南走平家によるブログ

南走平家によるブログ

沖縄限定発売本『 南走平家によるの琉球・沖縄王朝史 』に関するブログです!

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「倭」は「イ」であり、「ワ」とは読まない。

これが個人的な意見です。「漢委奴国王」は、「カンノ・イド・コクオウ」であり、漢民族による北部九州の王朝が存在していたことが推測されます。福岡の糸島半島は、「伊都」や「怡土」と呼ばれてきました。「委」は「委員(いいん)」などの「イ」であり、中国では音が同じ場合に「倭」を「委」と表記することが許されるのです。

ヤマト言葉でも、「イジン」とは他民族を表します。また日本の正史である日本書紀を見てみて下さい。景行天皇の熊襲征伐では、山口県防府市から福岡県の行橋市に船で渡っています。関門海峡を渡れば約600mなのに、何故約60kmもの海を渡ったのでしょうか。これは北九州がヤマト民族の支配地ではなかったことを意味していると考えられます。

ヤマト民族は、朝鮮半島から福岡市西区の山門に上陸し、何十年後かに東征として関西地方に移動を行い、九州を離れたものと考えられます。その後、福岡県の行橋・京都(みやこ)地域に再上陸し、景行天皇の熊襲征伐のルートに従って支配地域を確立していったものと思われます。そのゴールが、福岡県みやま市の山門ではないでしょうか。

ヤマト民族が北部九州を手に入れるのは、527年の「磐井の乱」と呼ばれる戦いの後と考えられます。この時、ヤマトは糟屋(かすや)を手に入れます。糟屋は宇美(うみ)などを含む福岡平野における最大の湿地帯であり、当時の食糧生産地で福岡地域の中心地であった可能性もあります。「糟屋」を手に入れたということは、「福岡平野」を支配したということではないでしょうか。

よって「倭人(イジン)」とは、ヤマト民族の祖先ではないし、「倭の五王」も「水城(みずき)」を作ったのも、ヤマト民族ではないように思われます。そして、邪馬台国の卑弥呼は日本人の祖先ではなく、天皇家とも関わりがないと考えられます。女性宮家問題で大騒ぎしているヤマト民族が、どうして女性の王を仰げるのでしょうか...

奈良時代に女帝の時代がある?それはまだ別の機会に...


クニが成立する過程において、多くの民族がその支配を巡って争ってきました。現在、国連に登録されている国は、幸運にもクニとして成立した民族の集合体であり、その影にはあまたの滅びた民族がありました。

東アジアでの覇権は、現代においては下記のように決着がなされています。

中国・・・中国大陸を支配(漢民族)
韓国・・・朝鮮半島を支配(新羅民族)
日本・・・日本列島を支配(大和民族)

これらの支配の影には、多くの滅びた民族の歴史があったはずです。しかし歴史は勝者の史書であるために、真実の多くは闇の中に葬られる運命にあります。渤海国、金朝,清朝を建国しながらクニへと残れなかった靺鞨族や、北魏や隋、唐を建国しながら滅びた鮮卑族、元として広大な領土を得ながら後退したモンゴル民族など、中国大陸の領土を巡って広大な戦いが繰り広げられたのです。

民族が生き残るためには、高い「民族エネルギー」が必要です。食糧の生産力、軍隊の攻撃力&防衛力、情報収集能力と文化の吸収能力などです。他国に負けないために、常に気を抜くことはできません。また強力なリーダーとそのリーダーを支えるシステムの有無がその民族の成長のカギとなります。これは企業においても言えることです。三菱、ホンダ、ソニーなど、強力なリーダーシップとそれを支える組織とインフラがあって初めて巨大企業へと成長できたとも考えられます。

日本史のジレンマは、日本列島を最初からヤマト民族のものにしなければならなかった事と、日本列島に関する歴史が中国大陸ほど古くないということです。日本人の歴史は2000年に満たないのでしょうか?ヤマト言葉の成立も、その程度なのでしょうか?個人的には、日本人の歴史は3000年以上あったのではないかと考えています。そうでなくては、日本列島を支配するほどの民族エネルギーは持ち得なかったのではないでしょうか。これは漢民族、新羅民族においても同様な事が言えます。では中国大陸においてヤマト民族はどこにいたのでしょうか?

