「子育ては親育て」「育児は育自」という言葉をちょくちょく耳にします。


親になり、日々、私は痛感させられる言葉になっています。


子どもが2歳半を過ぎた頃から、


子どもの自己主張が強くなり、

やや赤ちゃん返りも始まったようで、

自分でできるはずの事も「お母さん、やって~!できないよ~。」と言われたり、

収まっていた「だっこー!」や「一緒に居て!」という言葉も再び出てくるようになりました。


何を聞いてもどっちつかずのはっきりしない回答だったり、


気付けば、”叱る”事よりもイライラと”怒っている”事が増えました。


先日ついに、「お母さん怖い~!」と泣きながら、言われてしまいました。


日常の生活に追われ、すっかり子どもの気持ちをくみ取る心の余裕、子どもの心の成長を見きわめる目を持つ事を忘れていたように思います。



子どもが生まれてすぐの頃、

慣れない子育てで、一番大変だと思った事は、

自分のペースで過ごす事ができず、“全て子どものペース”で過ごさなければならない事でした。



寝たいのに寝れず、見たいテレビがあるのにみれず、パソコンを触りたいけれどできず、

ご飯をつくりたいけど作れず、トイレに行きたいけど…、お風呂に入りたいけど…


あげればキリがありません…。


日常で当たり前に使えていた自分の時間や、自分のペースが、

全く自分の考える“効率”では、進まなくなりました。

外で働いていた時は、“効率”が重要で、人から指示をされ、そして人に指示をする日常とは、

まったく正反対の生活に、考えも感覚もがらりと入れ替えなければならず、


それを受け入れる心を持つ事がとても大変だったように思います。



いつからか、“子育ては修行”と感じるようになりましたが、

今でもそう感じます。


“効率”良くは進まない子どものペース、それに合わせる事がとても大事だと分かってきて、

受け入れる事が次第にできるようになってなお、まだまだ受け入れなければないない事が日々、次から次へと沸いて出てきます。


結局は、

子育てで必要なのは、“心の器を広げる事”なのだと感じました。



子どもを健やかに育てるには、

親の考え方、言葉、行動と、“親の在り方”がとても重要だと言われています。


「子は親の背中を見て育つ」とは良く言われますが、

人の心の在り方の基準となるものは、やはり育てられた親、環境によります。

そうなると、子どもの教育の原点はやはり「家庭」にあります。


子どもを健やかに育てるには、

親は、知識を得ながら、賢く子育てをする必要があります。


まずは、親である自分が

言動と行動、日々の生活習慣を見直し、改善する所はしなければなりません。


そして、それは、子どもが小さければ小さい程、

素早く子どもの心と行動に表れていきます。


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まずは、子どもにイライラ、怒らなくてもいい環境作りが必要です。


チューリップピンク朝は、子どもが起きる前に起きて、

自分の身支度、洗濯、朝食作りをしてから、子どもを起こします。


そうする事で、朝、子どもに手を取られても、

家を出る時間に追われる事なく、余裕を持つ事ができます。


朝、早く起きるには、夜は早く寝なくてはなりません。


私は、夜に子どもを寝かしてから起きてきて自分の時間を持つのをやめ、

子どもと一緒に寝て、朝は子どもを起こす2時間~3時間前に起きるようにしました。


そうすると、1日がとてもスムーズに進み、

次第に朝に自分の時間も持てるようにもなりました。


それまでは、よく朝の身支度に子どもが泣いていても放っておく状況がありましたが、

身支度を済ませておくと、それも殆ど無く、てんやわんやの朝がなくなりました。


また、早寝早起きは、免疫力を上げてくれます。

毎年冬にはひいていた風邪をひかなくなったのは驚きました。


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子どもが生まれ、イライラになった事の中に、

”夫が思うように動いてくれない。”

