第74日 神様のご介入により大逆転! | ジョエル・オースティン師を楽しむ!

ジョエル・オースティン師を楽しむ!

 本国アメリカだけでなく、世界中でも有名なジョエル・オースティン牧師のメッセージを和訳して紹介していきます。まずは『It's your time』のデイリー・デボーション版を日本語訳にて、一日分ずつ紹介していきます。次は、『Every Day a Friday』に取りかかる予定です。

■聖書箇所:エフェソ2:1~10

 ジョエル先生をはじめ、クリスチャンとして何かの分野で成功をつかんだ方に話を聞くと、皆が口をそろえて言う共通の言葉があります。『私だけの力でできたんじゃない。神様の力添えがあったからこそ、できたことなのです』
 神様なしで、人間の力だけでやろうと思っても、ある程度はできるかもしれません。しかし、それは空しいものですし、そうして得たものはたやすく失われてしまう、ということもまた確かです。でも、全能なる偉大な神様を味方とし、そのバックアップをいただいた上で成すことは、簡単には崩れたり奪われたりしません。何より、そこに真の喜びがあります。
 今日のメッセージでは、一人ひとりの人間の力には限界があるかもしれないが、神様のご介入がある時に私たちは実力以上のことが成せるのだ、という原則が語られます。パウロが言ったように、神様が共にいれば『私たちは弱いときにこそ強い(Ⅱコリント12:10)』のです。

■暗唱聖句:エフェソ2:10

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 ある友人が、ピアノが本当に大好きな5歳の男の子にまつわる話をしてくれました。男の子は、暇さえあればピアノの前に座り、演奏を楽しんでおりました。この子は、ピアノの先生に師事もしてないし、きっちりしたトレーニングを受けたこともありません。周囲の大人たちは、お前はピアノに触るにはまだ小さすぎる、と彼によく言ったものでした。そういう周囲の扱いにもめげず、男の子は取り憑かれたようにピアノを弾き続けたのです。
 男の子が弾ける曲は、たったの一曲だけ。それは、『チョップスティックス』という、とても簡単なメロディーの曲でした。(※原題、『Chopsticks』。1877年のつくられた、ピアノ初心者の練習用の簡単なワルツ楽曲。)でも、男の子は飽くことなく、何度も何度もその曲を弾き続けたのです。そんなある日のこと。男の子の父親が、プロのピアノコンサートのチケットをお土産に持ち帰ってきました。それをもらった男の子は驚きました。何と、世界的に有名なあるイタリア出身のピアニストのコンサートでした。そのピアニストこそは、現代音楽会でも数本の指に入ると言われるほどの、大音楽家だったのです。
 さて、コンサートの開かれる夜。男の子と父親は自分の指定の席を探して観客席を見回っていたのですが、男の子のほうはステージ上の美しいグランドピアノに目が釘付けになってしまい、たまらなくなってこっそり忍び寄っていきました。コンサート前であることもあり、
グランドピアノは演奏者側から半分ほどカーテンで隠されていて、仮にピアノを弾こうと座っても観客席からは見えません。それをいいことに、男の子は大胆にもピアノの前に座り、彼の唯一の『持ち歌』であるチョップスティックスを弾き始めたのです!
 その時、何故かカーテンがスルスルと端に巻かれていきまして、男の子は丸見えになりました。観衆は舞台上にあの偉大なピアニストがいることを期待したのですが、実際にそこにいたのは、床に足もつかないような小さな男の子で、おまけにピアノ初心者が弾くような「チョップスティックス」を弾いているのです!
 男の子は自分の演奏の世界にどっぷりとつかっていたので、観客席にいるすべての人が自分に注目していることなど分かっていませんでした。でも、やがて周囲のザワザワした雰囲気から何が起こっているのかに気付いた男の子は、恐ろしさのあまり硬直してしまいました。男の子がカクカクした動きで、何とかその場を走り去ろうとしたその時―。二本の大きな腕がニュッとどこからともなく出てきて、男の子をがっしりとつかんでしまいました。そしてその腕の持ち主はピアノの前に座り、男の子を自分の隣に座らせたのです。
 それは、『本物』のピアニストでした。彼は男の子の耳元でささやきました。「さぁ、演奏を続けて。」その指示通り、男の子は自分の十八番である「チョップスティックス」を弾き始めました。するとピアニストはすかさず、全く同じリズムと音階で、べートーベンの楽曲のある部分を弾きながら、男の子の演奏に合わせました。
 ピアノの巨匠の合図により、控えていたオーケストラの伴奏がそこに加わりました。最初は、木管楽器。続いて金管楽器。さらにそこに打楽器までが加わり、重層感あふれる音となって劇場中を満たします。男の子の父親は、その様子を見ながら、涙を禁じえませんでした。父親は、自分が聴いているこの音、自分の息子が中心となっているこの音は本物か?夢ではあるまいか?と疑いました。なぜなら、父親は息子がばかのひとつ覚えみたいに何度も何度も単調な「チョップスティックス」を演奏するのを聴かされてきて、うんざりしてきたからです。その、うんざりする記憶しかなかったはずの息子の演奏が、こんなにも素晴らしいものになるなんて!

