迷惑系ユーチューバーのへずまりゅうが、自分を雇ってくれる会社を募集して、こんな条件を提示した。
●月収100万円
●無断欠勤を許す
●週休4日1日3時間勤務
●SNSを使った広報担当として働く
その結果、100社から連絡がありその中の5社と具体的な検討に入ると本人がツィッターで発言し、この時は「悪名は無名に勝る」ことを証明した形となった。
しかし。面接の段になって、へずまが日時と場所を指定されたところに出向いても誰もおらず、寒い中2時間も待たされたことを悔しさをにじませてツィートしていた。結局、そのオファーすべてが「いたずら」ないしはへずまをよく思わない誰かしらからのいやがらせという結末だった。「ふざけるなよ、ゆるさねぇ」と本人は怒り心頭である。
キリストが生まれるよりさらに前の大昔、ダビデ王はある女性の入浴を目撃してしまい、その美しさにひとめぼれし妻にしたいと考えた。
調べてみたら、その女性はどうも自分の部下の妻であることが分かった。そこでダビデ王は、戦争の折一番激しい戦場へその部下を送り込み、戦死するように仕向けた。そして旦那の死後、夫を失った彼女を慰め、助ける風を装ってついに現実に妻にしてしまう。
そんなある日、王のもとに預言者(神のお告げを告げる者)が現れ、次のような話をした。あるところに金持ちと貧乏人がいました。金持ちも貧乏人も共に羊を飼っていましたが、金持ちは料理で自分の客をもてなすのに自分の羊を使うのがおしくなり、貧乏人のもつ、とても大事にしているたった一匹の羊を盗んだのです。この話を聞いて、王様はどう思われますか?
ダビデは言った。「けしからん。そんなやつは死刑にしてしまえ」
その答えを聞いた預言者は言う。「それは、あなたのことなのですぞ! 王よ」
●人は自分から他人にする分には、それを忘れる。自分に甘い。
自分が他人からそれをされる分には、ゆるせない。
ダビデ王は、もうちょっと察しがいいならたとえ話を聞いていく時点で、だんだん青ざめて「これってもしや自分のこと言ってる?」と気付いてもよかったくらいだ。なのに、純粋に腹を立て「そんなやつは死刑だ」というのは、人間のもつ幼さと残酷さ、そしてそのエゴ(自己中心性)というものがものすごく露わになった実例であり、この話を聞く者を悲しい気分にさせる。
へずまは、自分で最初に言っている。「無断欠勤を認めろ」と。アポを取った会社の人間が現れなかったのは(結局騙されていただけだろうから会社じゃないと思うが)、向こうに「無断欠勤し返された」のである。
ダビデ王を糾弾した預言者ではないが、「お前が呑めと言った条件はこういうことなんだぞ。人に要求する前に、自分がとくと味わってみろ」というメッセージに皮肉にもなっていたのである。人は、他人にしたひどいことはすぐ忘れる。中には、ひどいことと思ってもいない場合もある。そんな人物でも、自分が同じことをされたらこの世の地獄みたいにギャーギャーわめくのである。
今も昔も、人類は生活が便利になること以外では大して変わりない。
同じ問題で苦しみ、生き辛さを味わうようになっている。でも、私たちはこれからもその問題と付き合い続けないといけない。そして完璧には勝てなくても、精一杯の抵抗を試みなければならない。
へずまにはかわいそうだが、今回のことはダビデ王と同じでいい薬になったのではないか。ダビデ王のほうは、この預言者の指摘の後、逆切れとかしないで謙虚に罪を認め反省した。へずまはどうだろうか。彼の真価はこのあと問われる。