日本のまだ戦後まもない時代、物資は満足にはなく、

今のような便利な家電もありませんでした。


寒い冬の朝、子どもが起きると、すでにストーブが焚かれ、部屋は暖かく、

すぐさま、温かいお焦げのあるご飯や、塩がまぶされたまだ温かいおにぎりが出されました。


子どもは、そこですぐに感じる事は、母が早くに起き、寒い部屋にストーブを焚き、

お米を研いでご飯を炊いている事です。


子どもが学校へ行けば、母親は、すぐさま、家の掃除と洗濯です。

当時は、洗濯機はありませんから、タライに洗濯板を入れて、一枚ずつ

手でゴシゴシと洗います。掃除は、ほうきやはたき、雑巾でしました。


子どもは、綺麗になった服を着て感じる事は、

母がいつもゴシゴシと自分の服を洗濯してくれている事です。


母は、ごはんは家族の残り物を食べ、家族で一番のボロの服を着ていました。

ですが、それが女性は不満だったのでしょうか。

そんな女性達は、きっと、子どもの成長を喜び、家族に尽くし事を自分の生涯とし、

夫の出世が自分の喜びだった事でしょう。


また、別の角度から見ると、そうする生き方しかなかった、とも言えます。

ですから、女性の多様な生き方を選択できる現代は、良い時代になったと言えます。


てんとうむし得るものがあれば、失うものがあるのが、世の常です。


女性は家事や家のしきたりから、ある程度解放されました。

便利な家電製品が出てき、核家族となったからです。


ですが、そこで “失ったもの” にもう気付く時代になっています。


母親が家事で苦労しなくなった分、

子どもは、母へ、『感動も含めた感謝』 を抱く事が出来なくなりました。


てんとうむし母への『感動も含めた感謝』は、まさしく、母のつくす苦労、つくす姿勢です。


便利な家電の登場で何を引き換えにしたのか、

それは、こどもの“親への感謝の心” “謙虚な心”です。

それにより、日本人のモラルの低下、思いやりの低下、非情を引き起こしました。


現代でも、私たちは、親へ育ててもらった“感謝”は感じています。

ですが、私たちの抱く思いと、昔とでは、親への思いの強さはまったく違うものだと言えます。


昔、テレビドラマでは、

犯罪をおかした犯人が、警察に「お母さんが悲しむぞ」との言葉に、

自分の罪を泣きながら暴露し、心を悔い改める。というような話がありました。


現代では、そんなドラマの展開は、通用しません。


それほど、母への感謝、母への恩が低下しているという事です。


ブーケ1では、便利になった現代では、どうすればいいのか。


わたしの記憶に残るのは、

中学、高校と6年間、学校に通う日は、毎日お弁当を作ってくれた母に、

“感動も含めた感謝”を感じます。


わたしには、5歳上の姉がいるので、姉も含めれば、

11年間も作り続けたわけです。


他にも数々の“尽くす愛”はありますが、

ブーケ1お弁当を作り続けてくれる事が、

現代では、子どもの心に一番わかりやすく伝わる、『尽くす愛』の形ではないでしょうか。


わたしは、大阪で育ったので、中学校給食が無かったのですが、

全国的には珍しい事で、

中学校給食を実施していない大阪、兵庫でも、

現在は、中学校給食の導入が進められています。


わたしは、正直、中学校給食が始まると聞いた時には、

「助かる!」と感じました。


実際、フルタイムで働くお母さんにとって、

中学校給食は、大きな助けになります。


ここでも、得るものと失うものがでてきます。

それは、まさしく、先ほど話した、便利な家電製品の登場と同じ状況となるのです。


ブーケ1ですが、“失うもの”を意識しているのと、いないのとでは、大きな違いがあります。


失う子どもの“親の尽くす愛”“感動を含めた感謝”の心は、

他で補う事ができます。


ですが、便利な現代では、非常に難しい事でもあります。


そこを忘れずに、“尽くす愛”を意識して探し出し、

実行する事が大切です。