私の答えは「夫余民族」です。よって「百済」「高句麗」は同族であり、ヤマト民族と同じヤマト言葉を話す民族だったのではないでしょうか。百済滅亡後、多くは日本列島に移住を行い、「平氏」として日本に融け込みます。同様に高句麗も「源氏」として融け込んで行くのです。平 清盛は若い頃、「高 平太」と言って馬鹿にされています。「平太」とは平氏の太郞(長男)の意味であり、「高」は高下駄を履いていたからだろうとの通説になっています。しかし、個人的な意見は、これは「高氏」の「高」の意味であり、平家をよそ者として馬鹿にした言葉だったのではないでしょうか。平家の先祖の苗字は「高氏」です。これを改名して「平氏」になったのです。

このように沖縄に渡った平家の軌跡から、百済の軌跡、古代九州の軌跡を感じ取ることができるのです。

フェースブックをお持ちの方は、「南走平家によるソーシャルページ」があります。記事はアメーバ・ブログと同じですので、両方見て頂く必要はありません(笑)。

フェースブックを始めたんだから、ブログもやっとこうと思って...また「南走平家」で検索したら、ほとんど関連ページがヒットするようになりました...この手は使える...

まあ、誰が「南走平家」ってキーワードを入れるのかって問題はありますが...(笑)
『南走平家による琉球・沖縄王朝史(上巻)』(沖縄&アマゾン限定発売本)で宇久島を調査したことから、宇久島に関心をよせるようになりました。宇久島は平 清盛の弟が支配した島と伝えられていますが、その弟は関西で病気で亡くなったことになっています。これも平家の謎のひとつです。

その謎に近づくべく、今回『宇久じまん会』に入会することにしました(笑)。年に1回、福岡で総会があり、それが今度の土曜(2012年6月30日)です。早速申し込みをしました。来週が楽しみです。報告はまた!

ウキウキ宇久じまん会のブログ

http://ameblo.jp/ukujimankai/ 

沖縄の舜天王統(1187年~)の前の アマミキヨ の時代は、25代17802年間統治したと伝えられています。1代で約700年生きなければないので、生物的にはちょっと無理がありますが、25代という数字は検証する余地がありそうです。同時期の王朝の王の移り変わりを見ていくと、昔の人は16才から21才で最初の子供をもうけていたようです。そうすると25代とは約470年になります。日本でいえば西暦710年ぐらいでしょうか。現在の沖縄が、古代ヤマト言葉を使用しているということは、その時期に九州から南に渡ったことが推測されます。その時期に九州で何かあったのでしょうか?

そうです。710年には、九州で隼人族の反乱が起きているのです。これは続日本紀(しょくにほんぎ)に書かれています。しかし、この時、隼人族が沖縄に渡ったと考えるのは早計です。いろいろこの時代を調べていく内に、不思議な事実に気がつきました。太宰府、そして奈良王朝の成立に関する謎です。

「沖縄に渡った平家」「平家から辿る平氏と源氏」そして新たに「太宰府と奈良王朝の謎」です。ちょっと遠回りになりますが、『南走平家による琉球・沖縄王朝史(上巻)』(沖縄&アマゾン限定発売本)の続きの下巻を書く前に、『統一新羅による太宰府・奈良王朝史(仮題)』を書くことにしました...

