少し長い名前ですが『戦災建造物 東大和市指定文化財 旧日立航空機株式会社変電所』をご存じですか?
東大和南公園の北側に、突然ぎょっとなる様相で、銃弾跡をそのままに戦時中からタイムスリップしたような建物があります。
東大和のプールのすぐ南側です。
この公園は元々、軍用機のエンジンを製造する大きな軍需工場がありました。
太平洋戦争末期に、軍需工場が集中していた多摩地域は、数多くの空襲を受けました。
この工場でも昭和20(1945)年の2月17日、4月19日、4月24日に受けた3回の攻撃で、工場の従業員や動員された学生、周辺の住民など多くの方が亡くなりました。
驚くことに戦後も、平成12年(2000)年まで、この状態のまま操業を続けていたそうです。
東大和南公園ができる際に、「戦争を伝える文化財」として残されたとの事です。
ここで、工場が攻撃を受けた同日にライトアップが行われます。
4月19日(金曜日)、24日(水曜日)午後6時30分~7時30分
この公園には時々お散歩で行っていましたが、今年のある日曜日に初めて中を見学し説明を聞く機会がありました。
(水・日曜日に公開され、職員により展示解説が行われています)
建物や周辺の被害状況、当日の航空写真、実物大のレプリカなど様々な資料展示や
いつ、何時ごろ、どのような状況で、誰が(実名と負傷状況)被害を受けたのか、説明員の方の分厚い資料の中に詳しく記されています。
特に社宅近くを歩いていたところを射撃された、お母さんと背中におんぶされていた赤ちゃんの名前欄の説明は忘れられません。
今世界で起きている事が、身近でも起きていた事として感じられました。
同年の1月9日に国分寺上空でも、戦闘があったことはご存知ですか?
B29に飛燕の体当たり攻撃(特攻でしたが、操縦士はパラシュートで避難)により撃墜。
B29の尾部は野中新田に落下、胴体部は榎戸新田に落下して激しく燃え、11人のアメリカ兵は妙法寺に埋葬されたそうです。
(その日の国分寺の航空写真も展示されています)
実は、国分寺の旦那の実家を建てるときに、不発弾が見つかって大騒ぎになったそうです。
地図で見るところ、79年前にすぐ上空で戦闘機がグルグルしたと思ったら、爆弾が飛んできて、飛行機が墜落して、、、ということなんですね。
今ある平和に感謝し、世界の平和を祈ります。
※「はっぴいね♪ぶんじ君」でも検索できます。