こんなんで構わんの?inタウンモビリティ
時間もなく記述か遅くなったけと、一週間過ぎた今、ようやく12月度のタウンモビリティに施設の仲間7人と参加した話を書いてます。僕もそうだったけど、多くの人との触れ合いの中で自分を変えていけるヒントや情報を仲間にも掴んで欲しくて,毎月誰かとお邪魔してます、長い人でもう半年程になるかなぁ!! 今回は、既に常連化してる友の事を書きます。僕から見る彼は免許取得という具体的な目標に前向きに取り組んでいる好青年です。そんな彼だからこそ、同じ障害当事者として、相談に乗ったりアドバイスをしてきました・・でも・何時までたっても口癖の(俺に出来るかなぁ)を連発する彼・・その度に僕は(気持ちがあればやればできる)・・と、分かったような無責任な言葉を繰り返すだけでした 僕は身体障害当事者でありますが、残念なことに自分の身体障害のことしか語れないし解かってなかったようです・・僕の場合・免許取得は努力を必要しましたが、残存能力でなんとが取得出来るました・・が障害者の『できない訳』は他当事者には予想もつかない事情が存在したりするのです。彼には『できない訳』として服用薬を止めてから3年過ぎないと運転できないという現実が存在してたのです!僕はこの『できない訳』は本人の気持ちや努力で何とかなるものではないと直感して、軽はずみな僕の(できる)という言葉を反省して上で、その事で彼の前向きな気持ちを切る事が怖かったし、彼との話の中で免許取得は障害者として今を生きる自身としての(僕でもできる)という自信として必要なのだと感じたので(ないもの強請り)ではない、現実的な(僕にもできる)を体感して欲しいと思ったから、気付きの場としてタウンモビリティに共に参加しました。 というのも・・・はここには実行委員長の笹岡さんの、片麻痺で今はなにもお手伝いできない僕のモビリティ参加を(居て話すだけでいいから」って歓迎してくれた想いと,「障害があっても世話される側から世話する側への発想の転換で必要とされる存在になれる」という気付きが根底に流れてる事をしってましたから その中で、彼は(ボランティア)として仲間の車椅子を押す事で、車椅子を(押される側)から(押す側)へと転身により「必要とされている自分)実感したようです。それからは自分の存在感をここで示そうと頑張ってす、その気持ちは徐々に周りに影響し始めたようで、ご家族もボランティア活動を始められたそうです もちろんタウンモビリティは障害当時者だけの学びの場でないことは承知してますけど(,受・障害)後の自分をどう生きていくかとか障害を持っての堂々とした精一杯の生き方が掴めすにもがいてる若い障害者の学び場してスタッフや学生さんや利用者さんと交流は必要です・・既に一部の者はあるスタッフさんを「ボス」と呼ぶ事で親愛の情や感謝の気持ちを表してます。不器用な彼らなり自分達で考えた精一杯の愛情表現なんだと僕は考えます、ある人は自分の人生観を若い世代に伝えることに「自分の存在意義」を感じてるようです。それもこれも「何もできないあなたであってもいてくれるだけで構わない」という笹岡さんの見構える必要を感じさせないフランクな思考が生んだ、自分のすべき事は自分から気軽に発想させる一手法となって,それが彼らのやる気を支えてるように思います笹岡さん、スタッフの皆さん・いつもありがとうございます・またお願いします最後までご覧いただき誠にありがとうございますにほんブログ村 人気ブログランキングへ ↑ブログ村のランキングに参加しています。よかったらポチ!して下さい