「潔癖症」というわりには部屋が汚い(いわゆる汚部屋)の人がいます。

彼・彼女らはどうしてそうなってしまうのでしょうか?


強迫性障害とは

潔癖症は大きくは強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)の一つです。

強迫性障害とは
簡単に言うと語尾にすべて「~すべき」がついている状態だと思ってください。
寝るべき、食べるべき、行くべき、やるべき・・・

強迫観念や強迫行動と呼ばれます。
「自分の思っていることや行動はすべて強制」として考えてしまう障害です。
自分にも、他人にもやってしまいます。

多くの場合、「~すべき」は多数派の社会的ルールに裏付けされます。
そして彼・彼女らは自分や他人に「~すべき」というわりには、自分は一切その「~すべき」ができていません。
なので「自分はダメなやつだ」と自己評価が低いです。
そして「自分は頑張るべき」「他人も頑張るべき」と悪循環してしまいます。

強迫性障害=潔癖症=きれい好きではない

潔癖症の「手を洗うべき」は「掃除をするべき」は、
「汚いのは社会的にいけないことだ」という「自分がダメなやつだ、これを他人に強制しても悪くは言われない」という落とし所として表出しやすいだけです。
本人もおかしいなと思いながらいつまでも続けてしまいます。

しかし強迫性障害=汚部屋というパターンはあります。

強迫観念や行動なので、それがきれい好きとは限らないからです。

例えば、私の父は潔癖症で部屋をとても綺麗にしていました。テレビリモコンの位置や時計の秒針まできっかりと揃えてゴミひとつ内容に掃除していました。
しかし外から帰宅しても一切手を洗いませんでした。
部屋がとてもキレイなのに、手は洗わないべきという習慣を守り続けていました。

つまり本当にきれい好きだったのではなく、強迫性障害の行動で掃除をしていただけだったのです。


強迫性障害の家庭で育つ生きづらさ

自分と関係なくても、努力しない他人に対して腹が立つという人も強迫性傾向の人に特徴的です。

1、自分が頑張ってるのにあいつはなまけていると他人を下げて自尊心の踏み台にしているタイプ。
2、自分の行動は棚に上げて他人には非現実的な頑張りを欲求するタイプ。

後者の方が深刻です。

家庭でこれが起こると、
社会的通念や価値観や法律社会ルールを神様のように信仰するわりには、
本人は棚に上げして一切それを守れてないというアンビバレンス(両価性)が生まれ、育った子どもは精神病的にスプリッティング(分裂、善か悪かで二分)されます。

多くの場合、父親か母親の片方の心理的な役割(どちらかというと父親)が空気のように欠落していて、存在する理想像ではなく、理想的な社会ルールや法律を親にして崇め奉るしかなかったという事情があります。

親が求めたこの役割を子が演じてしまうと強迫性障害になり、スプリッティングが極端すぎると精神病になるのです。

強迫性障害の女性の場合、
背後霊のように強迫性障害の母親がいて「あなたの父親はクソだから、あなたが社会ルールを守って父親代わりになりなさい」と常時、頭の後ろで語りかけてくるという地獄にさいなまれるタイプが多いです。

これがひどいと母親=食事と結びついてしまい、食べることに抵抗する摂食障害が併発していることも多々あります。

尊敬できる理想像で折り合いをつけること

理想として愛着形成が最低限できていれば内在化可能なので、強迫性障害の尊敬する枠の中で、より情緒的に安定した上位互換の人を、社会的ルールというふんわりした強迫妄想から、実在する理想像として入れ替えて「あなたの尊敬する〇〇さんだったらどうするのかな?」と補填できるようになれれば良いです。

内在化できるかどうか次第でその後の柔軟さが生まれます。

なぜ学童保育(放課後子ども教室・放課後児童教室)が犯罪の温床になるのか?~愛着障害・愛着形成~

(参考)
「汚部屋そだちの東大生」描いた彼女の壮絶半生 就職してからようやく自分を客観視できた | 「非会社員」の知られざる稼ぎ方 – 東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/420535