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【ライブレビュー】ダイアン20周年単独ライブツアー『まんざいさん』~オオサカ~

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大人びた落ち着きと子供のようなせわしなさ、オーソドックスな安定感と発想の飛躍がもたらすスリル、動きや言いかたによるベタな笑いと独特の言語センスが生み出すシュールな笑い――ダイアンの二人ほど、あらゆる二律背反の要素を自然とあわせ持っている芸人はなかなかいないと思う。

ダイアンの20周年をコロナ禍による1年遅れで祝うこの単独ライブ『まんざいさん』を配信で観て、改めて彼らの不思議な魅力をそう表現してみたくなった。しかしこれはもちろん、たいして上手い表現ではない。

今回の単独で披露された新ネタは5本。いずれもネタの導入部は特に奇をてらったものではなく、関西の漫才師らしいオーソドックスなもので、思いのほかスッと心に入ってくる。少なくともいわゆるコンテストで爪痕を残しにいくような、トリッキーなスタイルではない。

だがその構えのなさこそが、それ以降に繰り広げられる内容に対する自信の表れであるようにも思える。冒頭に与える引っ掻き傷なんかよりも、あとで喰らわせるパンチのほうがよほど重要だと言わんばかりに。それができるのは、やはり自らのファンを目の前にした単独ライブだからという環境的要因も、当然あるだろう。

しかしそんな自然体の入りに、騙されてはならない。自然体でおかしなことを言い出す人ほど、怖ろしくも面白いものはないのである。ユースケは当たり前のようにおかしなことを言いはじめ、その言動はめくるめくエスカレートしてゆく。

一方でそれに振りまわされてあたふたする津田は、いちいち台詞の言いかたが面白い。言いかたというか言いざまというか、よりピンポイントに言えば独特の「吐息の漏らしかた」というか。

一度言ってみてそうでもなかった場合は、もう一度ちょっとニュアンスを変えて言ってみたりもする。1番と2番で、サビの歌いかたをちょっと変えてくるミュージシャンみたいに。こういうところにもライブ感は出る。

ボケを重ねていくユースケは、ある地点でちょっと面白そうな脇道を見つける。これまで来たボケの道をそのまま真っすぐ進めばゴールは見えているのだが、途中で心惹かれる脇道を見つけてしまったからには、狭いそちらを突き進むほうを選ぶ。

その脇道を目ざとくみつける気づきのセンスと、迷わずそちらへ進んでみようという勇気が頼もしい。ここで選ぶ選択肢は、むしろ先鋭的であると言っていい。小学生が通学路に脇道を見つけると、必ずそちらへ引き寄せられてゆくような純粋な好奇心を感じさせる。

子供はそれを「近道」と主張するが、そういう道はだいたい遠まわりであることになっている。だがそういう隘路のほうが障害物が多く複雑で、道のりは険しくも圧倒的に楽しい。一般的な大人は、そういう道を効率の悪さを根拠に見て見ぬフリをする。そうしているうちに、脇道は自然と視野に入らなくなっていく。

だがダイアンのネタの根底には、どうやら子供のような好奇心がある。それは彼らが、ともに過ごした学生時代の感覚を共有し、信頼しているからかもしれない。そしてユースケが見つけた脇道を、文句を言いながらついていく津田という構図が微笑ましい。映画『スタンド・バイ・ミー』を思い起こしてみたりする。

もう少し分析的に書くつもりが、かなり感覚的な書きかたになってしまった。ライブ終盤の企画コーナーで、二人の過去の写真をたくさん見せられたせいかもしれない(このコーナーも二人がツッコミどころを見出しまくり、妙に面白い)。しかし彼らの漫才は間違いなく、そういう温度感をもってしかその魅力を伝えようがないような気がする。それは彼らのラジオから伝わってくる魅力でもある。

文字どおり、「まんざい」に「さん」をつけたくなるような温かみを感じさせる中にも、シャープな視点が隠れている。そんな油断のならないダイアンの魅力が、存分に詰まったライブだった。


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