小笠原諸島旅行記⑦〜地獄の帰京編 前編〜

いよいよ帰る時がやって来た。

 

民宿がじゅまるで父島での最後のひとときを噛み締めながら過ごしていると、突如としてフジコさんの怒号が民宿中に響き渡る。

「そろそろ荷物纏めて出発の準備お願いします〜!」

時間は既に13時過ぎ。

普通のホテルではチェックアウトの時間をとうに過ぎてしまっている。

むしろこの時間まで居させてくれたことに感謝である。

おもむろに荷物をまとめて民宿を出る。

目の前が港の民宿だったので、荷物を抱えながらの移動でも楽だ。

港にはおが丸と共勝丸の姿が。

父島に来た当初は共勝丸はいなかったが二日くらい前に入港して、荷役作業を行っているようだった。

この日も船に乗っているクレーンを使って作業していたが、この時は爆弾低気圧の影響で二見港内でも少なからず波の影響が出ていた。

船はグワングワンと横揺れを続けているのにもかかわらず、平然と荷役作業を続ける様には関心する他なかった。

船の待合所には続々と乗客そして島民達が集まってきた。

飛行機のようにチェックインだとか手荷物検査はなく、特にやることがないのでそのあたりをブラブラする。

この時の便はおが丸ドック入り前の最後の便だったので、本土に「里帰り」する人たちが大勢乗るようだ。行きの船よりも人が多い気がする。

ちなみにこの船に乗らない場合、次の船は一か月近く先となり、当然その間は島から一歩も出られなくなる

そんなこんなで出航時間が近づいてきた。

一人旅で知り合いもいなく、宿の送迎もない自分にとっては当然見送りに来てくれる人もなく…と思っていたら一人の青年の姿を発見した。

それは島に滞在中、何度かお世話になったバーの店員の青年だった。

彼は父島に来てからまだ数か月で、その前は大学を卒業した後山小屋でアルバイトをしていたらしい。近頃の若者の中では珍しいタイプだ。

いくつか言葉を交わし、ガッチリと握手をする。

「また父島に来てくれますか?」と彼は言う。

「まあ、行けたら行くよ」と答える。

僕は社交辞令が嫌いなので、この言葉に裏はない。

何年か先に、再び父島を訪れた時、彼はまだそこにいるだろうか。

もちろんそれは分からない。

地理的には父島や母島はどん詰まりの位置にある。

もうそれ以上、一般人はその先の島へは進めないからだ。

そんな父島や母島への移住者はそのまま定住するのかというと、実はそうでもないらしい。という雰囲気を滞在中に感じることが出来た。

本土から遠く離れた島であるにも関わらず、若者が多く、多くの人が思い描く離島のイメージはあまり無いかもしれない。また、思いのほか物価や家賃が高いという事もあり違う移住先を求め旅立っていく人も少なくないらしい。

地理的には終着点にふさわしい父島ではあるが、他方では通過点でもあるのだ。

 

そんなこんなで乗船。

往路と同じ二等寝台である。

ドック入り前とあって本土に帰る島民の方々も大勢乗りこんでいるので、往路よりも船内密度が高めな感じだ。

「本土に帰る島民」と書くと変な感じだけど、他の記事でも書いたように、小笠原は本

土からの移住者が多い。なので、一か月近く船が無いドック入りの期間は一旦本土へと帰る島民の方が多いのだ。

船内を見渡してみると、滞在中に見た顔がちらほら。

レンタサイクル屋の娘はいかにも地元の高校生という感じだったが、船内で見かけたので、実は本土出身だったのかもしれない。

出航の時間。

一応デッキに出てお見送りの様子を見てみることにした。

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島民の方々が総出で(そう思いたい)お見送りをしてくれている。

名物のお見送りの船は出ないのでいささか寂しいが、それでもお見送りとしては上等なものだった。

和太鼓のリズムに乗せられて、ゆっくりと船が動き出す。

じゅうぶんに離岸し、前進を開始したところで長い汽笛を一発。

だんだんと岸との距離が離れていく。

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なんだかあっけなかったなぁとぼんやり思っていた次の瞬間。

とんでもない事に気が付いてしまった。

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お分かり頂けただろうか? 

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防波堤を工事しているパワーショベルが、アームを振り回してサヨナラの気持ちを伝えていたのである。

あっけに取られていたが次の瞬間!

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こちらに近づいてくる小型船が一艘。

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馬鹿な!?お見送りの船は出ないはずでは?

そんな気持ちをよそに、ぐんぐん近づいてくる。

この船の正体は…?

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会場保安庁の船でした。

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わざわざありがとう!

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自衛隊員もお見送りしてくれました。

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よくよく見ると、部下の仕事ぶりを見つめる上官の姿が。

 

恒例の船でのお見送りはなかったものの、父島の方々のお見送りの精神は存分に感じることが出来た。

しかし、このようにのんびりと甲板に立っていられたのはここまでであった。

船は港を出るやいなや、激しい波とうねりに晒され、甲板は即時閉鎖となってしまったのである。うねりは非常に激しく、目測でも5~6mの高低差はあったと思う。

やれやれ。これは往きのような平和な船旅にはなりそうもないな、と頭の中でつぶやく。

「家に帰るまでが遠足」という言葉があるが、これは小笠原旅行の為にある言葉だとしみじみ思う。

なんせ、竹芝桟橋に着くまで24時間以上掛かるのだから。

 

~後編へ続く~