『巨匠 ヘンリー・ジェイムズの人と作品』 | First Chance to See...

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 コルム・トビーンが2004年に出版した、ヘンリー・ジェイムスの評伝小説The Masterの日本語訳。これだよこれこれ、私はもうずっと前からこの本が訳されるを待ってたの!

 

 

 私が日本語訳を待ちきれず力づくで原著を読んだのは、2015年のこと。まがりなりにも原著で読んだのなら今さら日本語訳など不要だろ、などと言うなかれ。当時のブログ記事にも書いた通り、作中のヘンリーがこれから書く小説についてあれこれ思いをめぐらせても、ヘンリー・ジェイムズ作品にさほど詳しくない私には、それらすべてを拾い上げて「これはあの小説のネタだね」と特定することができない。そりゃ『ねじの回転』くらいはわかったけど、他にも絶対いろいろ見落としている。

 

 加えて、ヘンリー・ジェイムズ作品にさほど詳しくない私が言うのもなんだが、日本でももっと彼の作品が読まれるようになればいいのにという気持ちがあり、この評伝小説はその契機になりうると思ったからだ。ヘンリー・ジェイムズの小説を難解な英文を読むのはものすごく大変だが、こなれた日本語訳で読む分にはそこまで大変じゃない——というより、よく出来た小説としてすごくおもしろい。特に初期の長編小説。『ワシントン・スクエア』と『ある婦人の肖像』は私の大のお気に入りだし、去年新訳が出た『ロデリック・ハドソン』もめっちゃおもしろかった。こういう読みやすい新訳の文庫本がもっと出てほしいんだよ、私は。

 

 が、待ちに待ってたThe Masterの日本語訳はよもやまさかの酷い代物だった。冒頭、ロシア人の「プリンス」と「プリンセス」が「セント・ピーターズバーグ」に戻る云々という記述あたりで早くも嫌な予感はあったけど(「公爵と公爵夫人がサンクトペテルブルクに戻る」って書くほうがわかりやすくない?)、その後もやたらと英単語のカタカナ書きが目立つ。お茶とか紅茶と書かず「ティー」にするくらいは好みの問題と言えるけど、「プロフェッサー」「ナイトメア」もギリギリ我慢するけど、でも「エグザイル」とカタカナ書きするのはマジで勘弁してほしい。

 

 さらに問題なのは、固有名詞の不統一だ。ヘンリー・ジェイムズの評伝小説の日本語訳であるにもかかわらず、作中に出てくるヘンリー自身の著作のタイトルすら揃っていない。こういうのは極力既存の日本語訳に沿って訳出してほしいと私は思う(この評伝小説でヘンリー・ジェイムズ作品に興味を持った人を、適切に誘導しないでどうする)が、訳者のこだわりで原題に沿ったオリジナルな日本語タイトルにしたいというならギリギリ我慢するけど、でも、作中で同じ本のタイトルをある時は『ある婦人の肖像』と書き、またある時はA Portrait of a Lady(p. 158)と書くのはどうかと思うし、もっと言えば、正しい原題はA Portrait of a LadyではなくThe Portrait of a Ladyだぞ、念のためコルム・トビーンのThe Masterの記述も確認したがトビーンはちゃんとThe Portrait of a Ladyと書いてたぞ!

 

 その他にも、『カサマシマ公爵夫人』は『プリンセス・カサマッシマ』(p. 90)になったり『プリンセス・カサマシマ』(p. 410)になったりするし、『ロデリック・ハドソン』なんか、ちゃんと『ロデリック・ハドソン』と書かれたその次のページでいきなりRoderick Hudson(p. 360)になったりする。さらに、『ポイントンの台無し』(p. 176)と『ポイントンの蒐集品』(p. 413)、これはどちらもThe Spoils of Poyntonを指しているのよね?

 

 あと、同じページの中で『緋文字』とThe Scarlet Letter(p. 221)とか、『両世界評論』とRevue des Deux Mondes(p. 206)とか。一体どうしてこんなことになっちゃうの?

 

 ここまでくると、一人の訳者が本全体を訳したのではなく、複数の人に英文テキストを分けて配り、それぞれが訳したものを持ち寄って継ぎ合わせ、一度として全体に目を通すことすらせず校了にしたのではないか思えてくる。そのくらい酷い。

 

 さらに悲惨なことに、稀少な訳者注さえズレている。オスカー・ワイルドの裁判事件について、ヘンリーが友人スタージスと話している場面で、スタージスはワイルドの愛人ロード・アルフレッド・ダグラスのことを愛称ボウジーを用いて語るが、

 

「ボウジーは彼の最愛の人。彼のためならすべてを投げうつつもりですね。ワイルド〔訳者注・ワイルドの愛人〕は最愛の人を見つけたのですよ」(p. 106)。

 

 ちょっと待て、〔訳者注・ワイルドの愛人〕をつけるなら、ワイルドではなくボウジーの後でしょうが。もっと言えば、この会話の前にロード・アルフレッド・ダグラスの名前は出ているんだから、ボウジーの後に〔訳者注・ロード・アルフレッド・ダグラスの愛称〕とつけるほうが適切でしょうがっ。

 

 最後にもう一つだけ。ヘンリーが新しく家を買ったと知って、友人のレディ・ウルズリーが新居のアドバイスを申し出る。"She was, he knew, a great and talented gatherer of objects"。

この箇所、「彼女が不動産物件の有能なディーラーであることは知っていた」(p. 175)となっていて、いやいやいや19世紀末を生きる貴族の奥様が不動産ディーラーなんかやらないでしょ、ここは「優秀で有能な蒐集家」くらいの意味でしょ。

 

 実際、この後ヘンリーとレディ・ウルズリーは一緒にロンドンのいろいろなお店を巡って新居にふさわしい家具調度を選ぶ。レディ・ウルズリーは骨董品の目利きで、ロンドンの骨董業者たちと顔馴染みで、モノの適正価格を心得ている上に、ヘンリーの好みに加えて彼の懐事情までも把握している。最高に頼もしい、頼しすぎて反論しづらいのだけがタマにキズな友人なのだ。それがどうして不動産のディーラーになるのか……。