アシュトン レイニーディ |   私的喫煙日記

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      私の日々の喫煙生活を記録しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      

結局ここに帰ってくるんだなあという感じ。

アシュトンのレイニーディは、このブログで以前紹介したように思い違いをしていたが、実は今回初めて書くのであった。

もう11年以上も前に、同じアシュトンのギルティー・プレジャーを紹介した事があった。アシュトンのシリーズはギルティー・プレジャーとこのレイニーディ以外は一度づつしか試した事がないのだが、実にレイニーディは3回目の購入になる。

印象としては私の中ではラールセンのファイン&エレガントなどと同じ分類に入る煙草であるが、要するに柑橘系と洋酒のブラキャベである。

しかし、これらの中でもとりわけこのレイニーディが異なる点は、シツコくなく最後まで快適に吸え、軽快な甘さで後味もスッキリしているというところだ。

今回開けた缶も、ティン・ノートはそれほどキツくなかった。明るいヴァージニアとブラック・キャベンディッシュの美しいコントラスト。カットはファイン&エレガント等に比べて刻み幅は同じぐらいだが比較的長い。柑橘系と洋酒系の爽やかな甘い香りだが、ベットリはしていない。

指で揉む必要はあまりない。紙の上に置いて乾燥させる必要もあまり感じない。このまま摘んでボウルに放り込んで良い感じ、適度な湿度である。

いつものようにファルコン・シレイラを使う。このところこればかりだ。ステムがアルミでアルコールで洗えるせいもあって、前に吸った煙草の影響も受けにくい。ボウルもしっかりとリーミングしていれば、ほぼどんなに癖の強い煙草を吸っても、後々香りが残ったりしない。

 

では、いただきます。

 

ウ~ン。落ち着く。

やはり、ここに帰ってくる。人生において最初にパイプ煙草というものを意識したのが、まさにこのようなブラキャベを中心とした着香系だったというのが大きい。

私が20歳ぐらいの頃は、パイプ煙草に今ほどの選択肢はなく、ラタキアはもっと年配のパイプ・スモーカーの愉しみだという認識だったし、ヴァージニアやペリックなど無着香の煙草も「通」の領域だった。

所謂アメリカン・オールドスクールと現在では分類されるクラシカルな定番銘柄も、ラタキアものと同様にベテラン・スモーカーにしか理解できない不思議なコダワリで、若い私にはあまり縁のない存在だった。

初めにパイプ煙草を「美味しい」と意識したのはやはりデニッシュだった。洋酒やバニラやフルーツの香り、キャベンディッシュの製法の知識などまだまるで知らない頃、喫煙という習慣もまだついていない頃、私にとっては特別にラグジュアリーなものだったのだ。

アシュトンなどを知ったのはずっと後になっての事だ。実際若い頃はパイプ煙草に2000円以上出すなんて考えもしなかったし、近所のたばこ屋で買えるパイプ煙草は1000円以下のパウチものが中心だったし、20代中半から40歳ぐらいまでは、パイプ煙草は時たま気の向いた時に吸う程度で、日常のほとんどをシガレットで過ごしていたので、今のようにパイプ煙草に戻って来たのは40歳を過ぎてからだ。

日本の社会においては、パイプを咥えているなんてとてもエラソーな態度に見えるし、若いヤツは生意気に見られるし、ブルジョアに見られるし、得な事などひとつもない。

やっと、パイプをしっくりと日常に取り入れる事が出来たのは、中年になってからだった。インターネットで海外通販が普通に出来るようになって、大都市の専門性の高いたばこ屋に行かなくても、様々なパイプ煙草を手に入れられるようになった。とりわけ、アシュトンの煙草はちょっとした憧れがあり、缶のデザインも美しく特別に豪華なものとして映っていた。

この頃になると、私はむしろ着香系から離れる傾向にあった。特にラタキアに傾向してしまったのは、自分がかつて雲の上を仰いでいたベテラン・パイプスモーカー達の領域に、年齢的にも追いついたような錯覚をしてたからなのかも知れない。ロープ煙草やクランブル・ケーキや不思議な形状の煙草にも手を出して、何となく世界中のありとあらゆるパイプ煙草を吸い尽くしてみようなどと思うようにもなるのだが、そんな中でマクレーランドのフロッグ・モートンにも出会い、もう自分にはこれだけあれば他は要らないと思うようにもなっていた。そんなマクレーランドも廃業に追い込まれ、最早ひとつの時代が終わったのを悟った。

そして結局、自分を取り巻くパイプのあれこれに惑わされながらも、染み付いた年月の重みを担う存在がブラック・キャベンディッシュなのだという事を知った。

これはある種の「結論」なのかも知れない。20歳から断続的にであれ続いたパイプとの歴史における「結論」だ。