある夜、私はテレビでアメフトの試合中継を見ておりました。両チームとも、スコアは拮抗したまま試合は進み、両者譲らずの激しいデッドヒートになりました。そして後半戦のハーフタイムで、ニューヨーク・ジャイアンツのゴールキッカーは、試合を決める得点のチャンスを二度得ました。普段のその選手の力量なら、そう外すこともないのですが・・・この時、彼はその二度のチャンスにおいて失敗したのです。プロのフットボールの試合で重大なミスを一度でも犯したなら、それはもう無視できない心理的影響がチームに及びます。士気も下がります。一度のみならずそれが二度なのですから、その深刻さは押して知るべし、です。さすがの監督も、このプレイにはがっかりで、頭がカッカしていたようでした。
 さて。実力伯仲のこの試合は、ついに延長戦に突入しました。ジャイアンツに再びボールが回って来まして、攻撃のチャンスをつかみました。もちろん、ジャイアンツの選手たちは、タッチダウンを狙ってフィールドを突進しました。もしも成功すれば、それで試合が決まりまるという場面です。しかし、ここでもまた、ジャイアンツはタッチダウンを阻まれてしまったのです。
 これで、四度目のタッチダウン失敗です。監督は、どう采配をふるうかの決断を迫られました。選択肢はふたつです。半分賭けになりますが、今の位置からキッカーに思い切ってゴールを狙わせる手があります。でも、これは先ほどのゴールキッカーが挑んで二度失敗した距離よりも、もっとありますから、普通に考えればうまくいくとは思えません。それとも、手堅く正攻法で、ボールのパスをつなぎながらいくかです。でも、実力が拮抗している状態ですから、敵も簡単にはゴールに近づけさせてくれないでしょう。
 試合中継のテレビカメラは、フィールドのサイドライン際に立ち、腕組みをして何やら熟考している監督の姿を映し出していました。考え込んでいる時間は、ものの20秒ほどだったと思います。ある決断をした様子の監督は、先ほど大失態を演じたゴールキッカーをフィールド上に探しました。あれ?と思いました。選手集団の中のどこを見ても、彼の姿が見つからないのです。
 でも、監督にはようやくそのわけが分かりました。何とそのゴールキッカーは蹴る気満々で、自分の判断ですでにキックするラインに立っていたのです。普通でしたら、二度も失態を演じたら自信を失い、遠慮して自ら蹴ろうとはしないものです。でも、そのゴールキッカーからにじみ出る並々ならぬ決意と確信のほどを感じ取った監督は、彼のしたいようにさせてやる気になりました。距離が先ほどより遠い分難易度は高めだったにもかかわらず、そのプレッシャーをはねのけ、見事にゴールを決めまして、ジャイアンツは勝利をもぎとったのであります。

 あなたの人生の中で、「あと一歩のところでゴールに届かない」という経験があったことでしょう。人によっては「そんなこと、数百回だってありましたよ!」とおっしゃるかもしれません。でも、そういう方々に私がうかがいたいのは、これです。「あなたは、得点するためにフィールドを駆けているのでしょうか?」
 先ほどの、二回の失敗にも関わらず最後にはゴールを決めたキッカーのように、あなたの中にも最後には成功を収めることのできる能力が備わっている、と知っていただきたいのです。どうか、過去の失敗や落胆なんかに、あなたの人生の前進を阻ませないでください。あなたの中には、神様がお与えくださった限りない潜在能力が秘められているのです。神様があなたにお与えになった使命に沿ったことなら、あなたが最大限の力を発揮できるようにしてくださるのです!
 皆さんがこの地上での生活を終えるまでには、おひりおひとりのもつ能力が余すところなく開花されますように、と祈っています。たった一つの夢さえも、たった一つの約束さえも、それが神様のお与えになったものならば、一つとしてかなえられずに残るものがあってはなりません。
 ですから、皆さんの人生はまだまだこれから、です!おそらく、皆さんの中には、かなえられるのを待っている夢や、開花するのを待っている賜物がまだまだ眠っているのではないでしょうか?神様はきっと、折角あなたの中にお植えになった賜物がムダになることを喜ばれないはずです。もしかしたら、失敗続きで疲れ果て、安楽椅子に身を沈めきっておられる方もいるかもしれません。でも、あえて申し上げたいのです。今はリタイヤの時ではありません。情熱の火を、再び燃え立たせる時なのです!

※原文では、retire(あきらめ)ではなくrefire(再び火をつける)、というように言葉のひっかけをしているが、日本語にすると分からない。ちなみにrefireという単語は正式な英語にない。おそらく、ジョエル師が遊び心でつくった造語であろう。


 さぁ皆さん。用意はいいですか?神様はまさに今この瞬間から、新たな扉をあなたの前に開けてくれますよ。その扉の向こうにあるのは、あなたがご自分の潜在能力を十二分に生かし、それを喜びとともに世界と分かち合えている、そういう世界です。最近私は、93歳の女性が大学生となり、このほど見事に卒業された、というニュースを聞きました。皆さん。彼女が93歳でそれを成し遂げられたのなら、あなたも例え30代であろうが60代であろうが80代であろうが、同じことができるのではありませんか?
 是非、あなたの内に夢の種火があるなら、それを燃え立たせてください。厳しいことを言うようですが、あなたが夢をあきらめる時というのは、あなたが生きることをあきらめるのと同じことなのです。あなたが、神様に祝福され最高の贈り物を内にいただいた存在として生きることを放棄するのなら、あなたの肉体は例え生きてはいても、ただ息をするだけの存在でしかありません。あなたは、神様の子どもとしてふさわしい姿勢で生きるべきなのです。正しいビジョンをしっかりともって、人生を進んでゆくべきなのです。


■祈り

 天のお父様。あなたがこの私を創造した時、私だけに添えた願いと、それをかなえるための賜物をお与えくださっていると信じます。これからは、あなたの期待に応え、過去の失敗には関係なく、「今」できるのだ!と確信して、前進してまいります。どうか祝福してください。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 私という存在は、神様によって最高の能力を備えられた、可能性に満ちた存在なのだと自覚する!




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■聖書箇所:ゼカリヤ書4章

 『火事場のクソ力』という言葉があります。普段は非力な女性でも、自分の家が火事にでもなったら、普段は持ち上げることすらできない家の箪笥を軽々と運び出せる力を出せる。そういうことを表現したものです。つまり、人はのっぴきならぬ状況に追い込まれた時に、意外な力を発揮することがある、ということです。
 そのように考えれば、普段私たちが「あれはムリ。これは私には向いていない」などと言って自分もつ能力に対して制限した見方をする時、それは「自分でそう限定しているだけ」なのではないでしょうか?本当は、やればできるのではないでしょうか?
 追い込まれないと本来の力に気付かない、というのは勿体無いことです。そんな機会が来るのを待っていては、いつになるか分かったものではありません。是非、たとえ平時でも神様を信じて、その神様が与えてくださった自分のポテンシャル(潜在能力)を信じて、ちょっと背伸びをしてみてください。今の自分のできることよりも、ちょっと上のレベルにトライしてみてください。今日の御言葉にもあるように、あなたの力だけではなくて『武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって』成功するのです。主が、力添えくださるからこそ、自分の能力以上のことがこなせる世界が、開けてくるのです。

