イタリア生活20年 | 憧れの(?)Italia Firenze生活

憧れの(?)Italia Firenze生活

イタリアはフィレンツェに住みつき早十数年。
日本語を教えながら、イタリア人の夫と息子と暮らしています。
私の平凡なイタリア生活の実態を御紹介♪

 

 

 

 

イタリアに住み始めて20年経ちました。

 

 

あっという間だったともいえるけど、この20年あったことを思い返すと、長い20年だったなとも思います。

 

 

私がイタリアに来た年に生まれた子供たちがもう成人。

 

成人の年齢はイタリアは(今は日本もだけれど)18歳以上なので、20歳はよゆーで成人です。

 

 

 

イタリアに住み始めてから20年経つので、私のイタリア語レベルも20歳前後かというと、それはべつにそうでもない。

 

やはり語彙数の差があります。

 

文法的に間違っていても、意味が通じりゃなんとかなるの精神がイタリア滞在途中から強くなりすぎて、正しいイタリア語を話しているかと言うと、そうでないこともあります。

 

もうこれは一生そうなんじゃないかとも思います。

 

できるだけ正しいイタリア語をこれからも学んで行こうとは思いますが、やはりそれは母語との差。

私のイタリア語のレベルが私の日本語のレベルに追いつくことはないのではないかと思っています。

 

 

書くことにいたっては、更に悪く…。

イタリア人と話すこと、コミュニケーションをとることは経験を積んで慣れたし、特に問題ありませんが、書くことは私は苦手です。

 

ダンナや友たちとのチャットなんかは間違ってても友達も気にしないので、自分で書いてそのまま送信しますが、ちょっとフォーマルなメールなんかをイタリア語で書く時には送信する前にダンナにチェックしてもらってます。

 

一発Okが出ることもあれば、未だに前置詞や動詞の活用を訂正されたりする始末💧

あげくの果てには…

「シェコが言いたいことは分かる。でも、イタリア語ではこう言わない。」

と言われることも。

 

イタリア語も書き言葉って会話文とは違うので、もうこれは本などイタリア語の文章を読みまくるしかないのだけれど…本当に日々勉強アセアセ

 

 

 

 

 

 

でも、この20年間でしてきた経験から、イタリア語で医者と話すのに抵抗がなくなりました。

 

全てはピピウを通しての経験です。

 

ピピウを通して、医者も人間だということが分かったし、専門用語はイタリア人でもよく分かっていないということを理解しました。

だから、聞き返すことは恥ずかしいことではないことも。

 

自分のことなら、ま、間違っててもいっかと思ってしまいますが、我が子の健康がかかってくると見当違いな質問をするのが恥ずかしいという気持ちよりも、間違えたくない!という気持ちがかなり強くなるので、分かるまで(納得いくまで)質問するということを覚えたし、時間的に厳しい場合は話した内容をメールしてくれとお願いすることも覚えました。

 

で、医者と話すのが怖くなくなると、ピピウの学校の先生と話すのも怖くない。

学校も大切ですが、命まではかかってませんからね。

 

 

 

そして、コロナ禍を経験して、全てにおいてデジタル化が進んだ今、病院のことも、公的な手続きの方法も、ダンナの両親より理解できていると思います。

 

 

この20年で私も多少は成長したんだな~と。

 

でも、今思えば、20年前は何も知らなかったし、何も分かってなかったな~と。

 

ま、それは当然の話。

 

最初から何でも知ってる、分かってる人なんていませんよね。たぶん。

 

 

 

私がイタリアで成長できた理由があるとしたら、私的にそれはこの二つだと思います。

 

仕事。

 

そして出産(子育て)。

 

 

 

仕事をすることで、家族以外の多くのイタリア人と知り合うことができ、いろいろな角度からイタリアという国を見ることができたと思います。

 

イタリア人ダンナの言うとおりだなと思うこともあれば、そうでないことも。

 

やはり、私が一番話す相手はダンナなので、考えとか、価値観とかはダンナ寄りになりがちだなとも思います。

 

でも、ダンナがイタリア人代表なわけではないことはよく理解しています。

 

外国人としてイタリアに住むにあたり、それって大事なことではないかなと思います。

イタリア人夫の言うことすべてが正しいわけではない。

 

 

 

 

 

 

 

そして、イタリア生活も10年を超え、けっこういろいろ慣れてきたなと思えてきたころ、妊娠出産。

 

そして、出産はとんでもないことに!

 

イタリア生活13年経ったころでしたが、ピピウ出産は「まだまだ何も分かってねーよ!」って誰かからガツーンと言われた気がしましたね。

 

実際に分かってなかった。

 

ピピウが生まれたことによって、病院関係はもちろん、学校のことや、公園で出会う人たちや…13年間のイタリア生活で全く縁がなかった別の部分のイタリアを知ることができたのです。

 

そして上にも書いた通り、ピピウを守るために精神的に以前より強くなれた。

 

違う世界の扉を叩いたと思いましたね。

 

 

 

今でもピピウから、またはピピウを通して学ぶイタリアのこと、イタリア社会のことはかなり多いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これからもいろいろ学んでいかなければなりませんが、日本のことも学ばないと、だんだん日本社会から取り残されている感の今日この頃💧

 

 

生活の基盤がイタリアなのでしょうがないし、イタリア重視であるべきだとは思いますが…日本人としてのアイデンティティがそれをなかなか許さない…。

 

 

 

 

イタリアに何年住んでも日本人なんです。

 

 

 

 

 

あと3年したら日本生活時間をイタリア生活時間が上回ります。

 

 

なぜか…

 

 

おーそーろーしーいー不安

 

 

 

この夏、1か月半で、日本人の自分を多少取り戻したいと思います。

 

 

 

20年間のうち、初めて1か月半も日本へ帰国するのですが、私はこの夏、日本をどう思うのだろう?

 

 

少し楽しみで、少し不安でもあります。

 

 

 

 

とりあえず、イタリア生活は楽しいですイタリア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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