第77日 心の炎を燃やし続ける | ジョエル・オースティン師を楽しむ!

ジョエル・オースティン師を楽しむ!

 本国アメリカだけでなく、世界中でも有名なジョエル・オースティン牧師のメッセージを和訳して紹介していきます。まずは『It's your time』のデイリー・デボーション版を日本語訳にて、一日分ずつ紹介していきます。次は、『Every Day a Friday』に取りかかる予定です。

■聖書箇所:サムエル上30:1~26

 人間とは、失敗に弱いことが多いものです。特に、一度大きな失敗を経験してしまうと、次頑張ってもどうせ同じ失敗をしてしまうのではないか?と恐れて、本来の実力を発揮できず、そのまま二度とチャレンジしない、というケースも世間には多いのではないでしょうか。
 今日の聖書箇所で、ダビデは一見取り返しのつかない大失態を演じております。でも、ダビデのすごいところは、そのままでは終わらなかったところです。損失を取り戻し、さらに発展する!その確信が、奇跡を生み出しました。ダビデの信仰に、神様も手を貸さずにはいられなかったことでしょう。
 私たちも、何かの失敗があった時、心の中の火がまるで消えてしまったかのような気持になることがあるでしょう。でも、その時こそ、神様の願いは私たちがダメダメ状態に甘んじて居座り続けることではなく、心の炎を再燃させて、前進することだと思い返す時ではないでしょうか。

■暗唱聖句:サムエル上30:6

兵士は皆、息子、娘のことで悩み、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したので、ダビデは苦しんだ。だが、ダビデはその神、主によって力を奮い起こした。


■ジョエル・オースティン師のメッセージ

 ある夜、私はテレビでアメフトの試合中継を見ておりました。両チームとも、スコアは拮抗したまま試合は進み、両者譲らずの激しいデッドヒートになりました。そして後半戦のハーフタイムで、ニューヨーク・ジャイアンツのゴールキッカーは、試合を決める得点のチャンスを二度得ました。普段のその選手の力量なら、そう外すこともないのですが・・・この時、彼はその二度のチャンスにおいて失敗したのです。プロのフットボールの試合で重大なミスを一度でも犯したなら、それはもう無視できない心理的影響がチームに及びます。士気も下がります。一度のみならずそれが二度なのですから、その深刻さは押して知るべし、です。さすがの監督も、このプレイにはがっかりで、頭がカッカしていたようでした。
 さて。実力伯仲のこの試合は、ついに延長戦に突入しました。ジャイアンツに再びボールが回って来まして、攻撃のチャンスをつかみました。もちろん、ジャイアンツの選手たちは、タッチダウンを狙ってフィールドを突進しました。もしも成功すれば、それで試合が決まりまるという場面です。しかし、ここでもまた、ジャイアンツはタッチダウンを阻まれてしまったのです。
 これで、四度目のタッチダウン失敗です。監督は、どう采配をふるうかの決断を迫られました。選択肢はふたつです。半分賭けになりますが、今の位置からキッカーに思い切ってゴールを狙わせる手があります。でも、これは先ほどのゴールキッカーが挑んで二度失敗した距離よりも、もっとありますから、普通に考えればうまくいくとは思えません。それとも、手堅く正攻法で、ボールのパスをつなぎながらいくかです。でも、実力が拮抗している状態ですから、敵も簡単にはゴールに近づけさせてくれないでしょう。
 試合中継のテレビカメラは、フィールドのサイドライン際に立ち、腕組みをして何やら熟考している監督の姿を映し出していました。考え込んでいる時間は、ものの20秒ほどだったと思います。ある決断をした様子の監督は、先ほど大失態を演じたゴールキッカーをフィールド上に探しました。あれ?と思いました。選手集団の中のどこを見ても、彼の姿が見つからないのです。
 でも、監督にはようやくそのわけが分かりました。何とそのゴールキッカーは蹴る気満々で、自分の判断ですでにキックするラインに立っていたのです。普通でしたら、二度も失態を演じたら自信を失い、遠慮して自ら蹴ろうとはしないものです。でも、そのゴールキッカーからにじみ出る並々ならぬ決意と確信のほどを感じ取った監督は、彼のしたいようにさせてやる気になりました。距離が先ほどより遠い分難易度は高めだったにもかかわらず、そのプレッシャーをはねのけ、見事にゴールを決めまして、ジャイアンツは勝利をもぎとったのであります。

