かつて実家の敷地内に、父の会社の社員寮があって、一歩家の外に出れば世界中の色んな人に可愛がってもらって育った。
 
お辞儀も覚えたてで地球の裏側から来た人、大切な家族を置いて出稼ぎに来た人、逆にひと言も日本語を話せない家族を連れてきた人、一旗上げて祖国に帰りたい人、祖国に居づらい人、兵役が終わったばかりの人。
 
みんな夢を持って日本で一緒に暮らしてくれた。
 
その環境のおかげで、生まれついてから、戦争もなく衣食住にも困らない国に生まれた五体満足の自分に何ができるのか、どうしたらこの世界が良くなるのか、命の使い方を考えながら、一歩一歩を踏みしめてきた。
 
何も生み出さず無駄死にをしては駄目だと思っていた。
 
国際協力で食べていく夢もあったけど、大学院卒まで自費で稼ぐのは難しく、国際貢献したい国からお金を頂くのは抵抗があったので、無給で活動しようと決意した。なので社会人になってからプロボノになった。
 
その代わりに、自分の頭と体ひとつで1時間一万円を稼げて、社会に影響を持つお客様とコネクションを作りやすい一流ホテルスパや会員制プライベートサロンを仕事場に選んだ。
 
自営の仕事は一日一組のロングコースに絞って、あとは数百人の経営者さんや起業家、人道支援家や国際協力者達に国内外まで会いに行った。
 
そしてNPOも仕事も三方良しの独立起業を果たした。
 
NPOではファンドレイザーになり、企業のCSR戦略を学んだ。
 
同じ志の方からは、施術代は頂かず、活動の寄付金に回していただくチャリティご招待枠を設定した。
 
今在籍を終えた活動の中には、サロンのお客様が未だ活動に深く携わってくださっている団体も多く、サロンでの出会いとマッサージ中のインタビューをきっかけにイベントに登壇してくださる方も多く見えた。
 
誰かに希望を手渡せるようにこの名前をつけてくれた父は、孫も見れなかったけど、亡くなる前に「娘が海外で井戸や学校を建設している」事を密かに自慢していたそうだ。
 
幼少期に可愛がってくださった世界の社員さんの中には、もちろんロシアもウクライナの方もいる
 
あの全ての瞬間をかけがえなく思う。