というものがありました。


子どもはとにかく泣き続けていたので、夫も家に帰ってきたら、イライラ・・・・

夫の休まる時もありません。


こちらは、1分、1動作もおしいなかで、全て子どもにせかされるように動いているのに、

それを全く分かってくれていないようにも思いました。


チューリップ紫夫の事を理解し、してくれている事を見る


イライラしていてもいい事はなにも無いので、子どもが生まれて1年ほど経ち、

少しだけ落ち着いた頃に、夫を見る目を変えてみました。


夫は仕事をし、疲れて帰ってきます。

それだけでも大変な事なのに、帰れば、憩いのはずの家に、

落ち着ける場所はなく、

泣き続ける子どもの面倒を見なければなりません。


夫も大変なはずです。


仕事をし、生活をささえてくれているのは、夫です。

それに感謝するようにしました。


文句を言う事はやめ、何か少し気になる事も言わない事にしました。

そして、受け入れ、夫の食べたいものを作り、夫がそうしたいと思う事を聞くようにしました。


すると、こちらの変化に夫も変わってきました。

子どもが成長し、少しずつ手がかからなくなってきたというのもありますが、

夫も父親業に楽しみとやりがいを感じてきたのか、

夫のイライラも減っていきました。


よく見ると、夫はよく子どもを見てくれている事に気がつき、

夫も言いたい事を抑えてくれているようでした。

それだけでもありがたいと思えるようになりました。



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チューリップオレンジ子どもが小さなうちに身につけさせておくべき事は、3つあると言われています。


・必ず、親に挨拶をする子にする事

・親に呼ばれたら、返事は「ハイ」とはっきり言う子にする事

・靴を脱いだらきっちり揃え、席を立ったら、椅子を戻す子にする事


これらを小さなうちに身に付けさせておく事は、

これから作られていく本人の人格形成に大きく影響を与えます。


口で「こうしなさい。」と言う前に、

親である自分が、生活の習慣としてこれらを実行し、その姿を子どもは肌で感じていなくてはなりません。



家族、夫や親に、こちらから挨拶をする。

近所の人とすれ違うときも、こちらから挨拶をする。

家庭内の中で、夫や子どもに呼ばれたら「ハイ」と返事をし、すぐさま反応する。

靴を脱いだら、すぐさま揃えて片づける。

椅子は使い終わったら常に机に収めておく。


また、親の心の在り方は、子どもの心にも反映されていきます。



普段のなにげないこちらの行動と言動が、

子どもの人格を作っていきます。



親として心得ておきたい行動は、


○悪口は言わない。

相手を悪いように考える思考は、子どもへもその思考が移る傾向があります。

母親が普段から、何かの不満、誰かの悪口を言っていると、素直な子どもは「そうなんだな」とそのまま受け入れます。夫や親の悪口はもちろん、他人の悪口も良い影響は無い事を賢く知る母とならなくてはなりません。また、保育園や学校の先生の悪口も言う事はしません。


○大人の人づき合いをする。

自分があまり好きではない人とも、付かず離れずの距離をもって普通に接する事が必要です。

「口をきかない」「目を合わさない」などの行動は、親自身がまだ子どもであり、親としての心の器ではありません。それらの心を持つ事は、子どもへは自己中心的で、他人を思いやる事を教えられず、人を愛する事、愛される事が分からない心を作る事になります。


○感謝の心と言葉を持つ。

感謝の心をもてば、たくさんの気付き、前向きに生きる事ができるようになり、全ての幸せはここに行きつきます。それらの心は、子どもの心も明るく生き生きとさせます。人は一人で生きられるものではなく、必ず誰かの助けを受けている事を教える事になり、目の前に見えていなくても、具体的な想像力を持って、それらを実感し、感謝する心を身につけさせる事ができます。親は「ありがとう。」「ありがたいね。」と普段から使い、相手を尊重し、尊敬する姿勢が大切です。とりわけ、夫や親に対してそのように行動すると、家庭は平和で温かい空気となり、心の安定した子へと成長します。


