本日のテーマ

【子どもには自分で決めさせる】

 

 

子どもや他人に何か教えたいことがあり、言葉で教えるのですが、言葉では限界を感じることがあります。

自分が体験、経験していないことや、知らないことをいくら理屈で教えても分からないからです。

 

これは、わたし自身の経験でもありますが、知っていることをアドバイスしたり、教えたりすると返って教えの妨げになってしまうのです。

 

「これは、こうした方がいいよ…」
「これは、やめときなさい…」

 

その結果、良い結果が出ればよいのですが、もし悪い結果が出た場合は、

 

「あなたの言う通りにしたのに!」
「あなたがやめとけといったから損をした!」

 

人のせいにされてしまいます。

このことは、自分の経験から子育てに活用し、我が子に“自分で考えて決めること”をさせてきました。

 

自分で決めることの大切さを気づかせてくれる書籍の一文があります。

フォレスト・カーター氏の著書、和田穹男氏訳『リトル・トリ―』は、アメリカインディアンのチェロキー族の少年が、5才のとき両親を亡くし、祖父母に引き取られ成長していく物語です。

その祖父母が人間として大切なことをリトル・トリ―に教えていきます。

 

あるとき、リトル・トリ―は、仕事の手伝いをして貯めた50セントを、騙されてしまい失うことになります。
祖父と街に行ったとき、ある男から子牛をたった50セントで買うのですが、家に連れ帰る間に死んでしまいます。子牛は病にかかっていたのです。
その子牛をリトル・トリ―が買ったとき、祖父は何も言いませんでした。

そして、その日の夕食のとき、食べながら祖父がリトル・トリ―に言います。



「なあ、リトル・トリ―。おまえの好きなようにやらせてみる、それしかお前に教える方法はねえ。もしも子牛を買うのをわしがやめさせたら、おまえはいつまでもそのことをくやしがったはずじゃ。逆に、買えとすすめていたら、子牛が死んだのをわしのせいにしたじゃろう。おまえは自分でさとっていくしかないんじゃよ」

 


人生は、どんなに人からアドバイスや教えられても、生きる道は最終的に自分で決めるしかありません。
吉と出ようが、凶と出ようが、自分で決め悟っていかなければならいのです。

 

ことわざに、
「可愛い子には旅をさせろ」
(子どもが可愛いと思うなら、親元で甘やかすのではなく、世間の厳しさを教えて育てた方が子どもがしっかり育つという意味)
がありますが、これと同じように、本人に力をつけさせるには、
「可愛い子には、自分で決めさせ、他のせいにさせない」
という教えが必要だと、わたしは思います。