たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(続)心に残る思い出の山・塔ノ岳

2021年11月29日 | 心に残る思い出の山

続き

尊仏山荘

 

使用に耐えるのだろうかと思える日の出山荘の横を通り11時ジャスト、山頂に立った。尊仏山荘の前に広がる山頂広場は標柱を囲んで板が張り巡らされ、まるで競馬場の観客席(よく知らないが)の様だ。しかし見るものは馬じゃない。雄大な富士であり今まで見えなかった鍋割山や丹沢山、蛭ヶ岳を始めとした犇めく丹沢の山であり太平洋である。 苦有れば楽有りとはまさにこの事、階段登りのストレスを一気に吹き飛ばす眺めであった。

 

先ずは大観を肴に雄さんのビールを一口グイッと。側に賑やかな男性3人が到着し「これから油炒めを作るっちゃ、これが何とも美味いっちゃ」と言いながら小さなフライパンに油を注ぎ玉葱とベーコンを炒め始めた。・・・っちゃとは何処の言葉っちゃ?

一方、ご夫婦でやって来た奥さんの「この山で富士山がこれほど美しく見えるのは珍しいわねぇ」と言う声も聞こえてくる。

 

  

12時近くになると低気圧が発達しながら北上しているという予報通り怪しげな雲が海側から押し寄せ時間の経過と共に上空を覆い始め富士山をも徐々に包み始めた。気温もグッと下がり底冷えする寒さに慌てて防寒具を見につけ早々に山頂を辞す。

花立山荘に帰り着いた頃には富士山も太平洋の海原も消え表尾根の三ノ塔が主役の座を獲得していた。落ち葉を踏んで穏やかになった尾根道を下りマユミの木々に囲まれた登山道に入ると急に野鳥の声が飛び交い手を伸ばせば届きそうな枝にシジュウカラが止まり盛んに何かを啄んでいる。

すると他の木にツガイのヤマガラがやって来た。側に寄っても飛び立とうとしない。少し進むと今度は上空に8羽のトンビ?と思ったらそれはパラセールで1か所を、まるでトンビが輪を描くように旋回。単調な尾根上が思いもかけず楽しくなる。堀山の家で一休み。「ここからノンストップで下ろう」と掛け声も勇ましく防寒具を脱いで軽快に下山口に向かった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

分かりにくい道と江の島での大渋滞に辟易しながら兄の家に着いたのは18時半を回ってしまっていた。メキシコから一時帰国のNちゃんも待っていてくれた。(兄は長男であり私は末っ子なのでその差は親子ほどの開きが有る為、姪のNちゃんの年齢と私の年齢はあまり違いません)

 

先ずはお風呂を頂きサッパリしたところで改めて挨拶。すき焼きの鍋を囲んで談笑する窓辺にリスが現れ思わぬ闖入者にビックリ。歩いてすぐの所に海が有り、そしてリスが遊ぶ自然が有る。良いのか悪いのか住んでみなければ分からないが観光地で有る事を除けば余生を暮らすのには良い所なのかもしれない。

21時、失礼して床に就く。雨戸が閉まっていた事も有って雄さんも私も8時まで泥の様に眠った。

昼頃、国道1号まで道案内をして貰い第三京浜から環八を抜け意外に早く関越道に乗る事が出来た。どこを向いても車・車・車の世界から群馬県の何と静かな事か。赤城山が夕陽を受け美しい紫色に染まっていた。


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21 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
感極まる (アナザン・スター)
2021-11-29 17:13:07
たかさんの文章を読ませて貰うと、何時もその時の情景に連れなっているようです。
スリルもあるし、達成感もあったりでとても満足です。

これからも山行の説明宜しくお願い致します。
登山着、可憐ですね。
やっぱ美人だあぁ!!
塔ノ岳登山 (イケリン)
2021-11-29 17:23:58
たかさん
山のトイレが有料というのは当たり前で、理解できるのですが、
水質検査料とは、これも有りかなとは思えますが、水まで有料のところがあるのですね。

姿を見せることが少ない富士山まで見えて苦労して登った甲斐があったですね。
登山の後には、久しぶりの再会も待ち受けていたようです。
親子ほどの年の差兄妹とはすごいですね。ある面、頼りにされたこともあったのでは
ないのでしょうか。
Unknown (marusan_slate)
2021-11-29 21:26:01
こんばんは🌙🌃
20年前の写真。
いつも思いますが、
とても大切に保存されて。
ステキな登山での思い出。
自分も子供達との思い出を
しっかりと残していきたいです☺️
テル
Unknown (小父さんK)
2021-11-29 21:32:28
>まるで競馬場の観客席の様だ

ということは、「予想」や「賭け」があったのかな?(笑)

>階段登りのストレスを一気に吹き飛ばす眺めであった。

うぉ~っ!本命が姿を現したのですね。

たかさん、上下とも温く温くですね。
気温が相当低かったんですか?

