※本稿は(1)からお読みください。

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そうすると,2つのことに目を向けることが可能になるでしょう。
1つは,ピラミッド構造が存在しているように見えても,その実は内部での平等性が要求される(その意味で,市民社会の自由に寄与する)場面です。典型は,教育機関です。確かに校長のように,長があり,ピラミッド構造があるように見えます。実際に,行政的側面ではまさにピラミッド構造の作用が働きます。しかし,個々の教育内容については,それが市民社会の自由に寄与する(教育基本法2条参照)がために,裁量的な部分が強く存在します。大学に至っては,個々の教員の教育に大学組織が口出しをすることは避けるべきだと強く考えられています。
2つ目には,当該の組織が,実質的には社会の自由を抑圧する可能性を秘めているがために,外部から民主的コントロールをかけようとするものです。行政はまさにそのようなものであり,民主主義の実現である国会の制定した「法律」によって,コントロールをかけます。そして,軍であれば,シビリアンコントロールを改めて明記することで,それを確実化しようとします。でなければ,軍や警察に,自らの持つ個人のそれを超える実力を使って国家権力を掌握することを容易にしてしまい,危険極まりありません。市民の自由を守るために,それを「民主の力」で抑え込むことが必要になるのです。

ピラミッド構造に取り込まれると,その内部の人間の自由や権利ひいては人格はその組織の上位者に絡め捕られる危険を有しています。いわゆるブラック企業の問題もこのような認識から出発すれば,容易にその構造を理解することができるし,反対に現在の世情で「強いトップ」が求められがちになる理由もまた理解できるでしょう。最終的には,バランスという名の綱引きなのですが,それぞれの長短を知っておくことで,見えてくることもあるのです。
(完)

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