【しきち】
インド全国の新規感染者数の推移。最初のなだらかな山が第一波、次の高い山が第二波、最後のシャープな山が第三波である。
2020年3月末、モディ首相のスピーチでインドは厳しいロックダウンを行った。団地内のウォーキングも制限され、街からは車や通行人が消えた。一人でも感染者が出ると、バリケードが作られた。
2021年の第二波(デルタ株)では、職場では20人中5人ほどが感染した。多くが医療機関で診療を受け、味覚や呼吸に不自由を感じた者もいた。親世代のため、酸素ボンベを探し回った人もいた。取引先では社員が亡くなったというケースも珍しくはなかった。悲壮感が漂う中、業務に支障が出ないように必死で職場での集団感染を避けて引きこもった。遺書までは書かなかったが、しきちは自分の意識が朦朧とした時のために医療機関の電話番号を冷蔵庫に貼りつけ、家族の連絡先を親しい友人や上司に共有した。
2022年1月の第三波(オミクロン株)は、急激かつ広範囲な感染拡大だった。職場では在宅勤務を続けているメンバーを中心に、再び5人が感染した。同僚の一人が語る。「妻と両親が感染したから、生活スペースを分けて子供たちとオレは感染しないように気を付けてた。2週間で回復したから、家の大掃除をしたんだ。そしたら感染しちまった」。みんな同居家族と共に感染した。しかし、入院した者は一人もいない。キットや在宅PCR検査で陽性が判明した社員の誰もが、自宅療養して平均2週間で在宅勤務を復活した。当地の在住日本人の間でも「実は陽性でした」「感染しましたが、治りました」で始まる挨拶が頻繁に聞かれた。
生活への影響は、1か月も厳格なロックダウンをした第一波が最も大きかった。悲壮感は第二波が最大かつ深刻だった。第三波で印象に残ったのは「スピード」だったように思う。拡大は瞬く間に広がり、潮が引くのも早かった。
2月末になって学校はすべて対面授業を再開し、カップルは延期していた結婚披露宴を競って催し、一時は厳しかったホテルやモールへの立ち入りも、厳しく陰性証明を求められることは無くなった。そろそろ、オフィスで同僚とあれこれおしゃべりしながら働きたいなあと思いつつ、通勤時間なしの在宅勤務の快適さもつくづく有難いと思う。
Posted by shiki_chin at 17:53│
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