特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

2022-11-10 16:33:16 | 生前整理
今日から11月。
秋も深まり、朝晩はだいぶ冷えるようになってきた。
日中も過ごしやすい日が続いてはいるけど、この秋は、やたらと暑い日があったり、やたらと寒い日があったりと、順序よく秋が深まっているような感じがしない。
世界に目を向けてみても、季節外れの暑さや寒さに襲われているところが多い。
また、これまで経験したことがないような大雨や干ばつに襲われているところも。
そして、それは、一口に「気候変動が原因」と片付けられている。
 
地球温暖化を防止する気運はあっても、現実的には、ただの合言葉のようになっている感が否めない。
「生きることに精一杯で、自分が死んだ後の地球のことまで考える余裕はない」
多くの人は、目の前の生活に追われ、自分や家族の生活を守るのが精一杯で、真剣に二酸化炭素のことを考える余裕なんかないのではないだろうか。
そして、
「何もやらないよりマシだけど焼け石に水」
「地球温暖化も気候変動も受け入れるしかない」
そんな風に諦めているのではないだろうか。
 
かくいう私もその一人。
マイバッグを持ち歩くのもレジ袋代を節約するため、省エネを心掛けるのも光熱費を抑えるため。
結果的に、二酸化炭素が少しでも抑えられれば、それはそれでいいのだけど、そのためではない。
「無責任」と言われればそれまでだが、難題に対峙しようとすると早々と疲れてしまう。
だから、“無”に・・・力んだ無我夢中にはない、穏やかな無心に憧れる。
その方が、生きていて楽なのではないかと思うから。
しかし、そんなことおかまいなしに、この人生には“現実”という名の難題が次から次へと容赦なく襲いかかってくる。
 
 
 
家財処分の調査依頼が入った。
約束の時間より早く着いた現場は、ちょっと田舎の住宅地に建つアパート。
周辺には、広い畑もあるような長閑なところ。
アパートの前面は広い駐車場。
普段は住人の車がとまっているのだろうが、平日ということもあって、ほとんど空いた状態。
もちろん、「空いているから」といって、誰かのスペースに勝手にとめるのはマナー違反。
その日、私は、他の用事もあったため、2tトラックに乗っていたのだが、駐車区画でない部分も広く、住人の車の出入りの邪魔にならないところに車を止めて待機した。
 
約束の時刻には、まだ十分に余裕がある中、しばらくすると、駐車場に一台のタクシーが入ってきた。
私は、「依頼者かな?」と思いながらタクシーを目で追った。
すると、止まってすぐ一人の男性がゆっくりと降りてきた。
その様子から、その男性が依頼者であることを察した私は、そそくさと車を降り、「〇〇さんですか?」と声を掛けながら男性の方へ歩み寄った。
 
男性は、かなり痩せていた。
歩みも遅く、顔色も悪く、表情にも精気がない。
そして、寒い時季でもないのに頭にはニット帽。
その佇まいから察せられたのは、男性が病人であるということ。
そして、直感的に頭に浮かんだ病気は「癌」。
それも、病状がかなり進んだ状態の。
安直な想像でしかなかったが、私は、弱々しい男性の風貌に、戸惑いを覚え、また、にわか仕立ての同情心を抱いた。
 
そんな男性は、私が乗ってきたトラックをジッと注視。
そして、何を思ったか、弱々しいながらも怒りのこもった声で、
「トラックで来るなんて失礼じゃないですか!?」
と、私を一喝。
あまりに突拍子もないことで、私は、何を言われたのかすぐに理解できず、
「???」
と、しばしキョトン。
返す言葉がすぐには出てこず、目を丸くするばかりだった。
 
確かに、「トラックで行く」とは伝えてなかったが、それがどうしたというのか。
デコトラのような派手な装飾もなく、暴走族のような爆音を立てるわけでもなく、どこにでもある、何の変哲もないトラック。
車体にあるのは会社名とロゴマークのみ。
サービス内容・事業内容はおろか、電話番号も記されてはいない。
ネットで検索でもしないかぎり得体は知れようがなく、誰かに迷惑をかけたり不快な思いをさせたりするような心当たりは一切なかった。
 