 皆さん。一体、何が違ったのでしょう?男の子の演奏に、マスター(師匠)が加わったからですね。皆さんも、時として自分の技術の未熟さ、才能の乏しさ、知恵の少なさ、といったものを感じて、無力感を噛みしめることがあるかもしれません。でも、ここに良い知らせがあります。あなたを支える偉大な神様には、それらが『すべてある』ということです!
 あなたが、自分が持てる力を出し切ろうとする時。足りない部分があったとしても、そこに必ず神様、という師が介入してくださるのです。御手を伸べて、足りない部分を補ってくださるのです。確かに、あなたは自分の能力や才能を『平均的な域を出ないもの』と思い込んでおられるかもしれません。しかし、神様がそこに介入してくださる時、その超越した力を使い、驚くべき結果を生むことも造作ないのです。
 先ほどの男の子のように、あなたも驚くことになるはずです。「私は、自分が平凡だということをわきまえている。身の程を知っている。そんな状態なのに、一体私にこれ以上どうしろと?」そんな声が聞こえてきそうです。でも、ここにその答えがあります。師である神様が、介入してくださればよいのです。そのためにもあなたは、自分なりのベストを尽くし続けなければなりません。その上で求める時に、必ず師である神は現われます。

 10年ほど前、私がこのレイクウッド・チャーチの牧師として出発した頃、私のする説教と言えば本当に単純で、基礎的なことばかりでした。信仰歴を経たクリスチャンなら、物足りないと言われても仕方のない代物でした。先ほどの男の子の例ではありませんが、きっと私のする説教は「チョップスティックス」のように響いていたことでしょう。
確かに私は、それまで一度も牧師らしい仕事をしてきませんでした。でも、私が心掛けたことは、せよと言われれば例えつたなくとも、自分の持てる全てを動員してベストを尽くすことでした。そしてベストを尽くしたのなら、あとは恥じ入らず堂々としていることです。でも時々、否定的な思いが私の心を爆撃してきました。「おいジョエル。お前、全然なってないぞ。それでも牧師だと言えるのか?牧師ってな、社交的で外向的な人間のなるものだ。そこへお前と来たら、内気そのものじゃないか!声に迫力もないし。お前は今までどおり、裏方のスタッフとして働いている方がお似合いなんだよ!」
 こういった思いがやってくるたびに、その都度私は頭から振り落とす努力をしました。私は、自分が神様によって才能も力も豊かに備えられている存在なのだ、と意識するようにしました。私は祝福されている。私は主の油注ぎを受けている。キリストの名の下に、私にはすべてのことが可能なのだ!と自分に言い聞かせました。
 そうこうしているうちに、師である神様がご介入くださったのです。神様は私の手の上に、その御手を添えてくださいました。そして私の声に、神様が声を重ねてくださったのです。そうして私は、自分でも今まで持っていることすら気付かなかった賜物を、再発見することができたのです。もし10年前に、誰かが私に「あなたは近い将来ヤンキー・スタジアムで超満員の観衆を前にメッセージすることになりますよ」なんて言ったとしたら、きっと私はこう返答したことでしょう。「なるほど、そうでしょうね。私がそうできるなら、あなたはきっとハドソン湾の薄氷の上に飛行機を着陸させることができると思いますよ!」

 親愛なる皆さん。師である神様がひとたび動き出せば、常識では考えられない事でも起こり得るのです。あなたは、自分が抱いている夢に関して、これはあくまでも「夢」であって、実現するなんて考えていないかもしれません。そもそも、その夢を実現させるに足る才能も実力もコネもない、とお考えかもしれません。でも、もう一度言わせてください。『神様は、持っている』のです!ですから、師である神様に信仰をもってお願いしてみるのです。もし、あなたがただ現状のままでよしとしてそこに閉じこもるなら、本来備わっている驚くべき力に一生気付かないままになってしまいますよ!
 あなたが勇気を出して、信仰をもって今より背伸びをするなら、あなたには神様がご介入してくださると信じます。その時、あなたは以前だったら挑戦しようとも思えなかったようなことにも、着手しようという勇気を得られることでしょう。そして、今まで気付きもしなかったような自分の能力に目覚めることでしょう。
 あなたは、思いもよらない絶好のチャンスを手にすることになるでしょう。事態はもうこれ以上良くなりっこない、と思えるその時―。神様は木管楽器の伴奏をつけてくださいます。すなわち、『適切な人』との出会いを添えてくれるのです。
 その次に金管楽器が加わります。それは、あなたにとっての「適切なタイミング」です。
 やがてあなたは、ひとうひとつの音が重なり壮大なオーケストラになることに気付くでしょう。隠されていたあなたの才能は見出され、神様がお与えになったあなたへの祝福も現実のものとなるのです。そして、かつて私が悟ったように、あなたも同じ悟りを得ることになるでしょう。この才能は、私だけのものじゃない。この実力は、すべてがもともと私の中にあったものじゃない。師である神様がご介入くださることによって成り立っているものなんだ!と。


■祈り

 天のお父様。私自身の努力に加え、あなたがそこに御手を添えてくださることに心から感謝いたします。そして、私自身の力だけでは到底成し得なかったことさえも、あなたの偉大な力添えにより実現できると信じ、これからもベストを尽くしてまいります。感謝して、主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

神様のお植えくださった使命を追い求めてベストを尽くしていく時、必ず神様は介入し、力添えくださるのだ!




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