>「これから油炒めを作るっちゃ・・・

検索→「~ちゃ」は、動詞に付けて「するよ」「したよ」を表す語⇒いくっちゃ=いくよ、と『北九州市史 民俗』には書かれています。

どこかで聞き覚えがあると思ったら、福岡の日豊本線沿いの人が使っていましたね(笑)

>「この山で富士山がこれほど美しく見えるのは

ラッキーでしたね。

>気温もグッと下がり底冷えする寒さ・・・

流石、天候をよく見てますね。

>三ノ塔が主役の座を獲得していた

なるほど、脇役から格上げだ~!

次は日本野鳥の会の会員さんみたい。

>メキシコから一時帰国のNちゃんも待っていてくれた。

嬉しいですね。

>その差は親子ほどの開きが有る為・・・

私の長兄も19歳上で私も末っ子です(笑)
母は7人産んでいますが、長女は幼くして病死ですね。
いや、戦後の食べるものも、お金もない時代に私まで育ててくれた親には感謝の二字しかありません。

すき焼きをリスも相伴を預かりにやってきたとはいいですね~。

>雄さんも私も8時まで泥の様に眠った。

素敵な一日だったてことですね。

有難うございました。
Unknown (ベル)
2021-11-29 22:48:49
こんばんは
お兄さんとこ行くのにせっかくだから山登りしてから行くって凄いな お兄さんとこたどり着く前に疲れて大変
21時に寝て8時起床 爆睡ってやつですね

ちゃってどこの方言なのかな? 思いつくのはうる星やつらのラムちゃんが使ってた 
ひょっとして登ってきたのはアニメオタク(笑)

山の天気ほんとにすぐに変わるんですね
知らないと遭難しちゃいそうです
Unknown (馬鹿も一心です。)
2021-11-30 06:16:27
塔ノ岳の頂きも変わったのですね。
52年前 同期二人と大倉から水無川本谷を遡行して
塔ノ岳頂きで富士をバックに写真。
https://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/10bcdc7a59f727b7aaac49bd2bd25207
(続)心に残る思い出の山・塔ノ岳 (いちごみるく)
2021-11-30 09:11:02
たかさん おはようございます。
山に登られた方だけ観られる特等席、ご褒美のような富士山の眺めは美しく素晴らしかったでしょう
知る人ぞ知るという場所だったのでしょうか
調理したり素晴らしい景色を観ながらご飯やビールを頂いたり素敵ですね

富士山は高校の修学旅行以来でまた富士山が見たくて4年前にツアーで静岡を訪れたのですがツアーだと新幹線の降りる場所が決まっていて富士山までは遠く唯一見れると思っていた場所から見れませんでしたので残念でした。またいつか富士山を観に行きたいです。
競馬場の観客席上空からみえましたよ!? (ふくろう)
2021-11-30 13:52:20
たかさんこんにちは。
山はコメントする知識が無いので
調べてみました。
塔ノ岳山頂のベンチ?競馬場の観客席?(笑) 
グーグルマップで見ることが出s来まし
た。この量の板をよく上げたものですね!
この塔ノ岳、塔ヶ岳群層と言う火山の堆積物(浸食に弱い)で形成されているようでかなり浸食された山並みと谷ですね? 
同様に木道が多い様ようですが登山道が雨で流されたのでしょうか?
この塔の岳を調べていましたら動画が有りまして複雑な山容を見て取れましたよ。
しかし、眺めは素晴らしものですね、大きな山に囲まれて極めれば達成感が有る!
と私でも想像できます。ビールが美味い!はずです。(笑)
アナザン・スターさん、こんにちわ (たか)
2021-11-30 14:07:02
こうして振り返ってみますと山に登る事が仕事だった様な人生ですよね。
小さな山はブログには取り上げておりませんが、そこには元気な娘たちの姿も写っており、考えて見ますとその時に山好きという基盤が出来た様です。それが孫にも受け継がれ気が付けば山好き一家となっておりました。娘は先日、一人で谷川岳に登って来たのですよ。
登山着は冬になると良く滑りに行っていたスキーウエアを防寒着の代用に着て行きました。一番最初の写真の木の枝の杖を見てもお分かりの様に私の中に山には山のウエアーと言う考えは全くなく代用できるものは何でも代用してしまいます。
スキーウエアーもこうしてみますと時代の変遷が見て取れて面白いですね。
最後のお言葉、普段あまり聞く事もないお言葉、嬉しいだあぁ!! thank you berry・berrygood!
イケリンさん、こんにちわ (たか)
2021-11-30 14:34:15
やはり、その時々の記録は事細かに残して置くものですね。
水一杯とはコップに一杯なのかペットボトルに一杯だったのか、そこまで書いて置くべきでしたね。今では思い出す事も出来ません。

鎌倉までは中々行くことが出来ず兄に会うのは冠婚葬祭くらいでしたので、久し振りの再会でした。
私は8人兄姉の末っ子ですので長女の子供(甥)は私より3歳上なのですよ。今では考えられない事ですが当時は珍しい事では無かった様ですね。
「家業を継ぐ必要はない、これからは学問の時代だ」と言った父の言葉に従がい 戦時中、大学に進んだ兄も現在は90歳を越えました。

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