心の中で生きている~『永遠のおでかけ』 | 猫と歩く道

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長毛長足マンチカン姉猫『ジャム』と
一歳半違いの短毛短足、異母弟『アルム』
2017.6から手作りご飯を始めたました♪
親バカ過保護ママが『肝っ玉猫母ちゃん』を目指す過程で
健康の学びを経て
”心”の学びを掘り下げています

テーマ:
 猫ブログ 猫 マンション飼いへ
 
旅立ったあと
心の中で生きている、ということは
こういう事なのかと
半世紀生きてきて初めて分かった

 
今年
9月終わりに他界した父は
「私だけの」父、になった
 
思い出を
家族で
共有することはあっても
 
この現世で
肉体の実態がない今
 
父は
 
私の心の中だけの父になり
それは
誰の心の中の父とも
決して同じではない
 
私と父、二人だけの関係性からだけ
出来上がっている「父」だ
 
もしかしたら
これからは
どんどん
理想化されていくのかも
しれないとも思う


どんなに遺骨が目の前にあろうと
(建墓が来年なので四十九日過ぎているけれど
まだ実家にいます)

お墓参りをしようと
(まだ出来ていないけれど今後ね)

この、心の中で生きている感覚は
消えないのだろうなと想像する
 
 
いつか、私の死が
やってくる時

その私の中の父と一緒に
死ぬのだろう
 
これが
父にとって
二度目の死、ということになる
 
一度目は肉体が滅びた時
二度目は誰の記憶からも消えてしまう時
という
 

これから私は
私の命が終わる時までに

大切な人を
愛おしい存在を

亡くすのだろうけれど

みんなみんな
私の心の中で生き続けるから

私がこの世を去る時
私は決して一人きりではないのだな


他界する少し前に
父も言っていた

『ベットの横に
 お袋やアニキ達がいる気がする』
と。


それは
ずっと父の心の中に生きてきた、
父の大切な人達なのだ


私もいつか
きっとそんな風になるのだろう

その時
今度は父が
私のベッドの横に来てくれるのだろう
 
その時にまた会える、ということなんだ

(そう思うと、
 ベッドの周りは
 どんな人の最期も
 賑やかなのかもしれないな)



父に
会えない事は淋しいけれど
生きていたらいたで
 
お互い
察してくれないことで
嫌味を言い合ったり
気に入らない事で
イライラしてみたり
しているのだろうとも思う
 
 
晩年、
高齢者が団体で歴史めぐり散策を
街なかでしている様子を
眺めていた時
(その時は一人でサクサク歩くのが困難になっていた)

こんな風に言っていた

父「いいな 
 あぁいうの、やってみたかったな」
と。
 
胸がぎゅっと痛くなったのだけれど
すぐに私はこう言った
 
私「今、じゃんじゃん歩けたとしても
 結局、あんな感じの散策には
 参加しないでしょ
 他のことやるでしょ
 もっと他の好きな事やるでしょ(笑)」
 
父「あ。そうだね(笑)
 確かに参加しないな(汗)」
 
 
大丈夫、
 
お父さんは ちゃんと
やりたい事はやってきてるよ
 
これからもやりたい事をやるのがいい
 
もちろん体調と相談しながらになるけど。


そんな風に
その時思ったっけ




喪中のハガキを出したら

高校時代の大切な友人から
『ちゃんと食べてますか?』と
お揃いのご飯茶碗や
お箸🥢やご飯のお供などが
届いた(泣いたえーんありがとう)



 

さらに

 
という本も届いた
作者の父との別れのエッセイだ

『物語が人を強くする
 〜中略〜
 大切な人がこの世界から
 失われてしまったとしても
 「いた」ことをわたしは知っている
 知っているんだらからいいのだ
 〜略〜
 物語のヒントは外側にあり、そして
 人の数だけあるのだなと思った』


今、私は泣いていない

この本を読んだ時も
今日と同じような事を考えた、
ほんの1ヶ月前も

涙が溢れて止まらなかったけれど

今、私は泣いていない
(時々は泣くけどこれを書いてる今は大丈夫)


私が感じた事や考えた事を
言語化して
何度も咀嚼して

時間と共に
心の中の父と新しい関係を築いていっている

そんな感じがしている



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



今年
とっても近い猫友さんと
さようならをした


仲良しの可愛いその子の、
家族に愛されてる様子、
これからのその子を見る事ができない事が
ショックだったり。

本猫が
病気で辛かったり痛かったり
苦しかったりしたのではないかと思うと
胸が痛くて仕方なかったり。

その家族やママが
どんな思いで
闘病の日々を過ごし
見送ったかと思うと
息が出来ないくらい苦しくなったり。



私達にとって
猫の家族は
宝だ

命ある宝

 


似たもの親子とはよく言ったもので
クゥちゃんママとクゥちゃんは
私の中で
なんだか似ている

凛としたところ
芯があって優しいところ
律しながら自由なところ
好きな事は好き、なところ

クゥちゃんも
クゥちゃんママの心の中で
ずっと生き続けるんだなと
今の私には
ハッキリ分かる

もちろん
私の心の中にも生き続けて
それは
必ず
クゥちゃんママとセットで
2人がやり取りしてる様子
(直接見たことがあるわけではないのに
 不思議だね)






そして
ジャムのお姉さん的存在の
マリンちゃん

ジャムとお誕生日が近いの

 


闘病生活の詳細を日々

愛情いっぱいに丁寧に綴られていた


辛い事もあったことと想像する


離れて暮らす、ご家族達、

マリンママへの報告として

マリンちゃんの生き様を

記録されていたものを


猫ママ友として

読ませて頂いているのだと思って

大切に拝読していた日々


将来同じ病に悩む仔達のための

何かにもなりますように


あれきり

ブログお休みされてるけれど

お元気でいらっしゃるかな





愛され猫さんの

旅立ちは


愛した人達の涙の分だけ


見送る私の心も

涙でいっぱいになりました




他に
ブログを読ませて頂いている猫友さん達の
お別れもいくつもありました

全てを私の今日の記事で書く事は難しいけれど

みんにゃのこと
猫ママさんのこと

想っています




更に
個人的には
12月に
同級生を見送りました


2024年が
終わろうとしています


大切な存在、身近な存在、
とのお別れが多くあった、
2024年が終わろうとしています



これからも
心の中で生きている

肉体は永遠のお出かけをしている




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



父が
来年の2月に
新しく完成するお墓に入ります

家族のゆかりの場所の近くのお寺

みんなで考えてデザインしました

家族動物も一緒に入れるお墓です

私にも弟にも
子供はいないので
お墓を持つことについては考えたけれど
永代供養墓としてお願いする事にしました

手を合わせる対象の『場』があること
お空の存在の『居場所』があること
いずれ
『行く場所』があること
は、私に安心を運んでくれました

これも初めての体験です

人間の歴史上
世界中それぞれの文化の中で
お墓というものが
継承されてきた意味を
体感したような気がします



ずっとずっと先。

今新しく建つお墓は
古くなって
お参りする身近な人が
この世から誰もいなくなっても

同じお墓の中
みんな賑やかに
お話したり笑ったり
喧嘩したり仲直りしたり
猫さん達を撫でたり
しているのではないかなとか
想像すると
それもなんだか楽しみだし

お墓には出入り口があって
虹の橋🌈におでかけ出来るのよ、きっと
なんて想像するのも
何だか楽しく、命が一層愛おしい