■暗唱聖句:ゼカリヤ書4:6

彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 私がまだ子どもの頃の話です。隣に住んでいる人が、庭に大きなジャーマン・シェパードを飼っていました。その庭は立派なフェンスできっちり囲われているのですが、不思議なことに飼い主は放し飼いにせず、きっちりと鎖でつなぎとめていたので、シェパードは限られた範囲しか動くことができないでいました。
ある日のことです。多分、私がまだ8歳か9歳の頃だったと思いますが、私は友達数人と自宅の庭で野球をしていた時、ボールが隣の庭に飛び込んでしまったことがありました。その時の私は、「ああまたやっちゃったな」程度の、軽い気持ちでしかありませんでした。と言いますのも、これまでにもしょっちゅう同じことはやってきていて、その度にパッと塀を乗り越えて問題なくボールを取り戻せていたからです。
私は、簡易はしごを持ってきて隣家と自分の家を隔てるフェンスに立てかけ、登っていきました。そして見事隣家の庭に着地し、首尾よくボールを取り戻しました。ふと顔を上げますと、私の視線の先には、あの大きなジャーマン・シェパードがいて、こちらを見つめています。次の瞬間です。シェパードが突然、ものすごい速度で、でこちらにダッシュしてきたのです!
 理由は分かりませんが、その日に限って、シェパードはいつものように「鎖につながれて」いませんでした。それを理解した私の心は、絶望の淵に叩き落されました。このままだと、僕は確実に助からないー。私は、生きたい、助かりたいという強い思いを総動員して、何とかフェンスめがけて逃げるという行動を取りました。
 フェンスに手が届き、私はフェンスの上端に片手をつき、精一杯、できるだけ高くジャンプしました。フェンスと体が平行になるようにバランスを保ち、最後は体操選手のように、見事に自宅の庭に着地できたのです!
 助かったと分かった瞬間。私は、自分が今やってのけたことが信じられませんでした。まだ10歳にも満たない子どもが、6段ばしごと同じ高さのフェンスをジャンプで飛べたのです!「白人はジャンプ力の賜物がない」なんてよく揶揄されますけれども、どうしてどうして!やれば、できるものです。
 結果として、あのジャーマン・シェパードは、私が自分でも気付けなかった運動能力の賜物に気付かせてくれるよう助けてくれた、というわけです。今まで、そんな荒業に挑戦したことはもちろんありません。あんな危機的状況にでもならない限り、やってみようとは夢にも思いませんよ!確かに怖い思いはいたしましたが、でも自分にそんなジャンプ力が備わっていたことを知れたことは、うれしかった覚えがあります。
 つまり、あなたが自分のポテンシャル(潜在能力)に心からオーダーした時、私が体験したようなことがあなたにも起こるのです!あなたが全力を出さねば切り抜けられないような状況になった時こそチャンスです。あなたは、自分が本当にはどこまでできる力があるのかを知って、ビックリされると思いますよ!

 最近も、私の例と似たような話を耳にしました。ある男性が夜遅くに帰宅をしていて、ちょっとでも時間を短縮しようとあえて『墓地』を横切ったのです。もちろん、あたりは真っ暗です。何と彼は、その日の朝に掘られた墓穴に足を取られ、落ちてしまったのです。
 彼はそこから出ようと、もがきにもがきました。でも、そこはあまりに深すぎました。彼は土の壁をキックし、声の限りに叫び、わめき散らしました。誰かがその声を聞きつけてくれれば・・・と考えたのですが、徒労に終わりました。二時間も経過した頃。彼は疲れ果てて、出ようと努力するのをあきらめました。彼は穴底に座り込み、朝が来るのを待つことにしました。その頃には、誰かが自分に気付いてくれるでしょう。
 さて。それから一時間ほどもした頃でしょうか。ある酔っ払いの男が、フラフラと歩いてまいりまして、やはり先ほどの男性と同じ穴に落ち込みました。先ほど落ちた男性は穴の中で静かにしていましたので、酔っ払いは穴にまさか他人がいるなどと思ってもいません。酔っ払いはやはり、土壁を蹴ったり叫び声をあげたりしましたが、先客の男性は『ああ、この人もさっきの自分と同じことやってるな、ムダなのにな・・・』なんて考えながら、酔っ払いの行動を観察していました。
 酔っ払いはなんとか穴をよじ登ろうとしていましたが、挑戦するそばから落下してしまいます。それを見ながら、最初の男性はこの酔っ払いをちょっとからかってみたくなりました。そこで、お化けのような低い声で、闇の中からこう言ってみたのです。『・・・お前は絶対にここからは逃げられないぞ・・・!』
 皆さん。その後、どうなったと思います?この酔っ払い、穴をよじ登ることに成功したんです!ここでもう一度、皆さんに告げます。深刻な状況下で、あなたが自分の潜在能力に真剣にオーダーする時、あなたは自分が思っている以上のことができるのです!ですから、あなたの心の中にある「ここまではできる・ここからはできない」といったような境界線は取り払っていただきたいのです。あなたという存在は、実に可能性に満ちているのです。私はかつて、自分の命を守るために、越えられるとは思わなかったフェンスに挑み、見事飛び越えました。このように、潜在能力はあるのに、人間側がそれに気付かないので、力が出せていないだけなのだ、ということが分かります。皮肉にも、それが必要とされる深刻な状況に追い込まれてはじめて、自分の力に気付くという『遠回り』を、私たちはしてしまっているのではないでしょうか。

 ですから、別にあなたが危機的状況にあるわけではなくても、潜在能力が自分に「ある」と信じて行動を起こしていけば、やはり力を発揮できるはずなのです。どうか、この事実に目覚めてください。そして、神様が私たちの内に、偉大さの種をすでにまいていてくださっている。そんなイメージを心に映し出しましょう。あなたには、目の前の問題・課題をクリアできる潜在能力が本当にあるのです。そのことを是非信じてください。ちなみに私はと言いますと、日々このように祈っています。「神様。私の能力をさらに伸ばしてください。そして、潜在能力の新たな側面を発見できるよう、ふさわしい機会をどうぞお与えください。私の更なる成長と飛躍を、どうかお助けくださいますように!」だから私は、チャンスらしきものが舞い込めば、物怖じせずに飛び込む準備がいつでもできています。
 挑戦もせず、安楽な状態を保つことはたやすいことです。自分が今いる「安全ゾーン」に居座り続けることも、「どうせ自分は何でも人並みにしかできないさ・・・」とつぶやくことも簡単です。
 でも、そのような人たちに、あなたが合わせる必要はありません。あなたはあなたで、自分にできるベストを尽くし続けていけばいいのです。そしてあなたが今の自分の限界よりも少しばかり背伸びができた時に、自分で自分の背中をちょっとばかり押す勇気が持てた時、あなたは今まで思っても見なかった「できる」世界を味わうことができるでしょう。
 別に、怖い犬があなたに突進してくる機会があるまで待つ必要はありません。穴に落ちる機会をのんびり待つ必要もありません。あなたの内側にすでに植えられている賜物が発動するように「かき立てる」だけでよいのです。神様はおっしゃいます。「私は、あなたが今まで行ったことのない場所にあなたを導こう。私はあなたの前で、新たなる扉を開く。新たな繁栄・発展への道をあなたに授ける。準備はできているか?」
 どんな障害でも、克服可能です。どんな問題でも、神様と神様の子どもであるあなたの前では「問題」などではありません。あなたはすでに「油注がれた者」なのです。豊かな潜在能力を秘めた、無限の可能性を秘めた存在なのです。さぁ、今こそがあなたにとって新しい人生のステージに突入する絶好のチャンスですよ。神様が、今まさにあなたの中に埋まっている宝物に気付かせようと、御手を動かされているのです。この世界で起こることのすべては、あなたの内なる能力を呼び覚ますためだとも言えるのです!


■祈り

 天のお父様。私が自分の中の潜在能力に気付くように導いてくださっていることを感謝いたします。どうか、ピンチになって気付くのではなく、今、この時点から神様と自分を信じて、新しい世界を開いてきたいと思います。どうか、私のチャレンジの時共にいてくださいますように。信じて、主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 私が信仰による一歩を踏み出し、神様がお与えになった賜物を信じて背伸びする時。神様はその御手を動かし、大いなる力をそこに添えてくださるのだ。




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■聖書箇所:Ⅱテモテ1章

 モーセという人物のことを考えてみれば、彼が神様に用いられて、エジプトの王パロと渡り合い、出エジプトを果たしたのは何と80歳の時だったのでした!
 理想を言えば、若い頃から自分の天命を知り、夢の実現への最短距離を歩めるなら、それに越したことはありません。でも、例え何かの過ちで良い選択ができなかった時でも、それでチャンスは終わりではないのです。今日のメッセージでは、神様が人に与えてくださった才能や賜物は、人間の手でいくら消そうとしても消えないものなのだ、という真理が語られます。あのモーセも、40歳の時に一度チャンスがあったのですが、エジプト人を撃ち殺した失敗により機会を逃しています。でも、彼はそこで終わりませんでした。ミデヤン荒野での40年の後、また神様によって召命されています。
 神様の召しは決して変わることがないのです。ですから私たちも、自分の魂の声を押し殺さず、かえってそういう声に素直になりましょう。そうすることで私たちが神様の使命をまっとうしていく過程が、よりスムーズになるでしょう。折角この世界に神様の子どもとして生まれたのですから、自分の内なる宝を、光をめいいっぱい世に輝かせようではありませんか!