○人を攻撃する言葉は使わない。

特に子どもに対してはそうですが、家庭内でも、他人に対しても、攻撃する言葉は使わないようにします。

相手の立場を考え、子どもに対しては子どもの考え、気持ちを想像し理解して、こちらも対応する事が大切です。そうなると、相手を攻撃する言葉は自然と無くなります。また、子どもに対して親が、「バカ!」や「あなたはどうしてそうなの!」というような人格否定の言葉を受けて育った子は、自分を認める事ができず、暗く頼りない人格となり、その子の人生も前向きには歩めなくなります。子どもを否定、責める事はしないようにします。子どもがこちらの言う事を聞かず、ぐずぐずとしている場合は、まずは「○○したいんだね。」と共感の言葉を掛けます。「でも、○○だから、もう時間が無いんだよ」など、そうしなければならない理由を丁寧に教えて、根気良く、言い聞かせます。感情的になる事は、子どもにいい影響はありません。


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“子ども”をよく知る事が大切だなと思いました。


子どもは、ぐずるもので、“今”が全てで、この後の予定など考える事はできません。

子どもは、泣くもの、言う事を聞かないもの、遊ぶ事が大好き、自分の心地いいものだけを好んで、全てにおいてマイペース。


それらの事を親は、懐を大きくして受け入れ、温かく見守りながら、

将来、一人でしっかりと生きていける“大人”になる為の教育をしなければなりません。



前回の記事では、「社会で恥ずかしくない習慣を身に付けさる 」という内容の記事を書きました。



それらは、“規範”や“しつけ”といわれます。



ですが、こどもはなかなかそのように、親のして欲しい行動をしてくれません。



どのようにすればいいのか・・・・



それは、まずは、

『規範』や『しつけ』の前に、するべき事があるからです。



女の子それは、子どもが欲しいと思う『親の愛情』を注ぐという事です。



愛情を注ぐと言っても、それらもやはり、親の知識が必要です。



子どもは、おやつやおもちゃを欲しがりますが、

それらを与え、子どもの笑顔を見る事が“愛情を注ぐ”事ではありません。



男の子まずは、スキンシップをする事

赤ちゃんであれば、常に抱っこをする事。

歩くようになれば目を離さず、常に手を握っている事。

しゃべるようになれば、言葉を常に聞き、応える頃です。


女の子子どもが「あれして~」「これして~」と接触をしてこれば、それに応える事です。


もう子どもが大きいから手遅れ…という事はありません。


言う事を全然聞かない、落ち着きがない…と感じたら、まずは、

親の要求など、「あれをしなさい」「これをしなさい」「勉強をしなさい」と言う前に、


子どもを膝に乗せて座らせる、もしくは手を握る、顔をなでるなど、

子どもの年齢によってやりやすいスキンシップと、

「お母さんは、あなたの事を大事に思ってるよ」と言う事を習慣にする事です。


男の子順序として、

「愛情(スキンシップと言葉がけ)」→「規範、しつけ(顔、手を洗いなさいなど)」→「道徳(言う事をやる事を一致させなさい、など。)」


これらを親が行動し、教える事によって、こどもの健全な社会性が育っていきます。

2014年1月15日 朝の報道番組「めざましテレビ」で、子育てについて興味深いニュースが放送されていました。


内容を箇条書きにします↓


クローバー<小中学生の保護者が思う 家庭で教えるべきしつけ>

・早寝早起き 99.4%

・食事、手洗いの習慣 98.0%

・あいさつの仕方 91.9%



かたや、

・朝、顔を洗っているのは、クラスの 1/3程度

-資生堂の洗顔教室のスタッフ調べ-


チューリップ紫→身につけるべき生活習慣のみだれが指摘されている。



クローバーこんな子どもが増えている

・鼻をかめない

・靴をきちんと履けない

・チャックの開閉ができない など


-8日付 朝日新聞-


チューリップ紫→親が全てしているのか。親がしつける必要性を感じていないのか。親がしつけできないのか。



