恐れず畏れつつ、天皇について語ってみた(3) | マキオカのネイチャーな日々

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山梨県の牧丘に手作りの2区画だけのキャンプ場を作りました。

広い空には満天の星。
ティピィの煙突からはバーベキューのけむりと笑い声。
ハイジのブランコは空まで届きそう。

いるだけで気持ちが和んでいく。そんな不思議なキャンプ場から贈ります。

こんにちは。今日も楽しいマキオカです。

一方、天皇家にまつわるお金の噂も、ある。

『天皇家という闇。日本赤十字社という闇。悪魔崇拝者という闇。』というおどろおどろしいタイトルで煽っているサイトを見ると「このヒト、どんだけ闇好きなんだ」などと思ってしまう。

この噂の概要は
「(天皇家にまつわる噂話の元となる)国際赤十字のシステムは、、戦争ビジネスをスムーズに長く行うために作られたもので、皇室が戦前に有していた莫大な資産と、そこから得られた資産は8兆円にも上り、天皇家の隠し財産は、スイスの銀行口座に蓄えられている」といったもの。

で、天皇家がその赤十字社の闇に関係があるという根拠は、現在でも天皇家が日本赤十字の名誉職に就いているから、ということらしい。

・・・って。
日本赤十字社は「紛争・災害・病気などで苦しむ人を救うためあらゆる支援」を謳っている。
赤十字社という組織にまつわる噂や実態はともかくとして、名誉職として天皇家が日本赤十字社に係わったからといって、何故そこから莫大なお金を得ているという結論になるワケ?

質素倹約は皇室の昔からの伝統と言われている。
特に江戸時代の天皇家の困窮ぶりは有名だ。

『江戸時代、皇室は徳川幕府から約3万石ほどの収入を得ていました。3万石というのはいわゆる小大名並の収入です。
ただ、経済的には大変だったようで、豪華なものを食べていたわけではなく、むしろ大変質素であったようです』

○第103代・後土御門天皇
→費用が工面できなかったために死後40日も御葬式できず。
生前から何度も「退位したい!」と言っていたが、叶わなかった。

○第104代・後柏原天皇
→践祚(皇位継承)はしたものの、正式な「即位式」資金を捻出できなくて、26年もの”長期延期”をされた。

うぅ・・・、切ない。

江戸時代の天皇家は、大きな権威を持ち知名度も非常に高かったにもかかわらず、皇室財政は危機的な状況に陥っていた。
古代より脈々と継承されてきた伝統は極めて重要なものだったため、財政難の状況下においても「簡素化」は難しく、しかも経費も馬鹿にならず、伝統を断絶させないために天皇家はかなりご苦労されたようだ。

だから天皇家の生活様式は極めて質素にせざるを得なかったのかも知れない。

これが明治時代になると一変する・・・かと思いきや、意外にもそうではない。

『天皇家は明治以降、日本の大財閥である三井、三菱、住友、安田の4大財閥を合わせた資産よりもはるかに多い世界有数の大資産家になった』と書いている資料がある。

あの噂はここから始まっているのだろう。
「おおー、そりゃスゴイ!」と思うが、真実は違うところにあった。

戦前の天皇は「大富豪」だった?

『明治期、版籍奉還によって土地は天皇に返されたとはいえ、それは国有に帰したということであり、天皇の私有となったわけではなかった。また、帝室費は計上されてはいたが、大蔵卿の管掌とされ、天皇の恣意の下に自由に支出することはできなかった

・・・自由に使えなかったら、お金持ちになっても意味ないじゃん。

『皇族の品位保持のためにも「皇室財産の設定が必要である」という声が、木戸孝允らを中心に上がった』

『国家予算は国会の承認を得なければならないため、帝室費の予算もこれに含まれるのは、はなはだ不都合とされた。そこで、ヨーロッパの君主制国家同様に国費と宮中の予算を分離し、一般会計法の外に置かれることになったのである』

『さらに、岩倉具視らによって、この特例的な会計の中に既存の国家財産を含ませ、それによって国会の干渉を受けない財源をつくりだそうとされた。官有林や日本銀行、横浜正金銀行、日本郵船などの政府保有株式が加えられていったのである』

『かくして「皇室財産」は形成され、膨れ上がっていく。そして、それは当初より天皇の「私有財産」と呼べるようなものではなかった。実際、当初は陸海軍の予算を、この「皇室財産」から賄おうという提案さえなされている』

ちょっとお。
これって、もしや「皇室財産」という名を利用して、政治家が自由に裁量できる隠し金をつくったってこと?
国会の承認を得なくても、自由に使える財布に「皇室財産」という名前を付けたってことだよね?

その証として「皇室財産令」には「皇室財産」に関する管理運用についての当事者は、天皇ではなく宮内大臣である」と書かれている。

わたしがそのお立場だったら「ふざけんなっ!人を利用するのもいい加減にしろ!!」と叫びたくなる。
でも、やんごとなき方々は「お国の為であれば」と、忍従の日々を送られたに違いない。

天皇が自由にお金を使えなかった一例として以下の逸話がある。

『昭和天皇の侍従次長であった木下道雄が戦後に語ったところによると、あるとき、地方に大水害があったので「御内帑金(ごないどきん)」の中から数百万円を被災者の救恤(きゅうじゅつ)のために下賜するということがあった。

 そのための必要書類が(宮内)大臣官房から侍従職を経て送られて来ており、昭和天皇はすぐにそれを裁可する印を押したという。(この「内帑金」とは君主の手元金のことだが、そこから支出することすら天皇の自由になっていないことがわかる)

 その書類を手に退出しようした木下が、ふと天皇の机の上を見ると、仏和辞典が置いてあった。使い込まれてボロボロになったそれは大層使いにくそうだったため、「新しいものにお替えしましょうか」と聞いたところ、昭和天皇は木下に「金はあるか」と聞き返した。木下は「ございますとも」と答え、翌日20円を支払って新しい辞書を買い求めた。

.木下は「終戦後、皇室財産のほとんど全部が政府の所管に移ったが、陛下としてみれば、国民が金が入用で自分たちの貯金を引き出したとしか思っておいでにならないだろう。もともと御自身のものとは考えておいでにならなかったのだから」と述べている』

うぅ・・・、この話、涙なくしては語れない。
もうね、こうなったら「スイス銀行でもどこでも隠し財産を持っていてくれた方がいいっ」という氣持ちになってくる。

昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」
『終戦直後の日本は食糧事情の悪化に直面しており、昭和二十年十二月頃、天皇は松村氏に対して、「多数の餓死者を出すようなことはどうしても自分にはたえがたい」と述べられ、皇室の御物の目録を氏に渡され、「これを代償としてアメリカに渡し、食糧にかえて国民の飢餓を一日でもしのぐようにしたい」と伝えられた』

天皇について、いろいろな逸話を知ると「清貧」「利他」という言葉しか浮かばない。
あの噂を広めている人は、この話を知っても「それは作り話、もしくは単なるポーズだ」というのだろうか。

「天皇家に莫大な財産がある」という話は、「徳川埋蔵金」の伝説に比べて、何故かロマンが感じられない。
話の端緒が生臭いからか、そういった話を語る方々から発せられる、お金に対する生々しい感情が付きまとっているせいなのかはわからない。

日本には大昔から「大御宝」(おおみたから)という言葉がある。
天皇にとって国民は「大御宝」だという意味だ。

自分達を「大御宝」と言ってくれる存在を、何故貶めようとするのか、わたしにはわからない。


つづく