■暗唱聖句:Ⅱテモテ1:6

そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 ある友人が、小さな頃からオペラ歌手になりたがっていた自分の義理の母の話をしてくれました。実際、彼女にはかなりの才能があったようです。中学高校時代全体を通じて、彼女は文化祭などでミュージカルが出し物になる時には必ず、全体を取りまとめ指揮する役割を引き受けていたそうです。
 しかし、彼女が大学時代を迎えた頃、両親が彼女にこう言って聞かせたのです。「いくら何でも、オペラ歌手として食っていくわけにはいかんだろう。それで生計を立てようなどと考えるのは、あまり賢いとは言えないね。分相応に、どこかに就職でもしなさい」
 両親は、彼女の気持ちなどお構い無しに説得しました。結果として彼女は親の意見に従い、いわゆる『普通』の生き方を選びました。大学を出、就職をし、結婚をし、それなりの幸せは手にしたのでした。
 時は流れて。彼女が90歳になった時のことです。彼女は、老人ホームに入所をしました。彼女の夫はすでに主に召されており、そのこともあって生きる気力をそがれたのか、痴呆の症状が出ていたのです。
 しかし、彼女は老人ホームに入ってからというもの、毎日集会所に人を集めては、オペラで鳴らした自慢の歌声を披露し続けておりました。その歌声たるや、本当にプロと見まごうような魅惑的なものでした。一番ピッタリな表現を探せば、『天使の歌声』というのがいいかもしれません。実際に、彼女が歌うと聞きつければ、老人ホームの入所者たちはこぞって彼女の歌を聞くために駆けつけてきた、ということです。
 これは一体、どうしたことでしょう?彼女は内側に、一度は埋もれさせたけどなくなりはしなかった『宝物』をしっかりと保持していたのです!彼女が神様から与えられた賜物は90年近くも押さえつけられていたわけですが、でもそれは彼女の内側でしっかりと生きていて、解放の時を待っていた、というわけです。
 今回、私が皆さんにお届けしたいメッセージは、これです。『あなたの中で鳴り続けている音楽を決して死なせるな』ということです。あなたの才能、天から与えられた賜物を世の人々に分かち合いましょう。あなたは間違いなく、ご自分で思っているよりもすごいことができるのです!あなたが過去に成した業績など比べ物にならないほどの大きな業を成す力が、神様によって与えられていると知りましょう。


■祈り

 天のお父様。あなたは、私が本来の使命をまっとうし、与えられた賜物が生かせように導いてくださることを知っています。そのことに感謝し、どれほど現状が困難であっても、私は私自身の歌が歌えるようになる、と信じます。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント
 
 才能がどんなタイミングで開花しても、驚くには当たらない。なぜなら、あなたは神様が創造した通りのあなたであることから逃げられはしないのだから!



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■聖書箇所:エフェソ2:1~10

 ジョエル先生をはじめ、クリスチャンとして何かの分野で成功をつかんだ方に話を聞くと、皆が口をそろえて言う共通の言葉があります。『私だけの力でできたんじゃない。神様の力添えがあったからこそ、できたことなのです』
 神様なしで、人間の力だけでやろうと思っても、ある程度はできるかもしれません。しかし、それは空しいものですし、そうして得たものはたやすく失われてしまう、ということもまた確かです。でも、全能なる偉大な神様を味方とし、そのバックアップをいただいた上で成すことは、簡単には崩れたり奪われたりしません。何より、そこに真の喜びがあります。
 今日のメッセージでは、一人ひとりの人間の力には限界があるかもしれないが、神様のご介入がある時に私たちは実力以上のことが成せるのだ、という原則が語られます。パウロが言ったように、神様が共にいれば『私たちは弱いときにこそ強い(Ⅱコリント12:10)』のです。

■暗唱聖句:エフェソ2:10

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 ある友人が、ピアノが本当に大好きな5歳の男の子にまつわる話をしてくれました。男の子は、暇さえあればピアノの前に座り、演奏を楽しんでおりました。この子は、ピアノの先生に師事もしてないし、きっちりしたトレーニングを受けたこともありません。周囲の大人たちは、お前はピアノに触るにはまだ小さすぎる、と彼によく言ったものでした。そういう周囲の扱いにもめげず、男の子は取り憑かれたようにピアノを弾き続けたのです。
 男の子が弾ける曲は、たったの一曲だけ。それは、『チョップスティックス』という、とても簡単なメロディーの曲でした。(※原題、『Chopsticks』。1877年のつくられた、ピアノ初心者の練習用の簡単なワルツ楽曲。)でも、男の子は飽くことなく、何度も何度もその曲を弾き続けたのです。そんなある日のこと。男の子の父親が、プロのピアノコンサートのチケットをお土産に持ち帰ってきました。それをもらった男の子は驚きました。何と、世界的に有名なあるイタリア出身のピアニストのコンサートでした。そのピアニストこそは、現代音楽会でも数本の指に入ると言われるほどの、大音楽家だったのです。
 さて、コンサートの開かれる夜。男の子と父親は自分の指定の席を探して観客席を見回っていたのですが、男の子のほうはステージ上の美しいグランドピアノに目が釘付けになってしまい、たまらなくなってこっそり忍び寄っていきました。コンサート前であることもあり、
グランドピアノは演奏者側から半分ほどカーテンで隠されていて、仮にピアノを弾こうと座っても観客席からは見えません。それをいいことに、男の子は大胆にもピアノの前に座り、彼の唯一の『持ち歌』であるチョップスティックスを弾き始めたのです!
 その時、何故かカーテンがスルスルと端に巻かれていきまして、男の子は丸見えになりました。観衆は舞台上にあの偉大なピアニストがいることを期待したのですが、実際にそこにいたのは、床に足もつかないような小さな男の子で、おまけにピアノ初心者が弾くような「チョップスティックス」を弾いているのです!
 男の子は自分の演奏の世界にどっぷりとつかっていたので、観客席にいるすべての人が自分に注目していることなど分かっていませんでした。でも、やがて周囲のザワザワした雰囲気から何が起こっているのかに気付いた男の子は、恐ろしさのあまり硬直してしまいました。男の子がカクカクした動きで、何とかその場を走り去ろうとしたその時―。二本の大きな腕がニュッとどこからともなく出てきて、男の子をがっしりとつかんでしまいました。そしてその腕の持ち主はピアノの前に座り、男の子を自分の隣に座らせたのです。
 それは、『本物』のピアニストでした。彼は男の子の耳元でささやきました。「さぁ、演奏を続けて。」その指示通り、男の子は自分の十八番である「チョップスティックス」を弾き始めました。するとピアニストはすかさず、全く同じリズムと音階で、べートーベンの楽曲のある部分を弾きながら、男の子の演奏に合わせました。
 ピアノの巨匠の合図により、控えていたオーケストラの伴奏がそこに加わりました。最初は、木管楽器。続いて金管楽器。さらにそこに打楽器までが加わり、重層感あふれる音となって劇場中を満たします。男の子の父親は、その様子を見ながら、涙を禁じえませんでした。父親は、自分が聴いているこの音、自分の息子が中心となっているこの音は本物か?夢ではあるまいか?と疑いました。なぜなら、父親は息子がばかのひとつ覚えみたいに何度も何度も単調な「チョップスティックス」を演奏するのを聴かされてきて、うんざりしてきたからです。その、うんざりする記憶しかなかったはずの息子の演奏が、こんなにも素晴らしいものになるなんて!

