アロハ〜。

ADHDががんがん挑戦して来ますが、
ハワイアンの叡智に預かり、あまり気にせずできることだけやっていこうと信じ出した、
ミュージック・アンバサダーのカイルアお天です。

今日は私と夫のメンタル・ヘルスについて書いてみます。

その中でも、私がカイルアでメンタル・ヘルスの診断を受けるまでの経緯をお話しさせてください。

先ず、私がアスペルガー、ADHDそしてPTSDと診断されたのは、まだ2年ほど前の話です。




夫が結婚前付き合っている頃に、
まさに、オバマさんのおかげで、
みんなに保険をいただけるようになったということで、
さっさと保険の手続きをしてくれ、
鬱なら薬で治ると信じるアメリカっぽい?考えに乗っかっって
嫌々ながら医者に行ったり、
薬を飲んだりもしました。


実はハワイに来る前、ニューヨクとかロスとかにも住んでました。

そして、ロスで鬱になり一旦日本の実家にしばらく帰ったんです。

その時、薬を飲んでエライ目に遭い
二度と嫌だと思っていたんです。


なのに、大好きな彼に
「大丈夫。僕もこれ飲んでたことある。」
「10日ほどしたら、忘れてるよ。薬も要らなくなる。」

「これ、アメリカではハッピーな💊薬って評判高いよ。」

と言う男前の言葉に嫌々ながら降参し、
プロザックという薬を飲んでしまい、
立てない、考えられないという悲惨な状況で彼の家から一歩も出られなくなったことを思い出します。

10日目に彼もさすがに、寝たきりの私をどうすることもできず、

「おかしいな。どうして君には効かないのかな。。。」

「仕方ない。10日間頑張ったから辞めていい。」と降参してくれたからよかったものの、今考えると、私鬱でなくアスペルガーだったの。。。

生まれた時からの、
脳のシステムが周りと対応しないことから問題が起きてるのであり、
薬で治るものではなかったので、
あの時以来、薬は飲まないようにして
本当に良かったです。




ちなみに、この時のドクターは普通の内科医でした。



当時の私は
セラピーというものの意味がわかっていなくて、ドクターというと薬を出して
私の脳をグチャグチャにする人だから、
その種類とは関わりたくないと思っていました。



そしてまた、友達でも知り合いでもない
赤の他人に
自分のこの複雑なバックグラウンドを説明する事、
尚且つ個人的な心のモヤモヤを表現すること、
そんな事が果たして可能なのかっ
とその時点で悩んでいました。


だから、知らないドクターに勝手に脳をグチャグチャにされるくらいなら、
気の合う内科医の先生とベラベラ喋る方が良くなると信じて、
薬は飲まずに通っていました。





そうこうしている間に、
こんなトンチンカンな夫と私が、
お互いに見た目にどーっと惹かれ、
愛があれば大丈夫とロマンチックに結婚しました。




ここからドクターの診断が降るまで、
殆どロマンチックは消えてしまい、
雄鶏17匹がベッドルームの横で二十四時間泣いている、
コケコッコー新婚ハウスに行って毎日が喧嘩。

そして、いきなり20年以上封じ込めていたピアノを夫が買って来るは。。。

世界中の人が中継で見ている
ハワイの灯籠流しで
夫が親灯篭を持ってステージに立つことになるは。。。

もう、日々がびっくり仰天と
ストレスと勘違いの連続。


お互いに物凄く愛し合っているのに
何か根本的にズレてる。。。

これ、文化とか言語とかを超えて何かが変?





カップルカウンセリングに行ったこともありましたが、これまた、アメリカンな感じの一般的な薄っぺらい本に書いたことしか言えないような、勉強不足な人に当たってしまい、
カウンセリングに行くたびに、
夫が一方的に自分の都合のいいように話をする時間となり、私のストレスが上がり、また喧嘩。




こんな私を徐々に救い出してくれたのが
このピアノです。

嫌々ながら復活したピアノでのパートタイマーの仕事が徐々に増え、
私の人生は今までと違う方向に、
すでに動いていたことに気づいていなかったのは私。

「あなたこの発達障害のピアニストに似てるよ。」と仕事で通い出したホスピスのナースの友達から
時々YouTubeが送られて来るようになり、
日本のナースの友達からも同じようなことを言われ出しもしかして?
と思い始めました。


そんな時シニアのちょっと変わった
タイワニーズの女性が
ピアノの生徒さんとして
人生に現れたのです。

彼女が自分の生い立ちを含め、
「世の中に脳が生まれた時から違う構造の人がいる。」

「私の若い頃、セラピーなどないから、
この国に来てから、食べるものを削ってでもセラピーを利用した。」

「その結果私は台湾にいた時と全く違う自分に生まれ変われた。」
など体験を聞かせてくれたり、
今まで私の知らなかった世界へ、
偏見なくむしろ、
面白そうっという感覚で入っていけました。


そして、
「あなたもきっと自分で、気づいていけば理解できるはず。」
と言われるなか、私も進んで自分に合うセラピストを探そうと決心しました。




すると、いとも簡単に近くのカイルアで

「僕もディスリクシックで、
尚且つミュージシャン。」
というドクターが見つかり喜んでいたら。。。。
その矢先に。。。


私がカイルアの精神科病棟に
緊急入院で連れて行かれる事件が起きました。




ここからが、私が単なる鬱でなく、
発達障害やPTSDなど
一般人が語らないジャンルの人間であった
という事実を、少しずつ受け入れる準備が始まったのでした。




では、続きはまた。。。