 あなたの人生の中で、「あと一歩のところでゴールに届かない」という経験があったことでしょう。人によっては「そんなこと、数百回だってありましたよ!」とおっしゃるかもしれません。でも、そういう方々に私がうかがいたいのは、これです。「あなたは、得点するためにフィールドを駆けているのでしょうか?」
 先ほどの、二回の失敗にも関わらず最後にはゴールを決めたキッカーのように、あなたの中にも最後には成功を収めることのできる能力が備わっている、と知っていただきたいのです。どうか、過去の失敗や落胆なんかに、あなたの人生の前進を阻ませないでください。あなたの中には、神様がお与えくださった限りない潜在能力が秘められているのです。神様があなたにお与えになった使命に沿ったことなら、あなたが最大限の力を発揮できるようにしてくださるのです!
 皆さんがこの地上での生活を終えるまでには、おひりおひとりのもつ能力が余すところなく開花されますように、と祈っています。たった一つの夢さえも、たった一つの約束さえも、それが神様のお与えになったものならば、一つとしてかなえられずに残るものがあってはなりません。
 ですから、皆さんの人生はまだまだこれから、です!おそらく、皆さんの中には、かなえられるのを待っている夢や、開花するのを待っている賜物がまだまだ眠っているのではないでしょうか?神様はきっと、折角あなたの中にお植えになった賜物がムダになることを喜ばれないはずです。もしかしたら、失敗続きで疲れ果て、安楽椅子に身を沈めきっておられる方もいるかもしれません。でも、あえて申し上げたいのです。今はリタイヤの時ではありません。情熱の火を、再び燃え立たせる時なのです!

※原文では、retire(あきらめ)ではなくrefire(再び火をつける)、というように言葉のひっかけをしているが、日本語にすると分からない。ちなみにrefireという単語は正式な英語にない。おそらく、ジョエル師が遊び心でつくった造語であろう。


 さぁ皆さん。用意はいいですか?神様はまさに今この瞬間から、新たな扉をあなたの前に開けてくれますよ。その扉の向こうにあるのは、あなたがご自分の潜在能力を十二分に生かし、それを喜びとともに世界と分かち合えている、そういう世界です。最近私は、93歳の女性が大学生となり、このほど見事に卒業された、というニュースを聞きました。皆さん。彼女が93歳でそれを成し遂げられたのなら、あなたも例え30代であろうが60代であろうが80代であろうが、同じことができるのではありませんか?
 是非、あなたの内に夢の種火があるなら、それを燃え立たせてください。厳しいことを言うようですが、あなたが夢をあきらめる時というのは、あなたが生きることをあきらめるのと同じことなのです。あなたが、神様に祝福され最高の贈り物を内にいただいた存在として生きることを放棄するのなら、あなたの肉体は例え生きてはいても、ただ息をするだけの存在でしかありません。あなたは、神様の子どもとしてふさわしい姿勢で生きるべきなのです。正しいビジョンをしっかりともって、人生を進んでゆくべきなのです。


■祈り

 天のお父様。あなたがこの私を創造した時、私だけに添えた願いと、それをかなえるための賜物をお与えくださっていると信じます。これからは、あなたの期待に応え、過去の失敗には関係なく、「今」できるのだ!と確信して、前進してまいります。どうか祝福してください。主イエス・キリストの御名でお祈りいたします。アーメン。

■今日の中心ポイント

 私という存在は、神様によって最高の能力を備えられた、可能性に満ちた存在なのだと自覚する!




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