 皆さん。一体、何が違ったのでしょう?男の子の演奏に、マスター(師匠)が加わったからですね。皆さんも、時として自分の技術の未熟さ、才能の乏しさ、知恵の少なさ、といったものを感じて、無力感を噛みしめることがあるかもしれません。でも、ここに良い知らせがあります。あなたを支える偉大な神様には、それらが『すべてある』ということです!
 あなたが、自分が持てる力を出し切ろうとする時。足りない部分があったとしても、そこに必ず神様、という師が介入してくださるのです。御手を伸べて、足りない部分を補ってくださるのです。確かに、あなたは自分の能力や才能を『平均的な域を出ないもの』と思い込んでおられるかもしれません。しかし、神様がそこに介入してくださる時、その超越した力を使い、驚くべき結果を生むことも造作ないのです。
 先ほどの男の子のように、あなたも驚くことになるはずです。「私は、自分が平凡だということをわきまえている。身の程を知っている。そんな状態なのに、一体私にこれ以上どうしろと?」そんな声が聞こえてきそうです。でも、ここにその答えがあります。師である神様が、介入してくださればよいのです。そのためにもあなたは、自分なりのベストを尽くし続けなければなりません。その上で求める時に、必ず師である神は現われます。

 10年ほど前、私がこのレイクウッド・チャーチの牧師として出発した頃、私のする説教と言えば本当に単純で、基礎的なことばかりでした。信仰歴を経たクリスチャンなら、物足りないと言われても仕方のない代物でした。先ほどの男の子の例ではありませんが、きっと私のする説教は「チョップスティックス」のように響いていたことでしょう。
確かに私は、それまで一度も牧師らしい仕事をしてきませんでした。でも、私が心掛けたことは、せよと言われれば例えつたなくとも、自分の持てる全てを動員してベストを尽くすことでした。そしてベストを尽くしたのなら、あとは恥じ入らず堂々としていることです。でも時々、否定的な思いが私の心を爆撃してきました。「おいジョエル。お前、全然なってないぞ。それでも牧師だと言えるのか?牧師ってな、社交的で外向的な人間のなるものだ。そこへお前と来たら、内気そのものじゃないか!声に迫力もないし。お前は今までどおり、裏方のスタッフとして働いている方がお似合いなんだよ!」
 こういった思いがやってくるたびに、その都度私は頭から振り落とす努力をしました。私は、自分が神様によって才能も力も豊かに備えられている存在なのだ、と意識するようにしました。私は祝福されている。私は主の油注ぎを受けている。キリストの名の下に、私にはすべてのことが可能なのだ!と自分に言い聞かせました。
 そうこうしているうちに、師である神様がご介入くださったのです。神様は私の手の上に、その御手を添えてくださいました。そして私の声に、神様が声を重ねてくださったのです。そうして私は、自分でも今まで持っていることすら気付かなかった賜物を、再発見することができたのです。もし10年前に、誰かが私に「あなたは近い将来ヤンキー・スタジアムで超満員の観衆を前にメッセージすることになりますよ」なんて言ったとしたら、きっと私はこう返答したことでしょう。「なるほど、そうでしょうね。私がそうできるなら、あなたはきっとハドソン湾の薄氷の上に飛行機を着陸させることができると思いますよ!」

 親愛なる皆さん。師である神様がひとたび動き出せば、常識では考えられない事でも起こり得るのです。あなたは、自分が抱いている夢に関して、これはあくまでも「夢」であって、実現するなんて考えていないかもしれません。そもそも、その夢を実現させるに足る才能も実力もコネもない、とお考えかもしれません。でも、もう一度言わせてください。『神様は、持っている』のです!ですから、師である神様に信仰をもってお願いしてみるのです。もし、あなたがただ現状のままでよしとしてそこに閉じこもるなら、本来備わっている驚くべき力に一生気付かないままになってしまいますよ!
 あなたが勇気を出して、信仰をもって今より背伸びをするなら、あなたには神様がご介入してくださると信じます。その時、あなたは以前だったら挑戦しようとも思えなかったようなことにも、着手しようという勇気を得られることでしょう。そして、今まで気付きもしなかったような自分の能力に目覚めることでしょう。
 あなたは、思いもよらない絶好のチャンスを手にすることになるでしょう。事態はもうこれ以上良くなりっこない、と思えるその時―。神様は木管楽器の伴奏をつけてくださいます。すなわち、『適切な人』との出会いを添えてくれるのです。
 その次に金管楽器が加わります。それは、あなたにとっての「適切なタイミング」です。
 やがてあなたは、ひとうひとつの音が重なり壮大なオーケストラになることに気付くでしょう。隠されていたあなたの才能は見出され、神様がお与えになったあなたへの祝福も現実のものとなるのです。そして、かつて私が悟ったように、あなたも同じ悟りを得ることになるでしょう。この才能は、私だけのものじゃない。この実力は、すべてがもともと私の中にあったものじゃない。師である神様がご介入くださることによって成り立っているものなんだ!と。


■祈り

 天のお父様。私自身の努力に加え、あなたがそこに御手を添えてくださることに心から感謝いたします。そして、私自身の力だけでは到底成し得なかったことさえも、あなたの偉大な力添えにより実現できると信じ、これからもベストを尽くしてまいります。感謝して、主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

神様のお植えくださった使命を追い求めてベストを尽くしていく時、必ず神様は介入し、力添えくださるのだ!




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■聖書箇所:ハバクク書2:1~8

 神様は、愛のお方です。人間の親が、複数いる子どものどの子も愛するように、あなたのことも愛しておられます。そして何より、世界に自分とまったく同じ人はおらず、その人は他では埋められない『マスターピース』です。パズルのピースが一個なくなっても、全体の絵は完成しないのと同じことで、あなたにはあなたにしかできない役割があります。これは全人類、例外がありません。だとしたら、あなたには他の人にはない、世界に分かち合える才能やセンスが絶対にあるはずです。
 しかしこの世界の現状として、自分の大好きなことを仕事にできている人は、それほど多くありません。「いいや、そんなの甘いですよ。たいがいのひとは仕事は仕事として頑張っているんだから、贅沢言うもんじゃないよ」という声が聞こえてきそうです。でも、それは「人が自分の好きなことを仕事にできる確率は低い」という信仰を持ってしまっているからだ、ということに気付くべきですね。神様が目的をもって創造なさった通りにその人が世で輝くのは、贅沢とかラッキーだとかいう次元ではなくて『当然』なのです!
 今日のメッセージでは、『天命』について語られます。天命とは、字のごとく天、すなわち神様があなたにお与えになった使命のことであり、才能を人のためにどう使うか、ということです。このメッセージが、皆さんが「自分に関してはどうなんだろう?」と考える上での一助となれば幸いです。

