本日のテーマ
【礼儀の意義を理解する
~礼儀は人柄を表す~】
ある若い男性から、こんな質問を受けました。
「礼儀みたいな窮屈のものがなぜ必要なのですか?」
わたしは、その答えとして、フランスの哲学者アランの考え方を言いました。
「礼儀とは、哲学者のアランはこう言っています。『相手にあわせてないといけない』ではなく、『相手の気持ちを考える思いやり』であると。わたし(倉部)もそう思っています」
きっと礼儀のはじまりは、アランが言うように、相手への思いやりから、相手に失礼が無いよう、相手が気分良くなるように振舞おうと思ったことからはじまったのではないでしょうか。
日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリストの草柳大蔵氏の体験談『私が24歳のときにかいた恥』が書籍『13歳からの道徳の教科書』(育鵬社)で紹介されています。
要約してご紹介いたします。
草柳氏は、若い頃の仕事で雑誌社の編集員を勤めていて、ある国務大臣の邸に原稿を取りに行ったときのことです。
訪問し、応接間に通されると、ソファに深く腰掛け、タバコに火をつけていました。
そのとき、国務大臣の奥さんが応接間に入ってきました。
「はい、ご苦労さま」と原稿を渡してくれ、帰ろうとすると、「お茶を飲んでいらっしゃいと」紅茶を出してくれました。
そして、静かな口調になり「あのね、他所(よそ)のお家を訪問して応接間に通されたときは、そこの家の主人が姿を見せるまでは椅子に腰をおろさず、立ったまま待つものですよ。そのために、壁にかかっていたり、花瓶に花が活けられているのです」
このとき、草柳氏はかすれたような声で「ありがとうございます」とお礼を言い、どういうわけか「世の中っていいな、素晴らしいものだ」と思ったのです。
その後、20年が経ったとき、取材で三菱銀行の会長になられた田実渉(たじつわたる)氏を訪問しました。
会長の面談室に通されて、秘書の方が「どうぞお掛け下さい」というのにお礼をいい、立ったまま部屋の壁にかけられて絵を眺めていました。
しばらくして、「やあ、待たせたね」と田実会長が顔一杯の微笑みを浮かべて入ってこられました。
あいさつを終えると、「君のことは聞いているよ。書かれたものを読んでいる。僕は何を話せばお役に立つのかね」
このときの取材は2時間でした。平易な語り口の中に、きらりと光る表現があって、指も折れよと鉛筆を動かしていました。
それから3年が経過しました。人物論をシリーズにしていた草柳氏は「中山素平論」を取り上げました。中山氏本人のインタビューに日本興業銀行の会長室を訪れました。
中山会長は取材に対し、懇切丁寧(こんせつていねい)に質問に答えてくれ、細かいところまできちんと教えてくれました。2時間のインタビューの間、いささかもないがしろにすることはありませんでした。
取材が終わって、筆記具を収(しま)い、立ち上がろうとした草柳氏に、中山会長は少し語調を変えていいました。
「君のこと、じつは昨日、田実さんに電話で聞きました。明日、草柳君という人と会うことになっているんだが、あなたは何時(いつ)か彼に会ったそうで、それで伺うんだけど、どんな男です、彼は? そうしたらね、田実さんが電話の向こうで、“ああ、あの男はおれが部屋に入るまで座らないで、立って待っているような男だよ”というんです。それだけよ。それで僕は、今日、君と安心して会うことにしんだ」
草柳氏はそのとき、一本の道が瞼に浮かんで、自分ひとりで自分の道を歩いているように思ってきたけれど、なんと恥ずかしい、浅墓(あさはか)な考えであったか。先輩たちが道をつけ、ときどき道端に立って、ちゃんと歩いているかどうか、踏み迷うようなことはないのか、灯りで照らして下さったのではないかと思われたそうです。
このお話で、「礼儀の意義」を強く感じました。
その意義とは、相手への配慮はもちろんのことですが、礼儀しっかり伝え教える意義です。
礼儀はその人の「人柄」を表します。
その「人柄」とは、礼儀を理解することで醸し出されるもの。
礼儀を理解するとは、人を大切にすることを心がけられる人であり、その心がけは人から認められることにつながるでしょう。
本当に意義を理解した礼儀は、その人の
人柄となり…
生き方となり…
人生を良い方向に導く力…
を持っていると、強く感じるのでした。