特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

誤算

2022-01-11 07:00:00 | 腐乱死体
1月6日(木)PM、首都圏南部は大雪に見舞われた。
そして、ニュースで流れたとおり、大混乱となった。
ただ、もともと東京や千葉には雪の予報がでていた。
が、それは、「降雪量は少ない」というもの。
道路事情に影響することなので、私は、当日の朝も天気予報を確認。
しかし、このときもまだ「芝生のうえに薄っすらと積もる程度」とのこと。
で、「気にするほどのことにはならないな・・・」と、曇空の下、曇ったままの心を引きずって仕事にでたのだった。

雪は、予報よりやや早く、予報通りの少量で、昼前から降り始めた。
予報が狂っていったのはそれから。
「少量」と言われていた雪は、次第に大粒に。
「芝生に薄っすら積もる程度」どころか、樹々の葉にも積りはじめ、そのうち、人通りや車通りのない部分も白くなり始めた。

空模様は、予報に反して、刻一刻と変化。
あれよあれよという間に、大雪注意報が出され、それも束の間、夕方には東京23区・千葉県に大雪警報が出されるまでの事態に。
首都高は次々の入口を閉鎖。
事故や立ち往生も多発し、その機能を喪失。
それでも容赦なく雪は降り続き、既に事務所にいた私は、現場に出ていた同僚達が無事に帰社できるかどうか心配になってきた。

雪国の人には鼻で笑われるかもしれないけど、首都圏では、このレベルでも「大雪」。
途端に、パニックに陥る。
事前の小雪予報が混乱に輪をかけたようにも思う。
街は、滑りやすい靴を履いた人や傘を持たない人ばかり。
防寒着もなく観光地に出かけた人やノーマルタイヤで旅行に出かけた人も少なくなく、せっかくのレジャーも台なしに。
とにもかくにも、気象庁にとっても市民にとっても誤算の一日となってしまった。



真夏のある日。
古い賃貸マンションの一室で、住人が死亡。
放置された日数は長くはなかったが、時は高温多湿の真夏。
肉が腐るにはうってつけの時季。
で、遺体は、異臭を放ちながら猛スピードで腐敗溶解し、ウジも大量発生。
どういう経路をたどったのか不明だが、下階の部屋にウジが落っこちてきたことで、故人は発見されることとなった。

現場に到着した私は、まず、外から建物全体を目視。
建物は小規模、目的の部屋は外からも確認でき、視力が悪くない私は、窓に付着する無数の黒点を発見。
言わずと知れたこと・・・それは遺体から発生したハエ。
更に、同じくらいの数のハエが、その下の部屋の窓にも付着。
「下の部屋にもウジが発生している」と聞いてはいたが、その数は私の想像をはるかに超えていた。

時は、うだるような暑さの夏。
もう、その光景を想像しただけで、お腹いっぱい。
そうは言っても、「ごちそう様でした」と引き揚げるわけにもいかず。
ただの汗なのか、冷汗なのか脂汗なのか・・・私は、わからない汗をドッとかきながら、トボトボと灼熱の階段を昇った。

大家が開け放しにしたのだろう、玄関の鍵は解放されたまま。
「泥棒でもなんでも、入りたいヤツがいれば入ればいい」といった状態。
とはいえ、こんな部屋には、限られた人間しか入れない。
私も、その“特権”を持っている人間の一人であるのだが、“特権”に思えるわけもなく、出るのは汗と溜息ばかり。
私は、玄関前に漂う異臭を溜息で押し返しながら、窓際で暴れ回るハエに冷ややかな視線を送りながらドアノブに手をかけた。

室内がサウナ状態とはいえ、そんな状態で玄関ドアを開け放しにするのはタブー。
一般人が嗅いだとろころで何のニオイかわかるはずもないのだが、「クサい!」ということだけはわかる。
したがって、できるだけ、そのニオイが外に漏れないようにする配慮は必要。
幸い、そこは、玄関が外空に面した構造で、ある程度の異臭はすぐに中和されるのだが、ハエはどこに飛んでいくかわからない。
なので、いつも通り、ドアは必要最小限の幅で開け、私は、素早く身体を室内に滑り込ませた。


余談だが・・・
ここで、生活の役に立たない豆知識。
腐乱死体に発生したハエは、時間経過とともに丸々と太ってデカくなるのだが、警察が遺体を回収して以降は食料がなくなるため、図体の割には体力がないことが多い。
で、そのまま放っておくと、いずれは餓死して墜落する。
したがって、仮に外に飛び出しても、遠くまで飛んでいく力がなく、近所の外壁などにくっついたまま動かなくなる。
それでも、誰にも気づかれないうちに墜落するか、鳥の餌食にでもなればいいのだが、人に見つかれば苦情の原因にもなる。
それはそうだ、腐乱死体から涌いたハエが自分の家の外壁にくっついていたら気持ちが悪い。
ましてや、室内に侵入してこようものなら、我慢ならない。
だから、できるかぎり、ウジやハエはシャバに逃亡させないようにしなければならないのである。


話しを戻す・・・
現地調査を終えた私は、依頼者である大家に電話。
遺族が約束したのかどうかは不明ながら、「発生する費用は遺族が負担する」とのことで、部屋を原状回復させるために必要な作業や工事を打ち合わせ。
見積を作成したら、遺族にも連絡をとり、三者で協議することとなった。

協議の日・・・
私は、大家と遺族、どちらに側にも加担するべき立場にはない。
争いになった場合、巻き込まれるようなことは避けなければならない。
また、葬式などで目にしがちな下手な感情移入も白々しいだけ。
「よろしくお願いします」と名刺を差し出し、事務的かつ淡々とした態度を心掛けながら、作業や工事内容の説明に終始した。