クローバー小学4年生の約4割がおはしを上手に使えない


大阪市立の小学校の中に、

生活習慣を身につけるプログラムを行っている学校がある。


・体を洗う習慣

・トイレの使い方

・早寝、早起き

・歯磨き など


-8日付 朝日新聞-


クローバー→これらは、就学前に身につけるべき。身につけるタイミング(時期)を逃すと、なかなか身につかなくなる。


クローバー→これらは、家庭で教えるもの。学校で教わっても、家庭でしなければ身につかない。



↑以上の内容でした。



現代の子どもは、経験が少ないと言われています。


親が意識して、子どもに経験をさせて事が必要です。


自分の身の回りの事は自分でさせる。

時間に追われる社会ですので、つい親は、子どもにさせず、親自身で、パパッとしてしまいがちです。


ですが、それでは、上記のように子どもは何もできない子になります。


それには、親は、時間の余裕を持つ事が必要です。


親自身が、早寝早起きをし、1日のスタートを早くする事です。


星子育ては、親自身の早寝早起きで、解決される問題がたくさんあります。

日本のまだ戦後まもない時代、物資は満足にはなく、

今のような便利な家電もありませんでした。


寒い冬の朝、子どもが起きると、すでにストーブが焚かれ、部屋は暖かく、

すぐさま、温かいお焦げのあるご飯や、塩がまぶされたまだ温かいおにぎりが出されました。


子どもは、そこですぐに感じる事は、母が早くに起き、寒い部屋にストーブを焚き、

お米を研いでご飯を炊いている事です。


子どもが学校へ行けば、母親は、すぐさま、家の掃除と洗濯です。

当時は、洗濯機はありませんから、タライに洗濯板を入れて、一枚ずつ

手でゴシゴシと洗います。掃除は、ほうきやはたき、雑巾でしました。


子どもは、綺麗になった服を着て感じる事は、

母がいつもゴシゴシと自分の服を洗濯してくれている事です。


母は、ごはんは家族の残り物を食べ、家族で一番のボロの服を着ていました。

ですが、それが女性は不満だったのでしょうか。

そんな女性達は、きっと、子どもの成長を喜び、家族に尽くし事を自分の生涯とし、

夫の出世が自分の喜びだった事でしょう。


また、別の角度から見ると、そうする生き方しかなかった、とも言えます。

ですから、女性の多様な生き方を選択できる現代は、良い時代になったと言えます。


てんとうむし得るものがあれば、失うものがあるのが、世の常です。


女性は家事や家のしきたりから、ある程度解放されました。

便利な家電製品が出てき、核家族となったからです。


ですが、そこで “失ったもの” にもう気付く時代になっています。


母親が家事で苦労しなくなった分、

子どもは、母へ、『感動も含めた感謝』 を抱く事が出来なくなりました。


てんとうむし母への『感動も含めた感謝』は、まさしく、母のつくす苦労、つくす姿勢です。


便利な家電の登場で何を引き換えにしたのか、

それは、こどもの“親への感謝の心” “謙虚な心”です。

それにより、日本人のモラルの低下、思いやりの低下、非情を引き起こしました。


現代でも、私たちは、親へ育ててもらった“感謝”は感じています。

ですが、私たちの抱く思いと、昔とでは、親への思いの強さはまったく違うものだと言えます。


昔、テレビドラマでは、

犯罪をおかした犯人が、警察に「お母さんが悲しむぞ」との言葉に、

自分の罪を泣きながら暴露し、心を悔い改める。というような話がありました。


現代では、そんなドラマの展開は、通用しません。


それほど、母への感謝、母への恩が低下しているという事です。


ブーケ1では、便利になった現代では、どうすればいいのか。


わたしの記憶に残るのは、

中学、高校と6年間、学校に通う日は、毎日お弁当を作ってくれた母に、

“感動も含めた感謝”を感じます。


わたしには、5歳上の姉がいるので、姉も含めれば、

11年間も作り続けたわけです。


他にも数々の“尽くす愛”はありますが、

ブーケ1お弁当を作り続けてくれる事が、

現代では、子どもの心に一番わかりやすく伝わる、『尽くす愛』の形ではないでしょうか。


