ブログから遠ざかってかなりの月日が過ぎました
この間様々なことを考えていて想いを発信する勇気がありませんでした。
ふるさと小豆島のわたしの実家のような田浦への想いをお聞きください。 鈴木展子
みんなで作る物語 あの段々畑にオリーブを植えていこう
二十四の瞳のふるさと田浦に新しい物語が始まる
瀬戸内海の小豆島、壷井栄の小説「二十四の瞳」が最初に映画化されたときに物語の舞台となった田浦。今も130年を超えて当時のままの木造校舎の分校が保存されています。映画が撮影された昭和28く年当時は生徒も40人ほど在校していて、村中に生き生きとした暮らしがありました。昭和46年分校が廃校となって、その後は人口も減り続けましたが、二度目の映画化を機に撮影用のセットが組まれて、そのまま映画村として新しい出発がありました。しかし、村は静かに過疎化が進み今では空家が半分近くになっています。
私は戦後間もない昭和23年から9年間この分校で学び、暮らしました。両親がこの分校で教師だったからです。当時の田浦は何事も村の人々が手を携えて共に働いていました。今は山に戻ってしまって、見えなくなってしまいましたが、天辺まで続いていた段々畑には、サツマイモ、小麦、大麦、ゴマ、たばこ、除虫菊、家庭で食べる野菜の数々が休む暇なく育っていました。誰もが、水も肥しも天秤棒で担いで段々を登って。
20年くらい前にはまだまだ、段々の石垣が見えていて木々も人の丈ほどもなかったのですが、今は山です。この段々畑をもとの姿に戻せないのだろうか、20年前に思い、知人に話しかけては「もう無理やで」と言われて打ちひしがれていました。少しでも回復させて、叶うならば、昔のように段々畑に作物のみどり、オリーブの銀色の輝きを取り戻せないものか、そんな私の願いに気持ちを寄せて下さる仲間に出会うことが出来ました。
そこで、勇気をもってこのプロジェクトを立ち上げ、少し先になりますが、
クラウドファンディングに挑戦します。壷井栄先生が残された「みんななかよく」の言葉を軸にして、地元のみなさん、支援してくださるみなさん、障害を持つ人、日本の世界の「ふるさと」に復元することに力をお貸しください。
美しい海と畑を私たちの宝物にするために。先ずは休耕地をお借りしてオリーブを植えることから始めています。環境にやさしい新しいオリーブの魅力を発信していきます。その次には有機栽培の野菜にも挑戦していく予定です。そして遠い未来に向かって、分校の校舎を新しい教育の場としても復活していって欲しいと願っています。
「二十四の瞳」の次の物語作りにご参加、応援をお願いたします。