“タキシードを着て黒塗りのリムジンで来い!ってことか?”
私には、男性のクレームがまったく理解できず、まったく受け入れられず。
そうは言っても“客候補”なわけだから、
「他の現場からそのまま来たものですから・・・」
と、下げたくない頭を、とりあえず下げた。
しかし、男性の怒りはおさまらず。
「それにしたって、無神経過ぎませんか!?」
と、まくし立ててきた。
 
私は、小心者のクセに気は短い。
しばらくは我慢していたものの、そのうち、頭の中で何かが“プツッ”“プツッ”と切れはじめ、とうとう堪忍袋の緒が“ブチッ!”。
内から、“やってられるか!”“こんなヤツと関わるとロクなことにならない!”という思いが沸き上がり、
「トラックに乗ってきて何が悪いのか説明して下さい!」
「失礼だとも非常識だとも思ってませんので!」
と、やや声を荒げて反論。
更に、
「私を呼んだのは〇〇さんの方ですよね!?」
「人に時間と経費を使わせておいて、その言いぐさは何ですか!?」
と、連打。
そして、
「こちらにも仕事を選ぶ権利はあるので、この仕事は辞退します!」
「失礼します!」
と言い残し、クルリと向きを変え、ツカツカとトラックに引き返した。
 
場は、そのまま“もの別れ”になっても当然の雰囲気。
しかし、男性は、
「ちょっと待って下さい!」
と、プンプンのキナ臭さを携えた私を呼び止めた。
おそらく、体調が優れない中で、やっとこの機会をつくったのだろう。
そして、私とつながったのも、何かの縁。
険悪な雰囲気の中、怒りと気マズさを混ぜたような顔で、
「苦情は苦情として別に置いて、調査見積は調査見積としてやって下さい」
と、事務的に言葉を続けた。
私は、まったく乗り気ではなく、断ることもできたのだが、弱々しく佇む男性が不憫に思えなくもなく、請け負うつもりはないながらも、室内の調査だけはしていくことにした。
 
男性の部屋は二階。
男性は、手すりを掴みながら、息を切らせながら、階段を一歩一歩ゆっくり上へ。
部屋の前に立つと、ウェストポーチから鍵を取り出し開錠。
ゆっくりドアを引くと、中からは、湿気を帯びたカビ臭いようなニオイが漂ってきた。
 
間取りは1K。
「ゴミ部屋」という程ではなかったものの、結構な散らかりよう。
また、換気もされず長く放置されていたせいか、カビ臭いようなホコリっぽいような、ジメッとした不快臭も充満。
訊けば、ここ数年、男性は、入退院を繰り返す生活。
そして、いよいよ病が悪化してきたため、この部屋は退去することに。
「ここに戻って来られる見込みがなくなったものですから・・・」
「部屋にあるものは、全部、捨てて下さい」
とのこと。
その口から「死」という言葉は出なかったものの、男性が自身のそれを予感していることは、寂しげな口調と衰えた身体から滲み出ていた。
 
 
作業の日。
依頼者である男性は姿をみせず。
代わりに現れたのは、一人の女性。
女性が乗ってきた車は、某医療法人の業務車。
女性の着衣も、そこのユニフォーム。
そう、男性が入院している病院のスタッフ。
「〇〇さんは体調が優れないので、代わりに鍵を持ってきました」
「また来ますから、終わったら連絡して下さい」
そう言って、私に部屋の鍵を渡すと、女性は、忙しそうに帰っていった。
 
男性不在の中、作業は、完全に当社の段取りのまま、当社のペースで進行。
問題やトラブルは一切なく、順調に事は運んで完了。
作業終了の確認は、先ほどの女性に来てもらい、鍵もそのまま返却。
結局、男性とは一切関わることなく、その仕事は終わった。
 
そして、その後も、男性とは、顔を合わせることはもちろん、電話で話すこともなかった。
ただ、その後、元気に回復して社会復帰が叶ったとは到底思えず。
それより、“その命がどこまでもったか・・・”と考える方が自然な感じで、おそらく、そう長くは生きられなかっただろうと思われた。
 