この時代のヤマトの混乱が、古代沖縄の歴史に影響していると考えるに到ったからです。たぶん本にするまでに2年くらいかかるかも知れませんが、のんびりやりたいと思います(笑)。

あと、小説も書き始めました。『南走平家による琉球・沖縄王朝史』を題材にした歴史小説です。その時代をわかってもらうためには、物語が一番なのです。『統一新羅』を書きながら、疲れたら『歴史小説』を書くか、歴史ドラマを見る。そんな生活が、当分続きそうです(笑)。

「男(おとこ)」の対称語は「女(おんな)」と思われがちですが、じつは 「オトコ」 の対称語は 「オトメ」なのです。これは「若い」を表す「オト」に、男性を表す「コ」がついていることを表します。「コ」に対して「メ」は女性を表します。以前書籍の中で、国歌にある「苔のムスまで」の「ムス」は「生まれる」の意味であることをご説明しました。男の子が生まれると「ムス」+「コ」であり、女の子が生まれると「ムス」+「メ」と呼ばれます。その他にも「コ」には、「ムコ」「ヒコ」「ミコ」など全て男性を表す言葉であることがわかります。同様に「メ」には「ヨメ」「ヒメ」「ミメ」などすべて女性を表すのです。

 神話の世界では男性は「キ」で、女性は「ミ」と考えられます。これは「イザナキ(イザナギ)」の男性神と「イザナミ」の女性神から、考えられるのです。「スメロキ(スメロギ)」の「キ(ギ)」も同様です。実はこれらの「メ」を5母音として考えれば、3母音は「ミ」となるのです。次回は、男性を表す「キ」がどのように使われていったかを見ていきましょう。
Domain-0 とは自分です。
その上に ゲストOS 「 Domain-U 」を構築します。
ホストからゲストに資源を渡すのは、アタッチコマンドになります。

まぁ、Xen はよくてきています。 VMの方がすでになれてしまっていますが。

# service xencommons start
# service xend start

・起動しているdomainのリストを表示します

# xm list

・起動しているdomainの情報を表示します
・free memoryの情報を得ます

# xm info

・xmのコマンドオプションは?

# xm help

・デーモンの停止
・ドメインUの停止には時間が掛かります
・xm list で確認してから、xendを停止します

# xm list
# service xend stop


システムワークス社の POWER MASTER Server をさわった機会があったので、ちょっとそのメモを。

POWER MASTER RAID E series を外部ディスク筐体として追加。結線して再起動したら、無限ループに....

RAIDカードのファームを 1.46 から 1.49 に更新したら、なんとか起動。
RAIDカードは ARC-1680 Acer のカードでした。


ファームはここ http://www.areca.us/support/main.htm

日本語マニュアルはここ http://www.kingtech.co.jp/products/raidcard/arc-1680d.html


カードにネットワークポートがあり、ネットワーク経由でブラウザでアクセスできるカードでした。


DHCP もしくは 192.168.1.100 が 初期IP になります。

管理IDは admin 、 初期パスワードは 0000 です。


ブラウザから操作できるので、結構手軽なRAIDカードでした。RAIDは RAID Level 0, 1, 1E, 3, 5, 6, 10, 30, 50, 60 and JBOD に対応。

フォーマットが終了しないと、OSから認識できませんでした。フォーマットに1日かかって閉口。まあ 40TB もあれば仕方ないか.... 
やっぱり福岡県に住んでいる以上、韓国は遠くて近い隣国です。福岡からは大阪より釜山の方が近いということもあります。そのくせに、今までこの海峡を越えたことがありませんでした。今回この海峡を越えるために調べたメモを残したいと思います。ちなみに私は韓国語がまったくわかりません。通じない場合は日本語と片言の英語、そして最強のジェスチャーで乗り切りましょう。スマートフォンはとても役に立ちます。外の看板のメニューを写真で取って、これを食べたいと店員にジェスチャーすれば、ほとんどの場合は通じます(笑)。パケット代はけちって常にOFFにしておきましたが、スマートフォンは結構使えます。

福岡&下関から釜山への海路では、下関からフェリー(関釜フェリー)と、福岡からのフェリー(カメリアライン)、そして福岡からの高速船(JR九州ビートル/コビー/ドリーム)の3つの方法があります。所要時間はフェリーは約6時間~8時間、高速船で約3時間です。料金はフェリーは 9000円(2等)、高速船は 13000円 程度になります。ドリーム号(1日1往復)では、往復 9000円などのキャンペーンなどもやっていますが、本数はJR九州ビートルが最も多く安心です。(1日3便から5便程度)