■暗唱聖句:ハバクク書2:3

定められた時のために、もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 ガブリエラの写真家としての仕事は、数年前は大変好調でした。彼女はこのヒューストンにおいて、一年に50件もの結婚式でカメラマンを務めたほどです!ガブリエラが独り身ならそれでよかったのですが、彼女も家庭を持つ身でした。好調だからといって、夫と子どもたちを放っておくことはできません。ガブリエラは、4人目の子どもができたのを期に、家事と子育てに専念するために、いったん仕事を離れました。
 ギャビー、というニックネームで親しまれているガブリエラは、二年ほど仕事を離れました。不運なことに、家事も子育てもひと段落して、彼女がフルタイムでの仕事に復職したいと思った時には、世の中を不況の嵐が襲っていたのです。
 腕前はあるのに職にありつけない写真家は、国中に掃いて捨てるほどいる状況です。そんな中でギャビーもまた、自分の得意分野を生かせる仕事を見つけられず、このままいくとなりふり構わずパートタイム的な仕事でもしなくちゃいけないところにまで追い込まれました。でも、彼女のすごいところは、それであきらめたりしなかったことです!あきらめるどころか、彼女はあえて夢を追うことに決めたのです。
「実は私もう10年も、このレイクウッド・チャーチでカメラマンとして奉仕したかったんですよ」ギャビーは言います。「でもね先生。でもその前に、絵に描いたもちになってしまっている私の夢をまず実現しなきゃ、って心に決めてたんです」
 ギャビーはずっと、自分がカメラマンの奉仕をしたい、という話を私にも妻のビクトリアにも打ち明けずに、心に秘めてきたのです。実を申しますと、私だけでなく教会員は皆、ギャビーの写真家としての賜物には気付いていました。と言いますのも、彼女は教会員の結婚式でカメラマン役を買って出、撮影で大活躍をしては喜ばれていたからです。彼女のカメラマンとしての腕がすごい、と感じましたのは、私の兄のポールをイケメンに撮れることです!兄をかっこよく撮るのは、かなり難しいでしょうに!よく「ごまかした」ものです。
 もし、ギャビーの家族の応援がなければ、彼女が自分の賜物を教会のために生かしたい、と考えていたことに、私たちはずっと気付けなかったかもしれません。ある朝のこと、ギャビーは起きてバスルームに行きまして、鏡に向かいました。その時、そこに字が書かれてあることに気付いたのです。「あなたは何者ですか?」不思議に思いながら、ギャビーはキッチンへ行きました。そこでは、コーヒーポットに字が書かれていました。「あなたは、何者ですか?」極めつけは、自室の扉の前の張り紙です。「あなたは何者ですか?」
 部屋中どこを見ても、「あなたは何者ですか?」の張り紙ばかり。これはきっとギャビーの家族たちが、お母さんに自分の天命に従って欲しくてやったことでしょう。そんな家族の心遣いが、ギャビーの情熱に火をつけました。彼女は、うちの教会の幹部の一人と面接の約束を取り付けまして、自分がいかに写真家としての活動に情熱を持っているか、天命だと感じているかを正直に述べたのです。彼女の熱意溢れるプレゼンを聞いた幹部は、満足して彼女をレイクウッド・チャーチお抱えのカメラマンとして正式に雇用したのです!
「ガブリエラさん。あなたが今、こうして私のオフィスにいることは本当に驚きですよ!」その幹部はギャビーに言いました。「ちょうど先週、私はジョエル師とミーティングをしていたんです。そこでは、教会の取り組みを世間に紹介するためのプロのカメラマンを新たに雇ってはどうか、という議論が持ち上がっていたんですよ。さぁ、これから求人を出そうと考えていた矢先に、あなたからこのオファーですからね。本当に、神様が導くとはこういうことを言うんですね!」
 今日では、ギャビーは名実共に我が教会専属のカメラマンです。でも、それが実現したのは、彼女が自分の魂の声に従って行動を起こし、そしてそれに神様もお答えになったからです。ギャビーはまさに、神様から与えられた天命の通りに生きようとし、また行動したのです。人は誰でも皆、心に秘めた夢や、かなえたい願いはあるものです。そういった『偉大さの種』というべきものは、神様によって子どもである皆さんの中にしっかりと植えられています。あなたも、その例にもれず、この世界で人々と分かち合える賜物があるはずなのです。その宝箱はあなたの魂という地中深くに埋もれていて、あなたによって掘り出され発見されるのを待っているのです。あなたの中に眠る潜在的可能性は、まだ100%発揮されていないのです。神様があなたにお与えになった才能は、あなたが見つけ、天命と知り、開花させるのを心待ちにしているのです。

 しかし多くの場合、人は「まさか」という思いからそれを先延ばしにしたり、あるいは否定的な思いから「きっとダメだ」と考えたりして、自ら夢を追うことを断念してしまうのです。結果として、その方に植えられた才能の種は芽吹かないことになります。時として、人は絶望や失敗というもののせいで、折角心に芽生えた希望や、自分の使命に対する確信を簡単に奪われたりすることがあります。それでは、あまりに心が無防備すぎます。また、才能の芽が簡単に摘まれてしまう裏では、その人の自己イメージの低さも一役買っているようです。だから、私なんか人から抜きん出たことなど何もできないー。そういう結論になってしまうのです。
 神様は、そんな風にあなたをおつくりにはなっていませんよ!神様は、与えた才能が開花せずにしぼんでしまうことを望んで、それを与えたのではありませんよ。どんなにあなたを落ち込ませるような情報があなたの耳に入ってきても、どんなに心無いことを言われようとも、侮辱されようともー。誰が何と言おうと、宇宙の創造主である神様は、あなたが自分の天命を全うし、最高に幸せに生きるために必要なものを全部、あなたの魂の中に詰め込まれておられるのです。才能も個性も技術に関するセンスもー。すべてあなたの父である神様からきたものなのです。
 あなたは、世界でたったひとりのユニークで、かけがえのない存在です。他の誰も、あなたの本当の価値など、品定めすることはできません。それができるのは神様だけです。どうか、そのことを腑に落としてください。そして、あなたの魂が「これぞ天命!」と叫ぶことに対して、勇気をもって飛び込んでください。もし、あなたが天からのギフトを十分に生かさず、世の光となって世を照らせないならば、あなたのこの世界もその分の光を失うことになるわけです。
 誰も、あなたが本来落ち着くべきその「場所」を横取りすることはできません。神様はあなたという存在を創造した瞬間、もうその鋳型はお捨てになられ、あなたをオンリーワンとされたのです。ですから、間違っても、どこかの他人と自分とを比べて何だかんだと不平を言うことだけはしないでください。もし神様が、他人がもっているような才能をあなたにもって欲しいと思われているのなら、最初から、創造の時点であなたにそれを与えておられるはずです。もし、神様があなたにどこかの芸能人のようなイケメン、あるいは美女のようになることを望まれているのなら、最初からあなたをそういう顔かたちに、そういう体型におつくりになっているはずではありませんか!
 あなたが天命を全うするに当たって、他人のことは考えないで結構です。あなたはただ、自分の内側を見つめればよいのです。そして、そこに一体何があるのかをつかむことに、全意識を傾けてください。


■祈り

 天のお父様。私の魂の中に植えられた「天命」に感謝いたします。私は、信仰をもってそれを知りつかむことを決心いたします。どうか、あなたの導きに従うことのできる力と知恵をお与えください。いつか必ず、私はあなたが植えてくださった賜物の全貌をつかむことができると信じます。イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 神様は、私の内側に偉大さの種をすでにお植えくださっている。神様が願われているのは、その種がしぼんで日の目を見ないことではなく、それが成長して花開くことである。




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■聖書箇所:詩編126編

 たいていの映画は、ハッピーエンドで終わります。確かに、あえてひねくれたオチにするものや、悲劇で終わらせる映画もあります。そうは言っても、ハッピーエンドで気持ちよく終わる映画の方が圧倒的に多くを占めるのは確かです。そこに、人間心理のホンネが見え隠れしています。それは人間が、「悲劇で終わるのは神の御心ではない。途中困難があろうと、最後には問題は解決され、幸せになることが、この世界をおつくりになった方の意志なのだ」ということを、神の創造物として受け継がれてきたDNAを通して深層意識下で覚えているからではないでしょうか?
世の大多数がハッピーエンドを期待する傾向にある、ということはとても興味深い現象です。人それぞれだ、というなら悲劇派とハッピーエンド派は半々くらいの割合でもいいはずです。それなのに、です。日頃仕事で疲れて、せっかくの休みにわざわざ映画に行く場合、ほとんどの人は感動で胸のすく、ハッピーエンドな映画が見たいと思うはずです。お金を払ってまで気持ちがだだ下がりになる暗い映画を見たいとはあまり思わないでしょう。
神様は、良きお方です。ですから子どもたち、つまり人間には幸せになってほしいのです。苦難の日々を終わらせ、ハッピーエンドを迎えてほしいのです。神様の方ではすでにそう願っておられるわけですから、あとはあなたから手を伸ばせばよいのです。さぁ、今こそ神様の良きおはからいを信じて、信仰に固く立ちましょう!

