2013年の流行語大賞に4つの大賞がありました。
その中のひとつ「お・も・て・な・し」は、今の日本を象徴する言葉です。
日本に来た外国人旅行者は、日本のサービスに感嘆すると言います。
まさしく“おもてなしの国、日本”なのだと思います。
外国から勤勉、合理主義の高い精神が評価され、とても嬉しい事です。
ですが、それが、もたらす日本の闇に、日本人は気付いているでしょうか。
日本人の“おもてなし”は、本来、“おもてなしの心”から来ているものですが、
そうではなくなった社会の現状があります。
日本の飲食店は、外国人からすると、田舎の商店街の居酒屋でも高水準のサービスです。
席に着くと、すぐさま水が出され、アルコールと料理を注文すると、必ず、アルコールがなにより先に出されます。他のテーブルの客との料理の出具合なども計算され、自分の所にも注文商品が出てきます。
外国では、アルコールより先に料理が出てくる飲食店も少なからずあります。
隣のテーブルが後に注文したのに、料理は自分のテーブルより先に並んだりもします。
でも、その国の客達は、それを咎めたりはしません。
“隣の客の料理の方が早くできるものだったのだろう。”“たまたまそういうタイミングだったのだろう”
と想像する事ができ、そう考えるのが“当たり前”の社会だからです。
日本人にその『心のゆとり』はあるでしょうか。
行きとどいたサービスが浸透し、日本人は、“当たり前のサービス”となっています。
近年、一家庭にごとに、食材を宅配してくれるサービスがあります。
なんて、素晴らしいサービスなのかと感動さえします。
体が不自由であまり動けない方や重いものを持つのが大変なお年寄り、
小さな子どもをもつ子育て家庭、外に出て買物がしづらい人々の大変な支えとなります。
私も、頻繁に利用していますが、
その届いた状態をみるとなにか、日本人の危機的な状況を感じる事があります。
大根、白菜、キャベツなどの野菜までもが、ひとつづつクッション材に包められ、
大量に注文した小麦粉までもひとつづつ子袋に収められています。
この食材の宅配サービスは、通常のスーパーの代金と変わらない価格で販売し、送料100円という価格にもかかわらず、
注文商品が無い場合は、電話で代替え品の連絡をくれ、代金も当初のこちらの希望の商品の価格にしてくれます。
この行きとどいたサービスの上に、大根までも、クッション材に包んでくれるのか…と驚きました。
でも、それは、『過剰』なまでの気遣いと言えます。
販売する側の弱みなのでしょうか。そうしなければならない、お客への対応が伺えます。
世のサービスは、とてもありがたく、時にはそのサービスが“生活の命綱”となる事さえあります。
そのサービスを“ありがたい”気持ちでうけとるなら、
配送の際についた、大根に多少の傷がついても、それを受け入れる事ができるはずです。
このような、親の心のゆとりの無さは、子どもへ、“異に反するものを受け入れない”心を作ります。
買った洋服のボタンが取れていた場合、
洋服店に文句を言いに行くより、
変わりのボタンを探し、自分で付けて使用する、
そんな心が、心の豊かな人を育てます。