行きの福岡発のフェリーは、12:30に福岡を出て、18時過ぎに釜山に着きます。正味約6時間です。帰りのフェリーは 19時~19時30分までに乗船を行い、出港するのは 約22時です。また博多に6時には着きますが、下船できるのは 7時30分です。これは釜山の税関が 20時までで、福岡の入国審査ができるのが 7時30分からになるので、それを待つわけです。10時間以上も船に乗っているので、苦痛のようにも思われますが、ビールでも飲んで寝ていればいいので、結構こちらの方が楽かもしれません。高速船に3時間座っているのも結構つらいものです...

海を見ながら優雅に船旅を味わうためには、カメリアラインの福岡発、釜山行きのフェリーしかありません。(逆は夜ですので)壱岐や対馬の景観が楽しめます。また下関発の関釜フェリーは、下関19時発で、釜山に8時着、逆は 釜山を20時発で 下関に8時着になります。こちらは全て夜便なので、景色もあったものではありません。ちなみに関釜フェリーは韓国では、釜関フェリーと呼ばれます。

フェリーの2等に乗られる方は、早めに乗船して、寝る場所を早めに確保しましょう。1室に12名程度の部屋ですので、奥の隅の場所が狙い目です。(コンセントを充電等で使いたい方は必須!)また寝場所を確保したら、貴重品を預けるか小さいポーチに入れてすぐに風呂に行きましょう。風呂はすぐに満員です。だれでも綺麗な1番風呂に入りたいと思うものです。(特に日本人ですが)シャワーしか入らないのならば、あとでも一向にかまいません。船に乗ってから2時間は動きませんので、その隙に酔っ払って寝るのも手です(笑)。タオルは1枚持ってきましょう。何かと便利です。また枕にできるものをもっていくのもいいかもしれません。(私は衣服用の袋を枕にして寝ました)。1等船室は、どうかって?貧乏旅行なので2等しかわかりません。ぜひどなたかレポートお願いします(笑)。今回はリュック1つとカメラ1つの一人旅でしたが、折りたたみ自転車を持っていくのも、ありかもしれません。韓国の観光名所は結構歩きます。レンタカーと折りたたみ自転車があれば最強です!

ビートルなどのジェットフォイルでは、ボーイング929 の機体が使用されています。ジャンボジェットで有名な米国ボーイング社の船舶で、ガスタービンを動力としたウォータージェット推進になります。3.5mまでの波ならば、十分走れますが、流木や鯨にはかないませんので、シートベルトは必ず締めましょう。

それでは、アンニョン ハセヨ!よい旅を!!

(出港時刻は 2012年5月現在のデータになりますので、改めてご確認下さいませ)
韓国(釜山)でレンタカーを借りるために必要な事をまとめました。これから車を借りる方の参考になればと思います。あくまでも自己責任ですので、安全運転に努めましょう.....

海外でレンタカーを借りるのに必要なものは、パスポートと国際免許証です。国際免許証は、各県の運転免許センターですぐに発行してもらえます。国際免許証を取るには、

1.日本の運転免許証
2.写真1枚(縦5cm×横4cm)
3.パスポート等

があればすぐに(待ちがなければ約10分)作ることができます。有効期間は 1年 で、費用は 2650円 です。

釜山でレンタカーを借りるには、レンタカーのハーツで予約するか、現地のレンタカー屋をあたるのが一番です。私はハーツで予約できなかったので、現地で探すことにしました。釜山港 にはレンタカー屋はありません。そこから路線バスで釜山駅行きに乗って下さい。2駅で着きます。またバスの料金は前払いで 1000ウォン(70円)です。1000ウォン紙幣を1枚、料金箱に入れて下さい。