遺族は、高齢の男性二人。
故人とは遠縁のようで、関係する複数の親族を代表して来たよう。
孤独死・腐乱は悪意ある犯罪ではないにも関わらず、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません・・・」と、平身低頭。
ま、そうは言っても、落ち度のない多くの人に迷惑をかけ、相応の損害を与えてしまう現実もある。
あと、遠縁とはいえ血縁者が孤独死し、それに気づかす放置してしまったことの気マズさもあるのだろう。
だから、遺族は、おのずと謝罪姿勢になったものと思われた。

大家は、「無礼」という程ではなかったものの、やや憮然とした態度。
故人の後始末の一切合切をはじめ、そこから派生した損害の賠償も遺族が負うのが当然といったスタンス。
事に乗じて不当な利益を得るつもりもなかったと思うけど、下室住人が避難している間のホテル宿泊費、その後に予定している引越費用、家財の買い替え費用、下室の消毒費、空室となる下室と故人宅の家賃等々、諸々の費用を請求した。

大家の要求を聞いた遺族は、困惑の表情。
おそらく、そこまでのことを要求されると思っていなかったのだろう。
しかも、聞き方を変えれば、故人を罪人扱いするような物言い。
円満に決着させるつもりで協議に臨んだであろう遺族だったが、
「ある程度は負担するつもりでいますが・・・」
「あまりに大きな金額になりそうなので、家族と相談します・・・」
と、口を濁して、ハッキリした返答をせず。
結局、その場では何も決着せず、以降も双方で協議を続けることが決まっただけで お開きとなった。

当初から、遺族は、「ある程度の負担が生じることは覚悟している」と言っていたよう。
それに安堵した大家は、あれもこれもと要求内容を膨らませていったのだろう。
また、遺族は、争うような構えはみせず、謝罪姿勢の平身低頭だったから、大家も自分の立場を勘違いしていったのかもしれない。
私が第三者として客観的に判断すると、大家の要求は過大に思われ、その物腰は、やや調子の乗り過ぎのように見えた。

遺族の中で故人と近しい間柄だった者は誰一人としておらず。
当然、故人の相続人でもなく、身元保証人でもマンション賃貸借契約の保証人でもなし。
また、皆、高齢で、年金収入で慎ましい生活を送っていた。
それでも、血縁者としての道義を重んじて誠意をもって対応するつもりだった。
が、ない袖は振れない。
金額だけではなく、大家の要求内容も納得できるものではなく、それは、本件への関わり方を再考させるきっかけとなった。

考えあぐねた遺族は、本件を弁護士に相談。
その結論は、「法的責任はなく、大家の要求を受け入れる義務はない」というもの。
そして、遺族は大家に、
「今回の事案は、マンションを経営するうえで想定されるべきリスクであり、我々は責任を負うべき立場になく、よって、一切の後始末から手を引く」
といった旨を通達した。
道義的なことを考えて葛藤もあったが、それは、中途半端に関わるより一切から手を引いた方が安全と考えてのことだった。

一方の大家は・・・
これで一儲けしようとしたわけではないだろうに・・・
当初は遺族も同意していた部分まで賄ってもらえなくなり・・・
慌てて自らも弁護士にも相談したが、その回答は期待外れで・・・
「しまった!」と悔やんでも後の祭り・・・
まさに誤算・・・
結局、誰からも一銭も補償してもらえず、ただ、臭くて汚い部屋だけが残ったのだった。



今回の大雪。
ニュースを伝えるTV画面の向こうには、困惑する大人のことなんかおかまいなしに大喜びする子供達の姿があった。
それは、とても微笑ましく、また、とても羨ましく、癒されるものがあった。
同時に、「俺にもこんな時分があったんだよな・・・」と、夢幻と化した想い出が蘇った。
身も心も重くなった今とは違い、あの頃は、身も心も軽かった。
そして、平凡な日常にも楽しいことがたくさんあった。
「あの頃は、なんであんなに元気だったんだろう・・・」
「なんであんなに楽しかったんだろう・・・」
と、自分でも不思議・不可解である。

「こんな人生になるとはな・・・」
私は、幼い頃から特段の夢はなく、若い頃から目指していた目標もなく、自分の将来を具体的にプランニングしていたわけでもないけど、何となく、人生ってもっと楽なものだと思っていた。
苦労もあるだろうけど、もっと楽に生きられるようなイメージを持っていた。

一体、何が、自分を押しつぶしているのか・・・
自分が背負っている重荷の正体は何なのか・・・
自分が抱え込んでいるモノは、本当に自分が抱え込んでいなければならないモノか・・・
軽くなるために、捨てなければいけない何かがあるのではないか・・・

翌7日(金)朝、快晴の街は白銀の世界に。
朝陽に照らされて光り輝く視界には、花や緑にはだせない美しさがあった。
ただ、私の精神は、その眩しさから目を背けたくなるくらい沈んでいた。
その眩しさに溶け消えてしまいそうなくらい弱っていた。

「この先は、いい誤算があるといいけどな・・・」
陽にあたり少なくなっていく残雪と自分の人生を重ね、小さくなっても白く輝く雪と曇ったままの自分の心を重ね、どちらも そのうちに儚く消えていくことに安堵に似た寂しさを覚えながら、誤算だらけの人生を見つめなおした雪の一日だった。


-1989年設立―
日本初の特殊清掃専門会社

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