■暗唱聖句:詩編126:5 ~6

涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。神の霊がわたしを造り、全能者の息吹がわたしに命を与えたのだ。

■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 私の教会の信徒である、シングルマザーのフリーダは、家計のやりくりでとても苦労をされていました。彼女は家計を支えるべく、長時間労働をあえて続けておりました。そんな生活ですから、フリーダは自分の子どもたちが望むときにそばにいてやれないことを、かなり気に病んでいたのです。余暇であるとか、自分自身の楽しみごととかいうことに無縁な生活になり果て、『生きるために働くのではなく、働くために生きている』という状態でした。
 フリーダはこう言っていました。私はもう、不満とやるせなさで爆発しそうですよ!と。自分の現状に関して、一体どう対処していったらいいのか、まったく良いアイデアが浮かびませんでした。彼女には、人生がちょっとでも上向きそうな気配が少しもありませんでした。しかし。この世界を創造なさった神様には、彼女に対して特別の計画をお持ちだったのです。神様は、彼女に祝福をお与えになっておりました。
 現象としては、彼女は今にもくじけてしまいそうでした。彼女自身、神様によってすでに導かれていることなど、想像すらできない状態であったことでしょう。でも幸運なことに、彼女はクリスチャンとして、苦しさの中でも信仰に立つことを最終的には選択しました。普通でしたら、過去を振り返ったり、目の前の現実から逃げるような行為に走ってしまいかねないところです。しかし彼女は歯を食いしばり、現状に屈するよりも偉大な神様を褒めたたえ、感謝することを選び取ったのです。だから、神様のほうでもフリーダの信仰を受け取り、彼女の歩みの一歩一歩を導かれたのです。
 長い話をつづめて申しますと、ある時フリーダはほとんど面識もないような近所の人から訪問を受けました。その隣人の男性は、フリーダが相当暮らしに困っている様子を見てきたようです。そこで、男性とその奥さんは、なんとかフリーダを助けられないだろうか、と考えたのです。二人はフリーダに、新しい車を贈呈しました。そのお陰で彼女はもとあった車を売り払い、そのお陰で借金の返済がぐっと楽になりました。
 そして彼女の経済状態も一息つくことができ、追われるように長時間労働に身を投じる必要もなくなりました。車の次に「フリーダに与えられた贈り物」は、心の余裕でした。プレッシャーからの、解放でした。
「ジョエル先生。その時の私としては、もう自分の前に神様が歩きやすい道を敷いてくださったような気分でしたよ!」当時を振り返って、フリーダはそう述懐しています。
 神様は、フリーダの人生が混乱から安定へと移行できるよう、祝福をお与えになったのです。このメッセージをお聞きのお方の中にも、このフリーダと似通った状況にいる方がおられるかもしれません。そんな時というのは、先行きがまったく見えなくて不安とストレスをかなり背負うものでしょう。そんなあなたにお願いしたいことは、どうか心の世界の中に、外界の嵐が影響を与えるができないスペース、つまり「平安の宿る場所」を見つけておいていただきたい、ということです。もし、あなたが心を平安に保つことができるなら、あなたは神様が用意された『力の座』につくことができます。そして、こう宣言することができるようになります。「神様。あなたを信頼します。あなたの備えてくださる道は、私の肉の目には見えません。でも、必ず「そこにある」ことを信じぬきます。だから私は迷うことなく日々ベストを尽くし、創造性を発揮し、世の光となり、決して過去を振り返ったりはいたしません!私は力強く、あなたと共に前進することをここに決意いたします!」
 もし、このような宣言を口にしても、自分では違和感がいないくらいしっくりくるようになったなら、準備完了です。あなたには、神様の想像を越えた『油注ぎ』が、目に見える形であなたの前に立ち現れてくるのです!神様は、あなたがどんなことを望んでいて、何を必要とされているかくらいすでにご存知です。だからあなたは、リストを作って端から端まで何度もがなりたてる必要はまったくありません。あなたがすべきたったひとつのこと、それは「信仰に留まり続ける」こと、それだけです。すべての物事は、神様のコントロールのもとにあるのだ、と信じることです。

 詩編の126編にもあります。『涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる。』
 このビジョンこそが、あなたに実現するようにと神様が願われていることです。人生があなたに牙を向いて襲い掛かるかのように見え、あなたが心雲らせる時、神様はその御手を伸ばして、あなたの人生を変えたいと思っていらっしゃるのです。その苦境からあなたを救い上げるというだけにとどまらず、さらにあなたが喜びと微笑を取り戻すようにされるのです。それはもう、以前のものを忘れてしまうほどの、驚くばかりの恵みです。「束ねた穂を背負い」、つまり豊かさを友として、あなたは帰って来るのです!
 私個人のことをあかしさせていただければ、驚くばかりの神様の御業が成されるのを、この身をもって幾つも体験してきた、と言えます。その時に私は、まさに詩編の記者が叫んだのと同じように、こう声をあげたものです。『これが実現するなんて、私は夢を見ているのではあるまいか?』ですから、皆さんにはこう祈っていただきたいのです。「神様。詩編の記者が驚きの声をあげたように、この私にも驚くような夢の実現を見させてください。そして私だけにとどまらず、友人知人、すべての者をもどうか祝福してください。前例のない、とてつもないあなたの御業が、皆の目にも明らかにされますように。どうかあなたの祝福と慈しみとが、私たちに注がれますように。どうか、あなたの恵みによって夢の実現が加速しますように!」
 今日、このことを覚えて帰ってください。この私に神様がしてくださったことは、あなたにも起こるはずなのだ、ということをです。信じてください。神様が私を愛する愛と、神様があなたを愛する愛の間に、何か差でもあると思いますか?いいえ。あなたを最高の愛で愛しておられるがゆえに、私は自信と確信を持って言うのです。あなたにも神様の祝福と慈しみはふんだんに降る!と。毎朝、希望に満ちて一日を出発するようにしてください。「主よ。私はあなたの油注ぎを切に求めます。どうか詩編にもあるように、この私が束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる、ということが実現しますように!」
 もしかしたらあなたは、人生の戦いの真っ最中かもしれません。でも、今日はまさに『新しい日』です!さぁ、「あなたの時」がやってきましたよ。あなたはきっと内側に、主に由来するパワーがみなぎるのを感じるでしょう。神様は、あなたが試練を乗り越えれらるだけの力と手段を、恵みよってお与えなさるのです。長年月、あなたにとって頭を抱えるような問題だったことも、もう脅威ではなくなります。だって、主のおはからいにより消滅していくのですから!もう一度言いますが、神様はあなたを単に問題から救うだけで満足なされないのです。さらにはあなたに笑顔を取り戻させ、喜びで満たし、勝利をもお授けになるのです。あなたにとって今こそが、そう信頼する時なのではないでしょうか?


■祈り

 天のお父様。豊かな収穫を与えてくださると、あなたは約束されました。それを心から信じます。涙と共に種をまく者は、喜びの歌と共に刈り取らせてくださる。あなたはそのようにお導きくださる神様だ、と確信いたします。今こそ、信仰に留まると決心いたします。感謝してイエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 もし私たちが、眠っていた神様への信仰心を完全に呼び覚ますならば、神様は私の前に道を備え、その道中に沢山の恵みを置いてくださるのだ!