釜山駅に着いたら、駅ビルの2階と、駅を出た左右のホテルにレンタカー屋があるとのことでした。私は駅ビルの2階の ユニティー レンタカーで借りることができました。1日 54000ウォンですので、1日 3780円です。パスポートと国際免許証があればOKです。駅の1階の出て右端にレンタカーの事務所がありますので、そこで車をもらいます。ここの道は一歩通行ですので、車を返却するときには注意しましょう。

また韓国のレンタカーで注意することは、ガソリンは最初のメーターで返却するということです。満タン返しではないのです。最初のチェックでガソリン・メーターの分量がチェックされるので、それと同じ分量をガソリンスタンドで入れて返却するのです。これが結構難しい...10000ウォン(700円)札を出してこれだけ入れろとジェスチャーすれば、なんとかスタンドで理解してもらえます。私は最後に1メーター足らなかったのですが、サービスしていただけました(笑)ありがとう!ユニティー レンタカー!!

高速道路はびっくりするぐらい安価です。約300kmも走って 13000ウォン(約1000円)でした。入り口で券を受け取って、最後に精算します。ソウル方面(公州)に向かうには 高速55号が便利です。ただし、2箇所ほど、コインを投げてゲートを上げるタイプの料金所がありますので、800ウォンの硬貨をを2セット用意しましょう。1000ウォン紙幣しか無い場合は、困った顔をしていたら、ゲートの前で担当のおじさんが両替してくれます。また韓国では HiPass と呼ばれる ETC ゲートがあります。HiPassカードを持っていない場合は、このゲートに間違えて入らないようにしましょう。350kmも走って高速代は全部で3000円なのに、ガソリン代は12000円くらいかかりました...

道路は結構複雑です。また運転も、かなり荒いというか...レンタカーにカーナビがついていたので、とても助かりました。音声は韓国語と英語に切り替えることができるので、レンタカー屋さんに英語に変えてもらいましょう。最悪は iPhoneのパケット放題でナビ代わりに使おうと持参しましたが、iPhone用の車搭載スタンドを持っていないと危険かもしれません。(助手席にアシスタントが入れば別ですが)道路はもちろん右側通行で、韓国の場合は、中央寄りにUターン・ゾーンがあります。そこに並んでしまった場合は、左に曲がるか、Uターンするしかありません。3車線の場合は、なるべく中央の路線を走りましょう。また韓国では右に曲がる場合は、赤信号でも進まなければなりません。止まっていると後ろからクラクションを鳴らされますので、注意しましょう。ロータリーも普通にあります。これはフランスなどのヨーロッパにも普通にありますので、海外の運転に慣れた方なら安心です。カーナビでは、「ロータリー1オロック」と言われれば、進行方法を時計の短針12時の方向に見立てて、右斜め前に抜けろと指示されているのです。右側通行ですから、もちろん左回りに回りましょう。これは道路に矢印があるので心配入りません。また高速道路は最高 110km まで飛ばせます。高速道路には頻繁にカメラがありますが、常に標識がありますので安心です。(もちろん安全運転で!)

車についてはビュンダイの新型スポーツカーでした。日本車はほとんどみかけません。ベンツとBMW、レクサスは何台かありました。ビュンダイのエンジンも強力でサスも申し分ないのですが、ウィンカーの戻りが悪いのと、カギが大きいのがちょっと不満でした。またカギはリモートの電子ロックですが、2回ロックしたらクラクションが鳴ります。これは広い駐車場で車を探すのに便利なのですが、毎回自分で驚きます...右側通行ですので、日本と逆になります。ウィンカーを出すのに、韓国で3回ほどワイパーを動かしました(笑)おもしろいのは、日本に帰ってから5回ほどワイパーを動かしてしまったことです...どうも2日間で体が韓国の運転に順応してしまったようです(笑)。

韓国は、駐車場は一部の観光地を除いてほとんど無料です。また博物館も無料です。中国の博物館も無料で、イギリスの大英博物館も無料でした。日本の博物館も国立は無料にするべきだと思うのですが、皆様はいかが思われますでしょうか...