ウイークデーでの法事。
お施主さんは、2年少し前に当山の合祀墓に弟さんとお母さんを埋葬された方。
今日はお母さんの3回忌法要だった。
戒名のついたお位牌を持ってこられたが、他所の寺院で付けたもので俗名の一字は入っていなかった。生前の人生と来世はつながっているし、私は基本、俗名の一字を入れるようにしている。戒名を付けるにあたっての近年の流れのようで、この考えが絶対ではないこと勿論なのは、その流れの前は俗名を取り入れることはしてなかったのだから。
この世が終わって全く新しい世界に、ある意味再生する以上、現世と関わらない名前を付けるべきだという考えもある。これだとその人らしい字を選ぶのも意味がなくなる。この世とあの世が断絶されてしまう。
生前の生きざまを反映した字を選びたいと常々思っている。
德ある人には徳を、やさしかった人には優・慈を、穏やかな人には温・穏を、人との和を尊んだ人には和・朋を付ける。
付けた戒名を説明したとき、遺族の方はOOさんらしい戒名ですと喜ばれる方が多い。性格だけでなく、職業・趣味なども考慮に入れる。
農業に携わった方は、耕・農・稲・畦・等、大工さんには棟・梁・匠など。
昔、日本舞踊のお師匠さんに「廻雪」と付けたことがある。「廻雪」は風に舞う雪を、巧みな舞に例える意味がある。
書道をされた方には墨・硯・書などを前後の字により入れることがある。
その人らしい字が並び、宗教色があって、読みやすいのがよい戒名になるだろう。
字そのものはきれいでも、語呂がよくないと良い戒名にならない。
雲は自然を表わし、大空を漂うので自由な精神を表し、更には高い、遠い、すぐれているさまの形容にも使われる。光はひかりでかがやき、つや、ほまれ、威勢、恩恵、等の素晴らしい意味がある。それぞれは良い字だが、一緒にすると語呂がよくない。
「うんこぅ」💩 汚い。
梅も春も良い字だが、並べると梅春は語呂がよくない。売春に通じる。