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■聖書箇所:ヨブ33:1~11

 『主は道を日々つくられる 何もないように思える時でもー』
 クリスチャンの愛唱歌の中に、そんな歌詞の歌があります。信仰生活の中で、これってものすごい偶然!って思うことが起こったりすることがあると思います。会いたい、と思っている人がすぐそばを歩いてきたり。欲しかったけれども入手が困難だった品物が、思わぬ経路で手に入ったり。著者のジョエル先生の例で言えば、先生の腕時計の電池が切れて、電池交換をしようとたまたま入った最寄の時計店で、たまたまその日バイトのシフトに入っていたビクトリアさんが出会うことになり、結婚まで導かれたことがあげられます。
自分の力などほとんど関係のなく起こる奇跡的なこと、ってあると思います。先ほど、「すごい偶然」という言葉を使いましたが、本当には偶然などないのです。すべては、神様の全能の御手によるものです。神様のおゆるしなく起こることなど、何ひとつありません。今日の主題は、道がないように思える所にも、神様は道をおつくりになることができる、ということです。どんな困難が襲っても、そんなこととは関係なく主のなされることを100%受け止め、導きを期待することのできる者となろうではありませんか。そしてそがいつなのか?まだかまだか!そういう発想ではなく、願いの成就に関してはどうか委ねて、「きっと次だ、きっと次だ」と大いに期待できる者となっていきましょう。

■暗唱聖句:ヨブ33:4

 神の霊がわたしを造り、全能者の息吹がわたしに命を与えたのだ。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ
 
 実を申しますと、私は最近、たいへんな目に遭いました。仕事上のことで、です。私は、教会運営に関係する法律上のことで、法律の専門家からアドバイスを受けて対処しなければならない事態になったことがありました。その時、私はちょうど講演に招かれ遠方にいたので、すぐさまヒューストンにいる顧問弁護士に電話しました。すると彼は、ある知り合いの法律家を紹介してくれました。でも残念なことに、その法律家がビジネス旅行に旅立ってしまっており、二週間も家を空けてしまうということがすぐに判明したのです。
 私は顧問弁護士に、さすがにその法律家が返ってくる二週間後までは待てないぞ、と電話で伝えました。早急に手を打たねば、こんなことをしている間にも事態はより深刻化していくだけです。
「ジョエル先生。今いらっしゃるのは、どこですか?」顧問弁護士がそう聞いてきました。
 私は、現在位置を知らせました。すると、顧問弁護士は電話口の向こうで素っ頓狂な声をあげたのです。
「先生、冗談きついですよ!そこって、今旅行中のその法律家が列車で通過しつつある場所ですよ!ちょっとお待ちください。今から連絡して途中下車してもらえれば、一、二時間以内にはどこか場所を決めて落ち合うことができるはずです!」
 そのことを聴いた瞬間、私は思いました。「ハレルヤ!まことに、主は生きておられる!」
 自分の生活圏であるヒューストンから何千マイルも離れた場所で、ですよ。神様は私に必要な人物を、私のすぐ近くに配剤してくださったのです!ちなみに、これは後で分かったことですが、実はその法律家は、先ほどの会話から5分後に会えたのです!俗っぽい言い方をお許しいただけるならば、「どんだけ近いんや!?」というツッコミが入るところですね!

 神様は、あなたの歩む一歩一歩をつぶさに見、導かれるお方です。あなたが何かの問題に直面していても、必ず解決の道を備えてくださるのです。あなたに必要なチャンスも与えてくださいます。ですから、これからあなたが一日を出発されてお出かけになる時には必ず、神様の良きお計らいがある、と心で確認してからにしていただきたいのです。あなたにとっての「復活の日曜」がやってきます。あなたの人生の先には、神様が必ず『癒しと、想像を超えた良きお計らい』をセッティングしてくださっていますよ。
 今この瞬間、もしかしたらあなたは大変な問題を抱えていて、のるかそるか、というような深刻な戦いをされている状況かもしれません。でも、どうかお願いいたします。意気消沈する代わりに、顔を上げて、信仰により前を見て進み続けてください。神様が定めてくださっている「解決の時」がいつなのか、人間には正確に分かりません。分かりませんが、「いつかはかならずある」ことはハッキリしているのですから、そこを信じて待つのです。
 次の言葉は、常に自分の心の中で繰り返してくださるよう、習慣付けてください。

『神様は、私がかつて夢見たことも考えたこともないような場所に、私を運ばれる!』

 あなたが自分の思いの中で「ムリだ」と思ったことも、成し遂げられるようになります。乗り越えられない、と思い込んでいた障害も、越えられるようになります。あなたが一時的にはノックダウンされるようなことが起こっても、テンカウントまで立てず、KO負けになることは絶対にありません。必ずテンカウント前にすっくと立つことができ、大逆転のパンチを決めることができるのです!だって、あなたはいと高き神様の子どもなのですから。

■祈り

 天のお父様。私には無理だ、できない、そう思い込んできたことに対しても光を当ててくださってありがとうございます。あなたが道を備え、お助けくださるので、私には必ず成し遂げられるし、乗り越えられると信じます。感謝してイエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

この宇宙で最も強力な力が私に働いている。それは神様の力であり、その御手の中に私は包まれ、守られているのである!




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■聖書箇所:エフェソ2:1~10

 キリスト教関係の歌で有名な歌といってまず思い浮かぶのが、『アメージング・グレイス』という歌ではないでしょうか。この歌はクリスチャンのみならず、多くの人々に親しまれております。でも皆さん。ここで、ちょっとご自分を振り返っていただきたいのです。「驚くばかりの恵みなりき・・・」と歌うことがあるその一方で、実際の信仰生活の中で、それを感じ取れていますか?どちらかというと行き詰まりや閉塞感を感じていたり、意識しないまでもホンネの部分では「そんなこと起こらないや」なんて、無意識に考えてしまっていないでしょうか?
 でも、神様の驚くばかりの恵みを、この歌の作者は実際に体験したのです。その感激を、感動をどうしても表現したくて、溢れる思いをもってこの歌を作ったと思うのです。だから、そんな体験があなたに起こってもおかしくはないのです。だって、アメージング・グレイスを世に残した人物もあなたも、同じ「クリスチャン」なのですから!
 どうか、「自分にはそんなことは起こらない」という、あきらめ思考を捨て去ってください。今日のメッセージに取り上げられているある人物の話を聞けば、きっと勇気が湧いてきて、励まされて「自分もできる!」と思えるはずですよ。

■暗唱聖句:エフェソ2:8

 事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 シェリアン・カドリアは1940年代から1950年代にかけて、ルイジアナの貧民街で育ちました。彼女の両親は、綿花農家に雇われて、パートタイム的な仕事で何とか生計を立てておりました。シェリアンが三歳の時、父が事故で大怪我をしまして、一生働くことのできない体になってしまったのです。働けなくなった父親に対して、雇い主である綿花農家は契約を解除し、解雇しました。
 残された家族は、仕方なくたった二部屋しかない、電気も水道も通っていない家へ引越しを余儀なくされました。家の壁も穴だらけで、母親は雑誌のページを破って穴という穴をふさいで何とか生活をしました。シェリアンは、歩けるようになって少しした年からすでに、母親や他の兄弟たちに混じって綿花栽培の仕事を手伝うようになりました。彼女は10歳を迎えるまでにかなり仕事に習熟し、一日に250パウンド(114キロ)もの綿花を収穫できるようになっていました。
 貧困と不遇な環境にあっても、シェリアン自身は日々このように考えていました。自分にはこの世で使命があり、神様がきっとその使命を果たすための賜物を与えてくださっているはず。だからその使命を見つけ、賜物を生かさなくちゃ!やがて、シェリアンへの神様の油注ぎが具体的に形を現す時がやってきました。彼女は、地元ルイジアナの黒人大学であるサザン大学に入学しました。そこで彼女が専攻したのが、何と軍隊の女性指揮官養成コースだったのです。その当時、黒人が軍の指揮官になるなど認めない!として、クー・クラックス・クラン(アメリカの白人至上主義を唱える秘密結社)が圧力をかけてくることがありましたが、彼女は耐え抜き、乗り越えました。彼女は、行く先々のホテルやレストランで利用を拒否されるなどの憂き目に遭いましたが、それでも彼女はくじけず、信仰に固く立ちました。彼女は、アメリカで初めて、一個大隊の指揮を任される女性将校となったのです。

