久しぶり過ぎて,新年のあいさつという感じもなくなってしまいました。

 

早速ですが,今回は「小説」から見えるお話を。

私が読む小説,殊に現代のものは,ミステリーやホラーと呼ばれるものにほぼほぼ偏っています。ミステリーやホラーといえば,江戸川乱歩や横溝正史といった名前を思い浮かべる人は少なくないでしょう。実際,両名には,それぞれの名を冠した文学賞が存在します。その2021年度の第41回横溝正史ミステリー&ホラー大賞受賞作である新名智『虚魚』(角川書店・2021年)に掲載されている「選評」を見ていて気づいたことがあります。

 

同賞は,専業作家が選考をしているのですが,最終選考に残った5作のうち,ある1作は徹底的にこき下ろされているといってよいものがありました。いわく,「あちこちが妙に古臭く感じられて興が削がれた」(綾辻行人),いわく「サイコパスでしたね,人がいっぱい殺されましたね,残酷で異常でしたね,という読後感しか持てなかった」(有栖川有栖),あるいは場当たり的で,単に凄惨な表現に妙な熱量がある(それ故に「凄惨,残酷な殺人シーンを微に入り細をうがち書くことが横溝賞向きであろうと作者が勘違いしているのではないか)という評をするもの(黒川博行),あるいはそのような凄惨な表現の割に,「日常場面になると,途端に会話や登場人物の造形が安っぽくなる」と評するもの(辻村深月),しまいには「読者は最後まで何を読まされているのかわからず疲弊してしまう」(道尾秀介)とまで評されています(以上,上掲書280頁以下)。

 

これだけであれば,落選作の評価ですので取り上げる必要はありません。実は,この酷評されていた作品は,同賞の「読者賞」に選ばれたのです(秋津朗『デジタルリセット』(角川ホラー文庫・2021年)として公刊されています)。読者賞は一般のモニター審査員が選ぶものとされていますが(上掲書278頁),私はここに大きな驚きがありました。「小説には,書き手の人生観が滲みます」とは,同じく小説家の貫井徳郎の言です(桃野雑派『老虎残夢』(講談社・2021年)江戸川乱歩賞選評,329頁)が,上記の読者賞該当作は,そういう意味では,「書き手の人生観」を映したものとして評価されざるを得ないのではないかと思います。無論,「凄惨だからよくない」という趣旨ではないのです。上記に名前を挙げた綾辻行人であれば,『殺人鬼』シリーズという,それはそれは凄惨な描写をふんだんに織り込んだものがあります。むしろ,辻村深月氏が指摘したような,「なのに,日常場面が安っぽくなる」ということから見えるギャップにこそ「意味」があるように思われるのです。

 

綾辻行人氏はtwitterで,『デジタルリセット』を挙げ,「作家による選考会では厳しい評価でした」とした上で,「そのような評価の差がなぜ生まれるのか、読んで確かめてごらんになるのも面白いと思います」と述べられています(同氏Twitter 2021年12月11日)が,この「専門家」と「大衆」の認識の違いは,昨今の「人間像」を映すようにも見えてしまいます。飛躍を承知でいえば,いわゆる「異世界転生」モノや,「モテない自分が,超絶人気者に愛される」といった類が流行っている昨今,「書き手の人生観」も,また「大衆」と同様に幼くなってはいないかということを,少し距離を置いて確認していく作業はあってよいように思われるのです。

もっとも,作者の秋津氏は「読者を怖がらせようというより,『こうなったら嫌だな,恐ろしいな』という自分の気持ちを率直に表現した小説です。でもその考えが世間一般の感覚とずれていたら,読者賞はいただけなかったと思います。わたしが感じている不安や恐怖は,きっと多くの方に共感してもらえるんじゃないでしょうか。」と述べている(同氏受賞インタビュー)点は,やはり公正さのためにもご紹介しておくべきではあるでしょう。

 

 

 


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