働きながら不妊治療!

働きながら不妊治療!

フルタイムで働きながら不妊治療経験し二児の母に。35歳。山王病院からKLCへ転院経験あり。
2013年に体外受精4回目で妊娠、出産。2015年に2人目用に採卵、凍結。2016年に2人目妊娠、出産。現在、胚盤胞1つを凍結保存中。

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(化学流産の話が出てきますので、気になる方はお読みになるのをお控えくださいませ。)



ものすごく、久しぶりに投稿する。

前回書いたのは、もう2年前。

三人目が欲しくて、最後に一つ残っていた受精卵を体に戻したのだった。




その結果はしばらく書けずにいた。

ショックは受けまいと思っていたけど、やはりショックだった。

もう2年前のことなので、うっすら記憶を辿りながら書く。



着床したことは、最初は確か妊娠判定薬で分かった。

予備の妊娠判定薬がたくさん残っていたから、使い切ってしまおうと思い贅沢にフライングしちゃえと思って、ダメ元でかなり早い段階で検査してみた。

すると全く反応しない…。

そりゃそうだよな、早すぎだよな…と思いながら1日おいて、前日に調べた検査薬をふと見ると、なんと青くなっていた!!



通院の判定日まではまだ日数があったので、そこから毎日検査した。青い、青い、青いー!!

主人にも伝えると、3人かぁ。じゃあ車大きいサイズに買い替えないといけないかもなぁなんて嬉しそうに呟いてた。

両親へ伝えるタイミングは迷ったけど、これまでの経験から、私は妊娠判定が出てから一息つく間もなく妊娠悪阻が始まり、あれよあれよと入院する可能性が高かったので、親にだけは早めに伝えた。

親たちもとても喜んでくれた。

そして子供達にはなるべくまだ言わないつもりでいたのだが、確か抱っこをせがまれたか何かの時に、これは伝えておいた方がいいと思い、まだ早いかなと思いつつも伝えたのだった。

この辺りで通院の判定日を迎えていたような気もする。だからたぶん一度は通院したのだと思う。





すごく嬉しくて、でもまだ安定期までは安心できなくて、そわそわした日が続いていた。

そんなある日。娘がお気に入りの曲で、スワンレイクの黒鳥の踊りのアップテンポな音楽があるのだが、それが家で流れてくると娘が楽しそうにキャッキャと踊り出した。

わたしも楽しくなって、お腹を気にしつつも少しステップを踏んだりしていた。

するとその時、チクッと子宮らへんが痛んだ。

大した痛みではなかったし出血もなかった。だから大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせた。




その次の日あたり、検査薬をすると色が薄くなっていた。

その次の日も薄くなっていた。

「妊娠検査薬 薄くなる」で何度検索をかけたことか。

きっと何か理由がある、きっとそういうこともある。だから大丈夫、大丈夫と、言い聞かせてた。


でもそんなある日、生理の血が出てくるような感覚があり急いでトイレに行きナプキンを付けると、生理ではありえないような血の塊が出てきた。

3センチ四方くらいだったと思う。

なんだろう、なんだろう。

答えはわかってるくせに、これは何だろうと心の中でとぼけていた。

その直後が通院だった。

「ダメだったみたいだね」

採決の数値を見て先生が言った。

そこからはあまりよく覚えていない。

でも不思議と泣かなかった。



「採卵するなら、いついつにまた来てください」と先生に言われた。

もう、採卵は、しないよ…と思いながら、先生に、分かりましたとだけ伝えた。





悲しかったけど、なぜかあまり引きずらなかった。泣きもしなかった。

辛すぎて現実逃避している感じだった。

立ち直ったという言い方が正しいのか分からないが、すぐに吹っ切れた。というか、吹っ切った。

泣いたって仕方がない。そういう気持ちが一番大きかった。



主人には、ダメだったとだけ伝えた。あまり深く突っ込まずに、そっとしておいてくれた。

そこからは仕事に没頭した。妊娠悪阻の入院も、産休も、育休も、もうなくなった話。会社を休むことは、もうない。

そうだ、これで妊娠という女性特有の不確定要素とは一生お別れなんだ。

そう思うと、少し心は軽かった。悲しみに向き合わずに、現実逃避した。





子供達にも、お腹の赤ちゃんいなくなっちゃったんだ、とだけ伝えた。

あまりピンときてない様子だったが、わたしが落ち込んでいるのは分かったのか、優しかった。



それから妊娠のことは頭から消していた。



娘が時折、ママのお腹の赤ちゃん、もういないんでしょ?

わたし妹欲しかったなぁ

なんていうときがある。

そうだね、ママも赤ちゃん欲しかったなぁ。

そんな穏やかな会話がなされる。





黒鳥の踊りを踊ったから流産したのかは分からないし、あのステージでの化学流産は、卵の問題が殆どだと聞くので、どのみちダメだったのかもしれない。

でもやっぱり、黒鳥の踊りの音楽を聴くと今でも辛い。

あの時踊らなかったら。おとなしくしていたら。

大して激しく動いた訳でもないけれど。

この「たられば」はきっと死ぬまで思い出されるんだろうなと思いにふける。






今、上の娘は小学一年生。下の息子は年少さん。

2人がいてくれるだけで本当にありがたい。

KLCには感謝の気持ちしかない。

だから流産してしまったことは本当に悲しかったけれど、今目の前にある幸せを噛み締めて、私は前を向く。

直後はブログを書く気にどうしてもなれなくて、ここに至るまでに2年かかってしまった。

ブログをいつも読んでくださってた方々へちゃんと報告しなくてはと思いながらも、なんで書けば良いのか分からなかった。

今夜なぜかふと、そうだあの時のことを書こう、報告しよう、どう思えた。





私の不妊治療はこれで終わりとなります。

このブログは不妊治療のブログなので、今後どうするかはこれから考えたいと思いますが、とりあえずはこのまま置いておこうと思います。

いま不妊治療と向き合っているどなたかのお役に立てたら、とても嬉しい限りです。

また何かネタを思いついたら書きたいと思います。(養子のことは、実は今でもたまに考えたりしています。)

(実は全く別の、仕事関連のブログをやってるので、気が向いたらそちらのリンクをいつか貼らせて頂き、今後はそちらだけを更新する形にしようかなとも考えています。)

ここまで読んでくださってどうもありがとうございました。一旦は、中締めの挨拶とさせて頂きます。どうもありがとうございました。
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