わたしは、大阪で育ったので、中学校給食が無かったのですが、

全国的には珍しい事で、

中学校給食を実施していない大阪、兵庫でも、

現在は、中学校給食の導入が進められています。


わたしは、正直、中学校給食が始まると聞いた時には、

「助かる!」と感じました。


実際、フルタイムで働くお母さんにとって、

中学校給食は、大きな助けになります。


ここでも、得るものと失うものがでてきます。

それは、まさしく、先ほど話した、便利な家電製品の登場と同じ状況となるのです。


ブーケ1ですが、“失うもの”を意識しているのと、いないのとでは、大きな違いがあります。


失う子どもの“親の尽くす愛”“感動を含めた感謝”の心は、

他で補う事ができます。


ですが、便利な現代では、非常に難しい事でもあります。


そこを忘れずに、“尽くす愛”を意識して探し出し、

実行する事が大切です。



2013年の流行語大賞に4つの大賞がありました。

その中のひとつ「お・も・て・な・し」は、今の日本を象徴する言葉です。


日本に来た外国人旅行者は、日本のサービスに感嘆すると言います。


まさしく“おもてなしの国、日本”なのだと思います。

外国から勤勉、合理主義の高い精神が評価され、とても嬉しい事です。


ですが、それが、もたらす日本の闇に、日本人は気付いているでしょうか。



日本人の“おもてなし”は、本来、“おもてなしの心”から来ているものですが、

そうではなくなった社会の現状があります。


日本の飲食店は、外国人からすると、田舎の商店街の居酒屋でも高水準のサービスです。

席に着くと、すぐさま水が出され、アルコールと料理を注文すると、必ず、アルコールがなにより先に出されます。他のテーブルの客との料理の出具合なども計算され、自分の所にも注文商品が出てきます。


外国では、アルコールより先に料理が出てくる飲食店も少なからずあります。

隣のテーブルが後に注文したのに、料理は自分のテーブルより先に並んだりもします。

でも、その国の客達は、それを咎めたりはしません。

“隣の客の料理の方が早くできるものだったのだろう。”“たまたまそういうタイミングだったのだろう”

と想像する事ができ、そう考えるのが“当たり前”の社会だからです。


日本人にその『心のゆとり』はあるでしょうか。


行きとどいたサービスが浸透し、日本人は、“当たり前のサービス”となっています。


近年、一家庭にごとに、食材を宅配してくれるサービスがあります。

なんて、素晴らしいサービスなのかと感動さえします。


体が不自由であまり動けない方や重いものを持つのが大変なお年寄り、

小さな子どもをもつ子育て家庭、外に出て買物がしづらい人々の大変な支えとなります。


私も、頻繁に利用していますが、

その届いた状態をみるとなにか、日本人の危機的な状況を感じる事があります。


大根、白菜、キャベツなどの野菜までもが、ひとつづつクッション材に包められ、

大量に注文した小麦粉までもひとつづつ子袋に収められています。


この食材の宅配サービスは、通常のスーパーの代金と変わらない価格で販売し、送料100円という価格にもかかわらず、

注文商品が無い場合は、電話で代替え品の連絡をくれ、代金も当初のこちらの希望の商品の価格にしてくれます。


この行きとどいたサービスの上に、大根までも、クッション材に包んでくれるのか…と驚きました。


でも、それは、『過剰』なまでの気遣いと言えます。


販売する側の弱みなのでしょうか。そうしなければならない、お客への対応が伺えます。


世のサービスは、とてもありがたく、時にはそのサービスが“生活の命綱”となる事さえあります。

そのサービスを“ありがたい”気持ちでうけとるなら、

配送の際についた、大根に多少の傷がついても、それを受け入れる事ができるはずです。



このような、親の心のゆとりの無さは、子どもへ、“異に反するものを受け入れない”心を作ります。


買った洋服のボタンが取れていた場合、

洋服店に文句を言いに行くより、

変わりのボタンを探し、自分で付けて使用する、

そんな心が、心の豊かな人を育てます。