これらは、意味からするとまるで正反対と言ってもよいほど違っているのですが、同じような間違いをしている人が多いこともあって、実際に使ってもさほど恥をかかずに済むようです。でも、日本語にうるさい人がその場にいると突っ込まれることもありますし、就職活動の面接などでこういう間違いをしてしまうと採用の可否にかかわらないとも言えませんので、やはり注意するに越したことはありません。
1.「流れに棹(さお)さす」
代表的な例がこれです。あまり日常生活で使う機会はありませんが、夏目漱石の『草枕』という小説に
『情に棹させば流される』
という有名な一節があることから、知っている人は多いことでしょう。ただ、「知っている」とは言っても、「意味まで正確に知っているか」と言えば話が別で、勘違いをしている人も少なくないのが現状です。
この「流れに棹さす」という言葉は、川で舟に乗っている人が川底を棹で突いて、舟を流れに乗せることからきています。つまり、
「流れに乗って進む」
という意味であり、ここから
「時流に乗る」
という意味にも使われているのです。
ところが、この意味とは反対に
「流れに逆らう」
とか
「流れを止める」
という意味だと思い込んでいる方が少なくないのです。
恐らく、そう考えている人は、舟人が川底に棹を突き刺して流れに抵抗しているような印象をお持ちなのでしょう。ですが、現実的に考えてみれば、舟の上から棹1本で川底を突いてみたところで、流れに逆らうことなどほとんど不可能です。もし、本気で流れに逆行しようとするなら、櫂(かい)か何かで漕ぎでもしなければ無理でしょう。
では、なぜこのような誤解が生じるのかと言えば、その原因は恐らく「さす」という表現にあるものと考えられます。
一般に、「さす」という言葉は「水をさす」とか「嫌気(いやけ)がさす」というように、物事を妨げる意味合いで用いられます。そのため、私たちは「さす」という言葉から「止める」とか「邪魔する」といった意味を感じる傾向があり、これが間違いの原因になっていると私は思うのです。
2.「気の置けない」
これも、逆の意味に取られがちな言葉の一つです。
正しくは
「気兼ねがいらない」
という意味なのですが、最近は反対に
「気を許せない」
というような意味に解釈されることが多くなっているのです。
「置く」という言葉には、元々
「(不信や遠慮などを)介在させる」
という意味があり、だからこそ、この「気の置けない」という表現もあるわけなのですが、今では「置く」という言葉をあまりこの意味では使わないため、誤解してしまうのでしょう。
また、
「○○の風上にも置けない」
という表現もあるため、これからの類推で、悪い意味に解釈してしまいやすいのかも知れません。
いずれにしろ、この誤解は意味がほとんど正反対になってしまうだけに、
「彼は気の置けない奴だ」
と言ったような時に誤解されると、場合によっては絶交されるなどの重大な問題に発展しかねません。
ですから、今の時代は、この言葉を敢えて使わないようにした方が無難であると言えるでしょう。
3.「情けは人のためならず」
この言葉も、よく間違えて解釈されます。
間違いと言っても、正反対というわけではないのですが、そこから導き出される行動が全く逆になってしまうという点を考えれば、やはり重大な誤りとするべきでしょう。
「人のためならず」とは、「人のためなり」の否定ですから、
「人のためではない」
という意味です。つまり、「情けは人のためならず」は
「情けは人のためではなく、
自分のためである(だから、
すべきである)」
と解釈するのが正解となります。
ところが、ここを間違えて「人のためになる」の否定と捉えてしまうと、
「情けは(その人の)ために
ならない(だから、すべきでない)」
という解釈になり、結果として行動が逆になってしまうのです。
本来の意味は「他人に情けをかけると、それが巡り巡って我が身に返ってくる」ということであり、突き詰めて考えれば一種の利己主義であり、あまり感心しないという意見もあろうかと思います。この点を忌避する意識から、間違えた解釈に流れがちになるという要因はあると思います。
ですが、同じ言葉がこうも違って解釈されては混乱してしまいますので、やはり、本来の意味に限定して用いるよう努めていくべきでしょう。
4.「君子(くんし)豹変(ひょうへん)す」
これは間違いの中でもかなり高等な部類に属します。
しかも、「豹変」という言葉が本来の意味とかけ離れた使い方をされるようになってきているため、余計にわかりにくくなっています。
「豹変」という言葉は、本来は「豹の毛が生え替わる際に(豹紋が)ひときわ鮮明になること」から来ており、
「美しく変わる」
という意味合いを持つ言葉です。つまり、「君子豹変す」とは、
「君子は(過ちを犯しても)
悔い改めることによって
(豹紋が鮮やかに蘇るように)
美しく変貌する(ものである)」
という意味であるわけなのです。
なのに、現在、この「豹変」という言葉は「突然凶暴になる」といった
「醜く変わる」
意味に使われることがほとんどで、「君子豹変す」も同じように使われてしまうことが多いのです。
具体的には、普段は聖人君子のように思われていた人が急に凶暴になったような場合に「君子豹変す」などと言ってしまうわけです。
そのような場合は、その人が元々君子ではなく、それが何かのきっかけで露呈したに過ぎないわけですから、正しくは
「化けの皮が剥がれる」
とか
「馬脚を現す」
とでも言うべきものなのです。
そうなると、「君子豹変す」と言える機会はそうそうないとも思えますが、使うならばぜひとも正しい場面で使うように気をつけたいものです。(例:「言い間違えた時は『枕流漱石』ではなく『君子豹変す』で行きましょう!」)
(続く)