『般若心経』注釈 1 | よどみにうかぶうたかた

よどみにうかぶうたかた

淀んだ頭に時たま浮かんでくる泡沫を書き残しています。

前回書いたとおり、今回から3回にわたって、『般若心経』を読み直して現代語訳を試みた際に調べたことや考えたことを、簡単な注釈の形でまとめておきたい。


参考文献等は前回記載のとおり。


最初のこの箇所では、「五蘊」(ごうん)と呼ばれる、人間を構成する諸要素が全て《それ自体は存在しない》ことを述べる。




青太字…漢訳原文

細字…鈍行庵による書き下し文

太字…鈍行庵による現代語訳

一行空けて細字…簡単な注釈


--------------------


(佛説摩訶)般若波羅蜜多心經
唐三蔵法師玄奘譯
(仏説摩訶)般若波羅蜜多心経
唐の三蔵法師玄奘訳す
(覚った人が説いた大いなる)智慧の完成の心髄の経
唐の三蔵法師、玄奘が訳す

般若=智慧。六波羅蜜の一。
波羅蜜多=彼岸に到ること。または、完全に到達すること。完成。
心…最後の真言を指す? 短い経で般若思想の「心髄」を記している意と思っていたが、岩波文庫本の註二(p.17)には「智慧の完成の心(真言)」とあり、註四九(p.38)には「心臓にも比すべきこの短い真言」とある。
同じ註四九には、ウィンテルニッツの「一切の苦しみを鎮める真言」という解釈も引用されている。
そうであれば、『般若波羅蜜多心経』というこの経名は
『智慧の完成の真言の経』
と訳したほうが分かりやすいかもしれない。

觀自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊の皆な空なるを照見し、一切の苦厄を度せり。
求道者アヴァローキテーシュヴァラが深い智慧の完成の修行をしていた時、人間を構成する五つの要素が全て
《他との因果関係によって起こる仮の現象であり、それ自体は存在しない》
ことを見出して、全ての苦しみと災いとを脱した。

観自在=Avalokiteśvara、観世音、観音
五蘊=人間を構成する五つの物質的・精神的要素。色・受・想・行・識。
空…諸仏典に異なる意味で使われ、後世の解釈も様々だが、私は「無自性=空」という理解で一貫している。自性(実体)が無い。それ自体は無い。それそのものは存在しない。実在する全ては何かとの因果関係によって起こった仮の現象である。

舍利子。色不異空、空不異色。色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。
舎利子よ。色は空に異ならず、空は色に異ならず。色は即ち是れ空なり、空は即ち是れ色なり。受想行識も亦復た是くの如し。
シャーリプトラよ、物質であることは《それ自体は存在しない》ことに他ならず、《それ自体は存在しない》ことは物質であることに他ならない。
物質であることは即ち《それ自体は存在しない》ことであり、《それ自体は存在しない》ことが即ち物質であることである。
感受・表象・意志・識別もまた同様である。

舎利子=Śāriputra、舎利弗。ブッダの弟子。
色=五蘊の一。人間を構成する諸要素の内の物質的要素。
色即是空…事物には実体が無い。但し、この「色」は五蘊の一であることに留意。まだ世界全てが空とは言っていない。
受=感受作用。
想=表象作用。
行=意志・欲求などの心作用。
識=認識・識別作用。
…これらの四つは、五蘊の内の精神的要素。これらも空。いわば「受即是空・想即是空・行即是空・識即是空」。「色即是空」と合わせて「五蘊皆空」となる。

続く