ただ、あの時、どうして、あそこまで怒ったのか、トラックの何が、男性の癇に障ったのか、私は、私なりに、ない頭を使って想いを巡らせた。
思いもよらないトラックの出現は、空になった部屋を想像させ、自分の死を連想してしまったのか・・・
それとも、運命を受け入れようとする気持ちに、いらぬ追い討ちをかけられたように感じたのか・・・
はたまた、この世から放されまいと必死にしがみついている自分をこの世から引き離そうとしているように思ったのか・・・
もちろん、その真意は、男性にしかわからない・・・
ひょっとしたら、男性自身にもわからないことだったかもしれないけど、そこには、アパートに戻れる希望を捨てきれず、死を待つ覚悟を決めきれない中で大きく揺れ動く、自分では如何ともしがたい感情があったに違いなく・・・
そのことを想うと、好きになれなかった男性に自分の弱さが重なってくるのだった。
 
 
多くの人は健康長寿を願う。
そして、食事や運動などに気を使いながら健康管理に努める。
とりわけ、健康診断で難点が出やすくなる中高年はそう。
健康が気になりはじめる年頃で、遅ればせながら、血圧や血糖値、出っぱった腹を気にしはじめる。
世の中に出回る多くのサプリメントや健康器具の宣伝文句が、更に、その不安感を刺激する。
成人病をはじめ、癌予防や癌検診を啓発・促進する風潮も昔からある。
 
それでも、現代は、「二人に一人が癌にかかる時代」と言われている。
私の周りにも癌を患った人は少なくない。
それで亡くなった人も。
ただ、「二人に一人」という程 多くはない。
実のところ、「二人に一人」というのは、「生涯のうちで癌にかかる人の数」だそう。
つまり、子供から老人まで、また、その中には治癒する人もいれば、死因が癌でない人も含まれているわけ。
また、晩年に癌がみつかっても「一人」としてカウントされるわけ。
だから、実感している数より、はるかに多いような気がするのだろう。
 
そうは言っても、癌を患う人は、少ないわけではない。
また、医療の進歩で治癒する確率が上がってきているとはいえ、相変わらず、「不治の病」「死の病」といったイメージは強い。
有名人が癌になると、すぐにニュースになり、癌の種類をはじめ、「ステージ〇」と進行具合が具体的に報道されるのも、そういう深刻さからきているのだろう。
また、抗癌剤を使うと、身体は瘦せ細り、髪は抜け、皮膚や歯はボロボロになり、極度の吐気・高熱・倦怠感に襲われるといったイメージが強い。
そんな、偏った闘病の一面が、恐怖心を強くさせているのだろう。
 
先日のブログにも書いたけど、私も、二十代後半の頃 胃にポリープが見つかったことがあり、そのときは癌も疑われた。
俗に「若者は癌の進行がはやい」と言われる中、精密検査の結果がでるまでの二~三週間は、“癌≒死”という恐怖感が頭から離れず、気分を沈ませる日々が続いた。
幸い、結果は「良性」で、ポリープは、しばらく後の検査で自然消滅していることがわかった。
また、三十代前半の頃 肝硬変や肝癌が疑われるくらい肝臓の数値が悪化したことがあった。
そのときもまた、“癌≒死”という不安感が頭から消えなかった。
再検査の結果は、「脂肪肝」。
重度だったため、これはこれで問題だったのだが、まずは、肝硬変や癌でなかったことに胸をなでおろした。
ただ、肝を冷やしまくったのは事実で、これが、いい薬となって、その後、食事の改善とダイエットに励むこととなった。
 
 
“死=無”なのか、私にはわからない。
同じく癌で亡くなった“K子さん”は、死を恐れている風ではなかった。
むしろ、“解放”され、“自由”を手に入れることを楽しみにしているようにも見えた。
また、「“死=無”ではないと思う」とも言っていた。
私も、その願いはあるし、世の中の心霊現象を解釈するには、「“死=無”ではない」と考えた方が合理的に思われる。
しかし、その真実は、私にはわからない。
わかる日が来るのかどうかもわからない。
 
ただ・・・ただ、無心で生きたい・・・今はそんな気分なのである。

 



お急ぎの方は 0120-74-4949


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