ども。急に夏がやってきたようで、ワタクシの体内細胞はびっくりしております。

 

さて、仕事柄というとアレですが、ほぼ毎日お付き合いしておりますコンクリート。

そう、あの灰色の、のっぺらぼうの、色気も愛嬌のかけらもない、ずんぐりむっくりのあれね。

一時は、「コンクリートから人へ」なんてスローガンも生まれたくらいの、嫌われ者&悪者代名詞にもなったりしてサ、まあ、近代の無機質な都市空間を生み出した元凶だとレッテル貼られてしまったら、うんまあ、そうさのう・・・と言わざるを得ないのですけど、でもね、しょっちゅう奴らと顔合わせてるとね、妙に親近感というか、いや、ヘンな意味じゃなく、一つとして同じ表情を見せない奴らに、奇妙な愛着が湧いてくるざんす。

 

 

コンクリートって何者?

コンクリートは、セメントと水、それに砂、砂利などの骨材を混ぜ合わせて作られる。

ちなみに、セメントと水を混ぜ合わせただけのものはセメントペースト、セメントと水と砂を混ぜ合わせたものはモルタルと呼ばれる。

 

で、ドロドロ状のものを型枠の中に流し込んで固める。型枠さえ組めれば、どんな形だってできる。

流し込まれたドロドロのコンクリートは、時間をかけて固まっていく。んが、乾燥して固まるわけではない。

セメントと水との水和反応により固まる。時間とともに反応が進み、水和結晶が生成される。そう、まるで草木が成長するかのように、ジワジワとこの結晶ができていく。この結晶がコンクリートを強固なものにしているノダ。

時間をかけ、入念に養生されてできたコンクリートの表面にはガラス質の膜が形成され、表面がテカテカと光っている。

 

実は大昔からいた

近代都市を形成してきた代表格とも言えるコンクリート建造物ですが、実は大昔からあった。

今も残る歴史的建造物ローマのコロッセオやパンテオンは、レンガを型枠として、中にコンクリートを流し込んで造られている。そのほかにも、水道橋などのローマ時代の多くの建造物に使われている。

コンクリートの材料であるセメントは、元は石灰石、いうまでもなく水も砂も砂利も自然素材、かつ容易に手に入ることを考えると、品質の差こそあれ、コンクリートが大昔からあったとしても不思議ではない。

度重なる修復が行われているとはいえ、2000年近い年月を生きながらえているというのは、奇跡に近い。

 

一つとして同じものはない

現在では、いろんな混和材が加えられたりするけれど、自然素材が原料であるということと、温湿度に多大な影響を受ける水和反応によってコンクリートが形成されることを考えると、一つとして同じものはないのも頷ける話だ。

 

そして、何より人間の「手」によって作られるものだから、作る人間が違えば同じものができるわけはなく、手作りゆえに同じ人間であっても全く同じものができるわけはない。

できの良し悪しは、すべて人の「手」によるものなのだ。

 

かつて、今ほどにコンクリート建築が普及する前は、コンクリート神話なるものがあったそうな。

「コンクリートは半永久的なもの」

専門家によると、命あるものを育てるように手間暇かけて丁寧に作ることで、緻密な密度の高いコンクリートを作ることは不可能ではなく、半永久的というそれは神話なんかじゃない、という。

 

味気ない、冷たい、無機質、etc…とネガティブなイメージばかりが語られるコンクリートですけど、寡黙なその表情の裏に、どことなく人の手の温もりが感じられるところに、ワタクシ、惹かれるのでアリマス。

 

出来上がった建物だと大抵は仕上げがしてあるので、素のコンクリートは見えなけど、工事現場などで目にすることがあれば、ご覧あれ。くれぐれも変人扱いされない程度にね。