 皆さん。かつては綿花栽培に従事しながら極貧の生活を強いられていた少女が、そのような栄冠を勝ち取るとは、誰が想像したでしょう!シェリアンは後に、ベトナム戦争で33ヶ月もの間従軍いたしました。そして29年間もキャリアを積み続け、退役する時の階級は何と『准将』でありました。男性士官でも、なかなかこうはいきません。彼女は黒人女性として准将にまでのぼり詰めた唯一の存在として、また統合参謀本部の長官まで勤めた経験をもつ唯一の黒人女性として、世の中に記憶されようになったのです。
 もし、あなたがシェリアンのように信仰に固く立ち、日々自分にできるベストを尽くし続けるなら、神様は『驚くばかりの恵み』をお与えになってくださるのです。そしていつの日か、あなたはそれらの日々を振り返ってこう言うことでしょう。「わぁ、その時は気がつかなかったけれど、神様はやっぱり出会いやチャンスを完璧に備えてくださっていたんだなぁ!こんな恵みの場所まで、こんなに早くたどり着けるとは、自分の知恵では全然想像ができなかったよ!神様は豊かに与える神であり、祝福したい神様なんだということが本当に分かったよ。」


■祈り

 天のお父様。日々、あなたに近づけることを願ってベストを尽くしています。どうか、あなたがすべてを益となしてくださいますように。お導きを信じて、主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 あなたの夢の実現に対しゴーサインを出される根拠は、ただあなたが神様の子どもであり、神様が何よりも愛されているという事実だけである。




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■聖書箇所:マタイ11:25~30

 日本には、自殺者が多いと言われています。そして、自殺はしないまでも、日々の仕事でのストレスや人間関係上の悩みなどで、心のバランスを保てない人も、かなりの数にのぼると思います。
もちろん、理由は様々にあり、決して単純には語れないでしょう。でも、このことは言えるのではないでしょうか。「自分だけの力で頑張っているから、ムリがあるのだ」と。本来、神様と人とは親子の親しい間柄でした。失楽園前のアダムとエバは、神様と会話までできるほどです!でも、残念なことに人の心は神様から離れてしまう方向へ行きました。以来、神様という頼もしい見方を忘れ去ってしまった人間は、自分の力だけでヒイヒイ頑張り、大変な目に遭ってきたのです。
でも、今日のメッセージは、「神様はいつだってあなたを祝福したくて、油注ぎをしたくてウズウズされているほどだ!」ということを思い出せ、そしてばっちりとそれらを得よ!というすすめが語られています。長らく神様から離れ独力で苦界を泳いできた人たちも、神様に立ち返ることで神様の助けを得、「くびきを軽く」していただける。そういう恵みの時代に突入したのだ、ということは素晴らしい福音ですね!

■暗唱聖句:マタイ11:29~:30

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 私の娘のアレクサンドラは10歳の時、私のところへやってきて映画に行きたいから10ドルちょうだい、と言ってきました。そこで私は娘に、私の寝室に行って、ドレッサーの上に置いてある財布から10ドル札を抜いてくるように指示しました。
「お父さん、ありがとう」
 そう言って娘は、私の寝室のある方角とは反対の出口へとスタスタ歩いていきました。
「ちょっとちょっと。父さんの寝室は反対だぞ?お金、取りに行かないのかい?」私はそう尋ねました。娘はにっこり笑って、こう答えました。
「実はね・・・私、もうそれやっちゃったの!だって、お父さんは絶対OKって言うと思ったんだもん!」
 普通なら、これこれ!と思う行為でしょうが、私個人としてはうれしかったです。なぜなら、娘は「お父さんが必ず自分に良いことをしてくれる」という確信のもと、行動したからです。きっと神様も、私が娘に感じたようなことを、私たち人間に対しても感じられるのではないでしょうか?あなたは自覚できていないかもしれませんが、親なる神様の方では、すでにあなたの心からの願いについてYESとおっしゃっているのです!
 神様があなたに良くしてくれるように必死に頼み込むということは、あまり必要ではありません。逆に、神様のほうであなたを助けたいくらいなのです。聖書にも書いてあります。神様が人間と交わした約束に関する神様の返答は常に、「イエス」であり「アーメン」なのです。

 あなたは毎日出かける時、神様が自分を助けてくださるのだ、という自覚意識を保つよう心掛けることをお奨めします。神様はあなたが車を運転するときも、あなたを助けたいと思っておられます。スーパーで買い物をする時にも、子どもたちのために食事を作る時も、仕事をする時も変わらず、そう思っておられます。
 どうか皆さん。神様があなたに油注ぎ、祝福をくださっていることに毎日感謝を捧げるようにしてください!
 心配はいりません。あなたの人生が、戦い続き、不幸続きの人生になることなど、あり得ませんから。確かに、試練の時や辛い状況を通り抜ける時期があることは私も認めます。でも、だからといって、まるでそれがいつまでも続くものでもあるかのように落胆したり、無気力になったりはしないでいただきたいのです。神様は、もっと先まで見通した上で最善をなしておられ、ちゃんと適切なタイミングで適切な出会いがあり、物事は解決・発展の方向へ向かうようになっているのです!あなたが自分から道を逸れていかない限りは、発展・繁栄の方向以外あり得ないのです。だって、それが豊かな神様のお創りになった宇宙の法則なのですから!ゆえに、あなたが今直面している試練も問題も、終わりを迎える時が必ずやって来るのです。そして、本来あるべき素敵な展開や溢れる恵みといったものに席を譲り、すごすごと立ち去っていくことになるのです。
 神様は偉大なお方で、私たちの必要をただ満たすだけで終わられません。私たちの損失を補填し、マイナスをゼロに戻すだけでは、終わられないのです。神様は、私たちが実際にお願いした事柄以上の、想像を絶するとてつもないことをしてくださるお方なのです!神様の祝福と油注ぎがひとたびあなたに降れば、人はなぜだか分からないけれども、あなたに良くしようという思いになったりします。創造性においても、知恵においても、アイデアにおいてもあなたは豊かに祝福されることになるのです。
 一度神様からの油注ぎを経験すれば、あなたはもはや物事の本質ではないくだらない事柄で心を煩わされるようなことはなくなります。侮辱や挫折感、あるいは試練といったものからの攻撃をうまくかわすことができるようになります。神様の油注ぎこそは、あなたに絶好の好機をもたらし、あなたを引き上げてくれる師のような人物との出会いへと導き、あなたの夢が実現へ向かうために必要な要素をセッティングされるよう働くのです。
 これから毎日、あなたを祝福される神様に感謝を捧げ続けてください。私がこういうからするのではなく、できることなら「心から」実行していただきたいと思います。あなた自身も、神様の油注ぎや祝福に対してそれを信頼し、あなたの方から進んで手を伸ばそうとするならば、あなたはもはや、気分の激しいアップダウンに苦しんだり、短気を起こしてバカを見るようなことはなくなるでしょう。詩編でダビデもこう綴っています。「私の杯はあふれます」。ですから、どんな時でも、力尽きて立ち上がることができないかのような徒労感に襲われるようなことがあっても、神様の祝福と油注ぎを信頼してください。きっとあなたは力みなぎり、御霊によるエネルギーが充満し、斬新なアイデアも与えられ、健康も増進し、経済的成功もついてきて、歓喜に満ちた人生を手にすることでしょう。

■祈り

 天のお父様。私の人生に油注ぎ、良き計画を実現しようとしてくださっていること、本当に感謝いたします。適切な時に適切な場所に私を置き、必要な出会いまでお与えくださることも、確信しています。物事を決断する上での良き知恵も、お与えくださるので感謝です。あなたの恵みにはどんな試練をも越えさせる力があり、あなたの御力はどんな障害さえも乗り越えさせてくださいます。そして、あなたに捧げる信仰は、私たちの想像をはるかに超えた恵みの到来を信じさせてくれます。感謝して、主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

神様からの油注ぎを心から求めるなら、神様の祝福と恵みは、ずっと私について回ることになる!




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