昔は、頻繁にブログを書いていたのに、
最近めっきりと更新回数が減りました。
なぜでしょう。
病気のネタがなくなったから?
健康になったから?
それもあります。
じゃあ、日々のネタを書けばいいのに。
でも、書く気になれないのです。
なぜでしょう。
気付いたのです。
私がブログを書いていた理由を。
書かなくなった理由を。
私は入院中、いろんなブログを読みました。
これから自分に起こることを知りたくて。
明日の検査で何をされるのかを知りたくて。
でも、私が探している情報ありませんでした。
医学的な情報はたくさんありました。
ただ、私はもっと生々しい、患者視点の主観を知りたかったのです。
だから、ブログを書きました。
できる限り詳細に、起きたこと・感じたことを綴りました。
情報として役立つブログになることを願って。
しかし、これはブログを書くためにつくり上げた、
身勝手な大義名分でしかありませんでした。
私がブログを書き続けた本当の理由。
それは、自分の気持ちに整理をつけたかったからだと思います。
当時の私は、自分に起きたことを受け止めきれなかったのでしょう。
誰かに話して頭を整理したい。
ありのままの感情を吐露して、気持を落ち着けたい。
自分では気付かないうちに、そんな鬱々とした心情に陥っていました。
それを解消するのに、ブログはうってつけでした。
私にとってブログを書くということは、
過去の事実を思い出し、振り返り、認めること。
その時の感情を見つめ返すこと。
でした。
そうして気付きました。
あの時は、バカなことをしたな。
ただ、本当は涙が出るくらい辛かったんだ、嫌だったんだ、哀しかったんだ。
大丈夫じゃなかったんだ。
目を瞑りたくなるような自身の言動もありました。
それを「読者がいる」ブログを書くことで、
客観的に見つめなおすことができました。
おそらく、友人や家族に話すよりも、
より深く見つめなおせたと思います。
書くことで、少しずつ自分の事が分かりました。
自分の気持ちが分かりました。
自分の考えが分かりました。
山から水が流れるように、心の中から「わだかまり」が消えていきました。
そして、心が落ち着きました。
事実を受け止められました。
大きな災害が起きたとき、子どもは最初は口を閉ざすものの、
しばらくすると自身が経験したことを親に話すそうです。
そうすることで、恐怖を乗り越え、過去を受け入れられるようになるそうです。
私の「ブログを書く」という行為は、
それと同じことだったのかもしれません。
今、私の心はとても軽いです。
重石がありません。
だから、ブログに書くネタがなく、書く気にもならず、
更新が滞っているのだと思います。
このブログは情報提供という大義をまとった、
心の捌け口だったのかもしれません。
限りなく私的な、本来なら人に見せられないものなのかもしれません。
でも、「このブログが役に立った」と言ってくださる方がいる限り、
続けていこうと思っています。
ただ願うのは、このブログが役に立たなくなる日がくること。
開胸手術など古い技術だと、
ワーファリンなど過去の話であると、
そんな日が、どうか早く来ますように。
にほんブログ村
最近めっきりと更新回数が減りました。
なぜでしょう。
病気のネタがなくなったから?
健康になったから?
それもあります。
じゃあ、日々のネタを書けばいいのに。
でも、書く気になれないのです。
なぜでしょう。
気付いたのです。
私がブログを書いていた理由を。
書かなくなった理由を。
私は入院中、いろんなブログを読みました。
これから自分に起こることを知りたくて。
明日の検査で何をされるのかを知りたくて。
でも、私が探している情報ありませんでした。
医学的な情報はたくさんありました。
ただ、私はもっと生々しい、患者視点の主観を知りたかったのです。
だから、ブログを書きました。
できる限り詳細に、起きたこと・感じたことを綴りました。
情報として役立つブログになることを願って。
しかし、これはブログを書くためにつくり上げた、
身勝手な大義名分でしかありませんでした。
私がブログを書き続けた本当の理由。
それは、自分の気持ちに整理をつけたかったからだと思います。
当時の私は、自分に起きたことを受け止めきれなかったのでしょう。
誰かに話して頭を整理したい。
ありのままの感情を吐露して、気持を落ち着けたい。
自分では気付かないうちに、そんな鬱々とした心情に陥っていました。
それを解消するのに、ブログはうってつけでした。
私にとってブログを書くということは、
過去の事実を思い出し、振り返り、認めること。
その時の感情を見つめ返すこと。
でした。
そうして気付きました。
あの時は、バカなことをしたな。
ただ、本当は涙が出るくらい辛かったんだ、嫌だったんだ、哀しかったんだ。
大丈夫じゃなかったんだ。
目を瞑りたくなるような自身の言動もありました。
それを「読者がいる」ブログを書くことで、
客観的に見つめなおすことができました。
おそらく、友人や家族に話すよりも、
より深く見つめなおせたと思います。
書くことで、少しずつ自分の事が分かりました。
自分の気持ちが分かりました。
自分の考えが分かりました。
山から水が流れるように、心の中から「わだかまり」が消えていきました。
そして、心が落ち着きました。
事実を受け止められました。
大きな災害が起きたとき、子どもは最初は口を閉ざすものの、
しばらくすると自身が経験したことを親に話すそうです。
そうすることで、恐怖を乗り越え、過去を受け入れられるようになるそうです。
私の「ブログを書く」という行為は、
それと同じことだったのかもしれません。
今、私の心はとても軽いです。
重石がありません。
だから、ブログに書くネタがなく、書く気にもならず、
更新が滞っているのだと思います。
このブログは情報提供という大義をまとった、
心の捌け口だったのかもしれません。
限りなく私的な、本来なら人に見せられないものなのかもしれません。
でも、「このブログが役に立った」と言ってくださる方がいる限り、
続けていこうと思っています。
ただ願うのは、このブログが役に立たなくなる日がくること。
開胸手術など古い技術だと、
ワーファリンなど過去の話であると、
そんな日が、どうか早く来ますように。
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