民族エネルギーと日本人 | 南走平家によるブログ

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沖縄限定発売本『 南走平家によるの琉球・沖縄王朝史 』に関するブログです!

クニが成立する過程において、多くの民族がその支配を巡って争ってきました。現在、国連に登録されている国は、幸運にもクニとして成立した民族の集合体であり、その影にはあまたの滅びた民族がありました。

東アジアでの覇権は、現代においては下記のように決着がなされています。

中国・・・中国大陸を支配(漢民族)
韓国・・・朝鮮半島を支配(新羅民族)
日本・・・日本列島を支配(大和民族)

これらの支配の影には、多くの滅びた民族の歴史があったはずです。しかし歴史は勝者の史書であるために、真実の多くは闇の中に葬られる運命にあります。渤海国、金朝,清朝を建国しながらクニへと残れなかった靺鞨族や、北魏や隋、唐を建国しながら滅びた鮮卑族、元として広大な領土を得ながら後退したモンゴル民族など、中国大陸の領土を巡って広大な戦いが繰り広げられたのです。

民族が生き残るためには、高い「民族エネルギー」が必要です。食糧の生産力、軍隊の攻撃力&防衛力、情報収集能力と文化の吸収能力などです。他国に負けないために、常に気を抜くことはできません。また強力なリーダーとそのリーダーを支えるシステムの有無がその民族の成長のカギとなります。これは企業においても言えることです。三菱、ホンダ、ソニーなど、強力なリーダーシップとそれを支える組織とインフラがあって初めて巨大企業へと成長できたとも考えられます。

日本史のジレンマは、日本列島を最初からヤマト民族のものにしなければならなかった事と、日本列島に関する歴史が中国大陸ほど古くないということです。日本人の歴史は2000年に満たないのでしょうか?ヤマト言葉の成立も、その程度なのでしょうか?個人的には、日本人の歴史は3000年以上あったのではないかと考えています。そうでなくては、日本列島を支配するほどの民族エネルギーは持ち得なかったのではないでしょうか。これは漢民族、新羅民族においても同様な事が言えます。では中国大陸においてヤマト民族はどこにいたのでしょうか?

私の答えは「夫余民族」です。よって「百済」「高句麗」は同族であり、ヤマト民族と同じヤマト言葉を話す民族だったのではないでしょうか。百済滅亡後、多くは日本列島に移住を行い、「平氏」として日本に融け込みます。同様に高句麗も「源氏」として融け込んで行くのです。平 清盛は若い頃、「高 平太」と言って馬鹿にされています。「平太」とは平氏の太郞(長男)の意味であり、「高」は高下駄を履いていたからだろうとの通説になっています。しかし、個人的な意見は、これは「高氏」の「高」の意味であり、平家をよそ者として馬鹿にした言葉だったのではないでしょうか。平家の先祖の苗字は「高氏」です。これを改名して「平氏」になったのです。

このように沖縄に渡った平家の軌跡から、百済の軌跡、古代九州の軌跡を感じ取ることができるのです。